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今週の礼拝めっせーじ
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| 礼拝説教10/15|礼拝メッセージ集|聖日礼拝| |
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礼拝説教 2000-10-15『時が近づいている』(黙示録1章1-8節) (1) 聖書が言う「終末」とは (2) 時が近づいている。 マタイの福音書23章4節から7節までを読みましょう。ここに世の終わりの前兆がいくつか預言されています。まず 、にせキリスト、にせ預言者が現れると言われています。統一教会の教祖である文鮮明は自分がキリストの生まれか わりだと主張しています。麻原彰晃もそう言っていました。韓国には「自分こそキリストの再来だ」と自称する人は 30人以上いるそうです。また、世界戦争や、民族間の戦争が数多く起こると言っています。20世紀は戦争の世紀だと言われています。2回の世界大戦がありました。また、いまでは旧ユーゴスラビアやロシア、またアフリカでも民族同士の戦争が頻繁に起きています。そして世界中でききんや地震が発生するとあります。ルカの福音書では疫病も 起こると主イエスは言われました。80年代になってエイズという新しい病気が発見されて、特にアフリカの感染状況は深刻です。また飢饉も世界各地で起きています。ある機関の発表では、世界の人口の4分の1は飢えに苦しんでい ます。地震は日本だけでも、あちこちで起きています。このように見ると、黙示録1章3節の「時が近づいているか らである」という言葉は非常に重く響いてきます。 3節に「時が近づいている」と記されています。この時という言葉は時計やカレンダーが示す時間のことではありません。この言葉はギリシャ語で「カイロス」と言うのですが、ある時代、ある期間、ある季節を意味します。神様は 人間を罪の束縛と裁きから救い出す計画を持っておられるのですが、次の大きな節目、区切りとなる時代が迫っていることを意味しています。それで、次の時代に何が起きるのかと言うと、ヨハネは7節で「見よ。彼が、雲に乗って 来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。」「見よ。彼が来られる。」つまり主イエス がもう一度私たちのところに現われることが預言されています。これをイエスの再臨と言います。再び、わたしたちの前に現われてくださるのです。しかも、2度目は雲に乗って、あるいは雲に包まれて、すべての人が見えるような方法で現われてくださいます。聖書では、雲は神様がおられることを表わすシンボルです。モーセやヨシュアに導かれてエジプトから約束の地まで進んで行ったイスラエルの民の前には、いつも神が雲の柱となって現われてくださいました。ソ ロモン王が自分が建てた神殿を神様に捧げる式を行った時も、神殿は雲に包まれました。雲は神がおられる栄光を表 わすものなのです。主イエスが2000年前に、一度目に来られた時は、神という地位 を捨てて貧しい者となり、十字 架の苦しみを受ける者として来られました。2000年前のクリスマスの日、主がベツレヘムという街でお生まれになった時、そのことを知っていたのは、ヨセフとマリアと天使のお告げを聞いた羊飼いだけでした。しかし、2度目に来られる時は、神としての本来の栄光に包まれて、支配する者として来られるのです。 私たちは十字架にかかるためにこの世に来られたイエス・キリストの姿しか知らないために、どうしてもイエスと言うと、愛の方、優しい方、苦しみを受けられた方という姿しか思い付きません。しかし、それは、主イエスが、本来の栄光に満ちた神の姿を一時的に捨てられた姿なのです。しかし2度目は本来の姿で来られます。ヨハネはイエスをどのように呼んでいるでしょうか。5節の中で、わたしたちの主は「忠実な証人、死者の中から最初によみがえった方、地上の王たちの支配者」と呼ばれています。イエス様は真理を証しするためにこの世に来たと言われました。神 についての真理です。忠実とは、決して真理を自分の都合で曲げたりしない証人です。主は神の真理を言葉で伝えただけでなく、十字架に自分の命をすてるという行いをもって神の愛を証しされました。しかし、十字架で死んで終わったのでなく、死者の中から最初によみがえられました。復活は神の力と権威を表わしています。イエス・キリスト が復活されたからこそ、神であることが示されたのです。またユダヤの社会では、最初に生れた者を父の名誉を受け継ぐ特権が与えられていましたので、最初に生れた者という言葉には力と名誉を持つ者、最高の地位 を持つ者という 意味もあります。私たちの主イエスは、生きている者の世界でも、死んだ後の世界でも、どこにあっても最高の地位 を持つ方なのです。 しかも主は諸国の王を支配する者だと呼ばれています。主イエスは、当時のローマ総督だったピラトから有罪を宣告されて十字架刑を受けられました。当時の目に見える状況で考えると、主イエスは敗北したかのように見えます。しかし、つねに、この世界を本当の意味で支配しておられるのは神様です。主は十字架につけられましたが、三日目に 復活されました。その後、弟子たちは、ローマ帝国のしつような迫害にもめげず、伝道を続けました。その結果 、あんなに反対しつづけた、イエスの教えを地上から消し去ろうとしたローマ帝国がキリスト教の国になったのです。この世界を本当に支配しておられるのは主イエス・キリストです。 (3)主イエスの働き それだけではありません。主イエスは、私たちを王国の民とし、また祭司にしてくださると書かれています。私たちは王様の家族の一員に加えていただきました。王様の血を引く身分に変えられました。祭司は神のために神殿で仕えている人でした。旧約の教えによれば、神殿にお参りに行く人々は、ユダヤ人であっても神殿の外の庭にまでしか行くこ とができません。中に入れるのは祭司だけです。主イエスは私たちを祭司にしてくださるという意味は、わたしたちは遠慮することなく大胆に神に近づくことが許されているのです。私たちをそのような身分の者にしてくださる主イエス、このお方がふたたび私たちの世界に現われてくださる。なんと楽しみなことでしょうか。 まもなくその方が来られます。聖書にはっきりとそう書かれています。信じがたいことかもしれません。しかし、聖 書に書いている預言は、これまですべて成就してきました。聖書は2000年前に世界中に散らされたユダヤ人がふたたび集められる日が来ると預言してきました。今から100年前の人々の多くは、そんなことありえないと考えていました。何しろ1900年間も、その場所にユダヤ人はおらず、別 の国が支配していたからです。しかし不思議なことに 、いろいろな要因が重なって、1948年にイスラエル共和国が誕生しました。このことも、主の再臨が近いことを思わせる出来事です。神の約束は必ず成就するのです。主はご自分のことを「私はアルファでありオメガである」とい われました。アルファはギリシャ語の最初の文字であり、オメガは最後の文字です。最初から最後まで、人間の歴史 、神の歴史のすべてを支配している者であるという意味の宣言です。人間の歴史を始めてくださった方は、最後まで その責任を負って、なすべきことをしてくださるのです。私たちは、何かを始めても、途中で止めてしまったり、忘 れてしまうものです。しかし、神様は人間の歴史も、わたしという一人の人間の人生も最初から最後まで責任を負っ てくださるのです。ですから、わたしたちは何も恐れる必要はありません。時が近づいています。この世は聖書が預 言しているようにだんだん悪くなって行くでしょう。しかし、心配は無用です。主が支配するもの、この世をさばく者として必ず来られるからです。もうその時は近いのです。 かつてイギリスにリチャード一世という王様がいましたが、サラディンという敵と戦うためにイギリスを離れていました。その留守中に彼の弟のジョンが王座を奪って、権力を手に入れました。しかし、彼はひどい国王だったので、 民は苦しみました。リチャード一世が戻って来ることを待ち望んで祈りました。そしてある日彼はイギリスに帰って来ました。上陸するとまっすぐジョン王が住む城に向かって行進しました。ジョン王の城は大騒ぎになりました。リ チャードが王座を要求した時に、それを阻む者は一人もいませんでした。国民は喜びの声をあげました。鐘を何度もならしました。国王リチャード万歳と何度も叫びました。 リチャード一世よりもすぐれた王がまもなく戻って来て王座につくことを要求します。彼が留守の間この地で権力をふるっていた者たちは、皆、追放されます。主は必ずもう一度私たちのところに来られます。その時、すべてが変 わります。その日に備えて歩んで行きましょう。 ページのTOP (上記の文章を許可なく他に転載することを禁止します。) |