Discoveryディスカバリー(2-5)
魂が新生されるとき
「新生」というのは、神のいのちに目覚め、神のいのちに生きるようになる経験です。
2つ以上の波が波長を同じくして重なり合うと、その波は大きなうねりとなります。いわゆる共鳴現象ですが、「新生」というのは自分の心の波長が信仰によって神の波長とあって、そこに生命の躍動、充実感、輝きが生まれることです。
自分の生命、生活が躍動し、力強く歩んでいけるようになる。愛と喜び、試練にも負けない力強さが与えられ、悲しみが来ても慰めと平安が与えられるーそのような人生になることです。
古き自分は去り、キリストの内に生きる自分を発見するようになる。もはや自分の利益のために生きているのではなく、神の栄光が現されることを求めて、神のみこころと愛のために生きるようになる。そしてもはや、自分が滅びの子ではないことを知るようになる。神を愛してやまない心は今、生涯の先にある天国に向かって歩んでいることを知るようになります。
私たちが使っている5千円札の顔にもなっている新渡戸稲造は、若い頃に不思議な経験をしました。
彼は東京から北海道に行って札幌農学校に入学し、上級生にならってキリスト教信仰に入りました。ところが2年生になると、信仰に対する確信を失って、疑問を抱くようになったのです。
わけても夏休みになると、友人はみな帰省して一人ぼっちになってしまいました。学生同士で一緒にいるときは、信仰上の疑問があっても互いに祈り合って解決がつきますが、一人ではだれにも訴えることができません。彼は実習農園の草取りなどをしていましたが、心身ともに疲れ果ててしまいました。
夏休みも終わろうとする8月31日のことです。こんな自分ではたまらないと夜ひとり静かに星空を仰いで祈っていました。そのとき急に「天の光」に包まれる経験をしたのです。魂の内側から喜びがわいてきて、たまらなくなったと言います。心の波長が高められて、神の世界のいのちに共鳴したのです。
その後彼はアメリカに渡りましたが、留学生活の中途においてもしばしば神の光に照らされ、心の内で神の声を聴く経験を持ちました。
彼は理屈だけの信仰ではなく、生涯神の光に導かれ、神の声を聴く者となりました。後になって「神の声を聴く者は強い!」と彼は言っています。
ある人は「神の声を聴ける」などというのはウソだとか、それは特殊な人間のことだとか言うかも知れません。しかしたとえ一人ぼっちであっても、神の御霊は聖徒の内におられ、心の波長が澄み渡るとき「静かな細き御声」(参/・列王記19:12)が聞こえると新渡戸稲造は言っているのです。大きな働きをした人々の人生を見てみると、人生のどこかで必ずこのような聖霊体験をしているものです。
不思議に自分の心が高められて、あるとき急に神の御心の波長に合って、自分の魂の内に神のいのちによる躍動と、神の栄光による輝きが満ちるのです。それはしばしば危機的な状況において起こります。にっちもさっちもいかないというようなとき祈っていると、忽然として開ける世界があるのです。天の光に包まれて、身の置きどころもなくなり、十字架のキリストが眼前に現存するのを感じるにです。
このような経験は人生に何度も必要ありません。しかし、一度は必要でしょう。神の世界に自分が入れられる。もはや頭の中だけの信仰ではなく、魂がキリストのいのちによって新生される経験です。
レムナント出版 代表
久保有政