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今週の礼拝めっせーじ
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礼拝説教 2000-11-26『死に至るまで忠実であれ』(黙示録2章8-11節)
スミルナはアジアの花とかアジアの冠という名前で呼ばれるほどに美しい町でした。そして街の中心に、周りを陸地に囲まれた非常に安全な港があったために、スミルナは商業の街としても発展していました。また、アジア地方にあるローマの植民地の中で、最もローマに忠実な都市であり、街にはローマの神を礼拝するための立派な神殿が建てられていました。街には一年に一回有名な大会が開かれる競技場や、非常に大きな図書館、アジア地方最大の劇場などもありました。 (1)クリスチャンとして生きる苦しみ 彼らはローマ人を扇 動して迫害を激しくしていました。ユダヤ人はクリスチャンに関してありとあらゆる悪口を言いふらしていました。 私たちも聖餐式をしていますが、その中でパンを食べぶどう酒を飲むことを「キリストの体を食しキリストの血を飲 む」と言いますね。そのことからクリスチャンは人間の血を飲む連中だと言われました。また、彼らはローマ皇帝の 権威を認めていましたが神として拝むことをしなかったので、反逆の民であって何をしでかすか分からないと言われたり、偶像を拝まないので神を信じない恐ろしい連中だなどと言われていました。また、彼らは貧しさを経験してい ました。もともとスミルナでクリスチャンになった人々の多くが下層階級に属していて、多くは奴隷でした。また、 当時、クリスチャンを嫌う人々は、スミルナだけでなくいろいろなところで、クリスチャンの家を襲って持ち物を壊 したり奪ったししていました。ですからクリスチャンとして生きることは決して簡単なことではなかったのです。 クリスチャンの迫害としてスミルナの街では非常に有名な話があります。当時スミルナ教会の監督であったポリュカ ルポスという人の殉教の話です。彼は紀元155年の2月23日土曜日に殉教しました。その日、スミルナの町で一年に 一回開かれる競技会があったため町は人であふれていました。そのような興奮したような状況の中で、誰かが突然、 「あの無神論者ポリュカルポスを探し出して殺してしまえ」と叫びました。彼は逃げることもできたのですが逃げませんでした。逮捕する者たちがやってきた時には、彼らに「1時間だけ祈る時間をください」と願いました。逮捕する責任者も、ポリュカルポスの堂々とした態度に感動して、彼に向って「ローマ皇帝は神である」と言って犠牲をささげれば命は助かるのだから、そのほうがいいのではないですか。」と勧めてみましたが、ポリュカルポスはあくま でもイエス・キリストだけが神であると主張しました。彼は競技場の中に連れて行かれました。 その時彼は神の声を聞きます。「ポリュカルポス。つよく、男らしくあれ。」ローマ総督はキリストを呪ってローマ皇帝に犠牲をささげ
るか、それとも死ぬか、どちらかを選べと命令しました。ポリュカルポスは (2)主イエスとは誰か あるいは一時的なものを恐れてはいないでしょうか。先ほどお話しした殉教者ポリュカルポスは火あぶりの刑を言い渡された時に答えて言いました。 つぎに、わたしたちの主は死んでまた生きた方と言われています。主イエス・キリストは神でありながら人間に起きる最悪の出来事である死を経験されました。しかも、十字架刑は苦しみぬ いて死んで行くもので、死刑の中でももっとも残酷な刑でした。ヘブル人への手紙4章15節を読みましょう。「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」 主イエスが私たちを助けることができるのは、主御自身が最悪のことを経験されたからです。あなたがどのような困難を経験しているとしても、主イエス・キリストほどの苦しみを経験してはいないのです。そして、この主キリストが、私たちを助けてくださいます。 しかも私たちの主は十字架で死んだだけではありません。復活されたことによって人生最悪の出来事である死をも克服されたのです。死に勝利されました。だから私たちにも勝利の力を与えることができるのです。主イエスは言われ ました。「わたしはよみがえりです。いのちです。私を信じる者は死んでも生きるのです。また生きていて私を信じる者は決して死ぬ ことがありません。」主イエスを信じる者は、肉体は朽ち果てても魂は永遠に主とともに生きると約束されています。だからもはや死ぬ ことはないのです。私たちの主は死の苦しみを経験されたからこそ私たちを慰 めることができる主ですし、復活を経験されたからこそ、わたしたちに永遠のいのちの希望を与えることができるのです。 (3)スミルナ教会に与えられた約束 主イエスは7つの教会にメッセージを送っています。それぞれの教会に問題があり、主イエスはある時は厳しく戒めていますが、このスミルナ教会は迫害が厳しくありましたが、主イエスから何も責められていません。私たちの人生にも苦しいことが押し寄せて来るかも知れません。しかし、それらは必ず終わりが来るのです。だから、わたしたちはどんな時も、永遠の支配者、死にさえも打ち勝たれた主イエスへの信仰を失わずに、互 いに助け合い祈り合いながら信仰を守って行きましょう。スミルナ教会に与えられている約束は、わたしたちにも与えられている約束です。 主イエスは2つの褒美を約束しておられます。その一つが10節にある「いのちの冠」です。 スミルナで行われていたスポーツ競技は非常に有名でオリンピックと同じように勝利者には冠が送られました。クリ スチャンも人生というレースを走っていますが、その人生に勝利の冠を得ることができると約束されています。それはいのちの冠。永遠のいのちの冠です。 そして2番目の約束は、第二の死によって損なわれることがないことです。スミルナの人々は激しい迫害を受けていまし た。殉教する人も多くいました。主イエス・キリストを信じたために肉体の死、つまり第一の死を経験した人がたくさんいたのです。しかし彼らは決して第二の死を味わうことはありませんでした。 聖書の教えは私たちは肉体の死を経験した後、神を信じる者も神を信じない者も、その魂は残ります。神を信じる者の魂は神様とともにパラダイスに 行きます。パラダイスも素晴らしいところですが、魂だけの状態は不完全です。神を信じない人のたましいも「よみ 」と呼ばれる神様のいない所に移されます。そして世の終わりの時にすべての魂が裁かれ、神を信じないまま死んだ人は裁かれて永遠の滅びである第二の死を味わうのです。しかし、クリスチャンが第二の死を味わうことは決してありません。キリストを信じる者を滅ぼすものはこの世に何一つありません。そのことを覚えて、一時的な苦しみを経験することがあるにしても、私たちの勝利は変わらないのですから、この世の人生の終わりの日まで、主に忠実に仕えて行きましょう。 最後に「ローマ人への手紙」8章38-39節を読みます。 38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も
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