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礼拝説教 2000-11-05『初めの愛に戻れ』(黙示録2章1-7節)
(1)エペソの町
エペソはアジア地方、現在のトルコ地方の最大の都市で、立派な港があり道路もよく整備されていました。人間も
物も、アジアに来るものはすべてエペソを通るので、エペソは商業が発達した豊かな都市になりました。また、エペソにはアルテミスという女神の神殿があり、この神殿は世界の七不思議に数えられるほど非常にすばらしい建物だったようです。当時の神殿はどこでも柱を並べて作ったものがほとんどで、屋根はほとんどついていませんでしたが、こ
のエペソの神殿には立派な屋根がついていました。しかし、神殿が宗教の中心地であるだけでなく、神殿は必ずと言っていいほど、犯罪と不品行の中心になっていました。当時、どこの神殿でもその内部は、ローマの法律が適用されない場所として認められていたので、多くの犯罪人が神殿の中に逃げ込みました。また神殿にはかならず娼婦がいました。町中に不道徳がはびこっていました。ですから、どう考えても、エペソのような町にキリスト教が広がるとは考えられません。
ところが、実は、福音はエペソにおいて多くの魂を勝ち取りました。パウロは他のどの都市よりもエペソに長く滞
在しました。テモテはこの教会の指導者であり、ヨハネもこの教会の指導者でした。伝説によると、イエスの母マリヤはヨハネに連れられてエペソに来て、そこで死んで葬られたとのことです。
(2)エペソ教会のすばらしい点
そのような町に建てられたエペソの教会に、手紙が書き送られました。この教会にはすばらしい点がたくさんあり
ました。ですから、右手に七つの星を持ち、七つの金の燭台の間を歩く方がエペソの教会についてたくさんの良いこ とを言われました。つまり、教会を本当の意味で支配しておられる方、主イエスが言われました。そして主イエスは
7つの燭台の間を歩いているとありますが、7つの燭台は先週学んだように、7つの教会を現しています。つまり、 主は、いまも生きておられて教会のために一生懸命働いておられるのです。その方がエペソの教会を見てまず言われ
たことは次のことです。2章2節「わたしはあなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。」主イエス・キリス
トは当時エペソの教会の人々が、エペソという不道徳の町で経験していた苦労や忍耐を、またそのような中でエペソ の人々がどのような行いをしていたか、すべて知っておられました。私たちは、人生で苦労を経験するとき、辛いことを経験するとき、自分の苦しみは誰にもわかってもらえないような思いを感じます。しかし、私たちの主は、エペソの教会に対して言われたように、私たちがどのようなことを感じ、経験し、また、どのようなことを行っているか
、そのすべてを知っておられるのです。このように、自分のことを知っていてくれる人がいるということは、大きな 慰めです。しかも、主イエスは「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と私たちを招いてくださる方です。
また、主イエスはエペソの教会の別
のほめるべき点を言っておられます。それは彼らが悪い者たちを放っておくこ とができなかったという点でした。彼らは、教会の中で罪を犯した人々に対して、きちんと取るべき行動を取ってい
ました。主イエスは、教会の中で人が罪を犯したときに、どのようにその問題を取り扱うか、マタイの福音書18章
15節以下のところで詳しく述べておられます。しかも彼らには霊的なものを見分ける識別 力が与えられていました 。エペソの教会に人々は、パウロがエペソの人々へ分かれの説教をしたときに、彼が警告の言葉として言った使徒2
0章28−31節の言葉を忘れてはいませんでした。彼らは、よく忍耐し、キリストの御名のゆえにいろいろなこと を耐え忍び、疲れ果てていませんでした。さまざまな苦しみや困難を経験すると、私たちは失望したり、神への感謝
ができなくなったり、誰かに文句を言ったり非難の言葉を浴びせたくなるものです。しかし、エペソ教会の人々は、 神の言葉、神の命令に忠実に従う人々でした。このようにエペソのクリスチャンには神様が見てもほめるようなこと
がいろいろありました。しかし、そのような彼らにも重大な欠陥がありました。
(3)エペソ教会の問題点
エペソ教会は外からのさまざまな迫害にどう対応したらよいか、いつもそのことを考え注意して行動してきました。
また、教会内部でも、間違った教えのために正しい信仰を守ることに必死になって戦ってきました。ところがそのよ うにしている間に、エペソ教会の人々は大切なものを失いました。「あなたは初めの愛から離れてしまった。」エペ
ソの教会にはすばらしいことがたくさんありました。しかしながら、すべてのことを見抜く目を持つ主イエスは、かれらの中に見られた重大な欠陥を見逃しませんでした。彼らは激しい迫害を、ただ主イエスへの信仰を貫くために忍
耐して耐え忍びました。また、彼らは、主から受けた救い、信仰を間違った教えから守るために、必死になって、教会の信仰が正しくあるようにといろいろな間違った教えを説く人々と戦いを経験していました。しかし、彼らは正しい信仰を守ろうとするあまり、初めの愛から離れてしまいました。このことにはふたつのことが含まれていると思われます。
まず第一に神様に対する初めの愛から離れてしまったということです。初めて教会に来て、イエスのことを
知り、自分のような者のために命を捨ててまで愛してくださる方がいるということに驚き、その主イエスの愛を受け入れて、自分の罪を悔い改めて救われた頃、誰もが何にも変えがたい喜びを感じていました。本当に神様に感謝していました。初めて自分の罪が赦されて神の子供となったことを知った時、自分の周りの世界が輝いてみてたように感
じたものです。しかし、時間がたち信仰生活が長くなると、私たちは聖書の知識や、教会に関することばかり詳しくなって、まるで教会の主のようになってしまうことがあります。洗礼を受けたころの初々しい信仰を忘れ、神様に対する感謝、感激が薄れてしまうのです。(エレミヤ書2章2節)
もうひとつのことは、クリスチャン同士の交わりにおいて、初めの愛から離れてしまうことです。エペソ教会が作られたころ、教会員は真実に愛し合い、祈りあい、助
け合って、一つになって信仰生活を貫き、福音を述べ伝え、迫害にも耐えてきました。最初は、教会員の間に争いはなく、一つの目標に向かって情熱をもって進んでいました。ところが、教会員の間に間違った教えが入らないようにと、注意するあまり、また正統派の信仰を守ろうとするあまり、お互いの態度が批判的で温かさの乏しいものになっていました。どんなに、私たちが正しいことを行っていても、正しい信仰を守るために必死に働いていたとしても、
愛を失ったら何の価値もないものになってしまいます。
(4)問題点の解決方法
そこで、主イエスはエペソ教会の人々が、初めの頃の状態にもどるようにと、元に戻る方法を教えておられます。まず第一に「思い出しなさい」と主は言われました。自分がもともとどのような状態であったからを思い出しなさいと
主は言われました。立ち直るためには、本来あるべき状態を思い出さなければなりません。イエス様の有名なたとえ 話に出てくる、放蕩息子も、さんざん悪いことをして本当にどうしようもない状況に陥ったときに、思い出したのです。「自分はもともと親の下で幸せに暮らしていたのに、自分の欲に目がくらんで道を踏み外してしまった。」とい
うことに気がついて、それで彼は立ち上がりました。新しい人生を始めたかったから、それまでにいた環境から自分を抜け出させるために、その息子は立ち上がりました。私たちも、信仰が本来のあるべき姿から離れていると感じているあなたがしなければならないことは、思い出すことです。次に、「悔い改めなさい」自分が間違っていることに
気がついた時、人々はいろいろな反応を示します。ある人は絶望してあきらめてしまいます。ある人は自分が反省したくないために、周りの環境や人々を批判します。「悔い改める」とは、自分が間違っていたことを認めて心から、
そのことを悲しむことです。第3に「初めの行いをしなさい」というお勧めです。悔い改めとは、人を惨めにさせる
ため絶望させるためのものではありません。人を新しい行動をするように決断させるものです。それは神に許しを願 うことと、悔い改めにふさわしい実を結ぶよう決断することです。いつも言っていますようにギリシャ語では「悔い改め」とはUターンすることなのです。
(5)大いなる神の愛と備え
問題のあったエペソ教会に対して、主は約束をも与えておられます。その条件は神様の言葉に耳を傾けることです。
その時、私たちは本当の意味での勝利者となるのです。1ヨハネの手紙5章4−5節に「世に勝つ者とは誰でしょう
。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」と書かれています。私たちは、どのような状況であっても、神の約束は変わりません。御言葉に聞き従うとき、私たちには勝利が備えられているのです。「いのちの木」は黙示録
22章2節にも出て来ます。「川の両岸にはいのちの木があって、十二種の身がなり、毎月実ができた。また、その
木の葉は諸国の民を癒した。」アダムとエバが神の言葉に聞き従わず、罪を犯したとき、二人は「いのちの木」から 食べることを禁止されました。しかし、主イエスキリストを信じる者には、ふたたびこの木から取って食べることが
赦されます。このいのちの木は永遠のいのちのシンボルです。そしてパラダイスは天国を意味するのです。
(6)結論
エペソ教会に宛てられた手紙の意味はなんでしょうか。彼らの問題点は、初めの愛から離れてしまったことでした。
神様に対する愛を忘れ、教会でともに生きる兄弟姉妹への愛が忘れ去られていたことでした。神は愛の神であり、私 たちに与えられている最も大切な命令は全力をあげて神を愛することと自分と同じように隣人を愛することです。ソ
ロモン王の言葉に耳を傾けましょう。箴言4章23節「力の限り見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれ
からわく。」
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