今週の礼拝めっせーじ
礼拝説教12/10|礼拝メッセージ集聖日礼拝


礼拝説教 2000-12-10『御子キリストとは誰か』ヘブル1章1-9節

  (イントロ)
 もうすぐ
クリスマスがやってきます。それぞれに人にとってクリスマスはいろいろ違った意味を持っていると思います。アメリカではクリスマスは日本の正月のように久しぶりに家族が集まるときです。日本だったらクリスマスは家族そろってケーキを食べる時でしょうか。クリスマスはカラオケでぱーっとやるんだという人もいるでしょう。しかし、クリスマスがいったい何の日だか知らない人が非常に多いです。クリスマスという英語はキリストという言葉と祭りや礼拝を意味するマスという言葉が合わさってできた言葉です。ですから、何よりも主イエス・キリストをお 祝いする日なのですから、そのイエス・キリストがどういうお方であるのかを知ることが必要なのです。今日は新約 聖書の中のヘブル人への手紙から、主イエス・キリストが私たちにとってどういうお方であるのか、また私たちはどのようにイエス・キリストと関わっていくべきなのかを考えてみたいと思います。

 (1)神は御子イエス・キリストを通して私たちに語っておられる。
 旧約聖書
は約1500年間にわたって書かれた書物です。ヘブル書の1章1節に書かれているように、聖書の神様はつねにいろいろな方法を用いて、人間に語りかけてこられました。聖書の神は人間が探してさがして悟りを開いて知るというような神ではありません。神様が人間に語りかけておられるのです。聖書は私たちに対する神様の語りかけの書物と言うことができるでしょう。これを少し難しく言うと「神の啓示」と言います。神様がご自分のことを知らせているという意味です。それが旧約時代にいろいろな方法で啓示がありました。そのために多くの預言者が現れました。

 神様は少しずつ少しずつご自身が考えておられた計画を表されました。そしてその計画とは救い主、メシアをこの世に遣わすというものでした。ミカという預言者には救い主がどこの町で生まれるかということを知らせました。 ダニエルという預言者には救い主が生まれる時を知らせました。マラキという預言者には、救い主が生まれる前に預言者が生まれるということを知らせました。ヨナという預言者には救い主が復活することを暗示するような体験を与えました。これらはすべて神様が与えてくださった真実の語りかけですが、それらはお互いに結び合っており、すべてが将来来るはずの方、救い主を示しているのです。そして2節にあるように、この終わりの時、つまり神様の時が来て、御子イエス・キリストが今から2000年前に、人となってこの世に生まれてくださったのです。ですから、御 子イエスご自身が神様の語りかけですから、この御子に耳を傾け、この御子イエス・キリストが語ることをきちんと 聞かなければならないのです。クリスマスのメッセージとは、「神様が、ベツレヘムでお生まれになった御子イエス ・キリストを通して語っておられますよ。その神様の言葉に耳を傾けなさい。」というものなのです。
 
 
1.神は御子イエス・キリストを万物の相続者とされました。
 イエス・キリスト
が神の子であれば、当然のことながら、御子キリストは神が所有しておられるすべてのものを相続する権利を持っていることになります。これは言い換えると、この世の中に存在するすべてのものは、実は、主イエス・キリストが管理するときに、本来の存在する意味を持つようになるということです。使徒パウロはコロサイ人への手紙1章16節において、「すべてのものは御子キリストによって造られただけではなく、御子キリストのために 造られたのである。」と述べています。つまり、この世に存在するすべてのものは、キリストのために存在するので す。そのすべてのものの中に、当然のことながら、私たち一人ひとりも含まれています。

 私たちは、キリストとともに生きる時にはじめて、私たちが本来持っている価値をフルに発揮することができるのです。私たちが、一生懸命生きているのに、何かうまくいかない、何か本当の満足感、生きていてよかったなという感じがないのは、私たちがキリストから離れてしまっているからです。1万円札が持ち主の手に握られているときにフルにその価値を発揮するのと同じです。たんすの引き出しの奥に隠れてしまった1万円札は、価値はちゃんとあるのに、持ち主に見つけ出してもらわない限り、その価値を発揮することができません。私たち一人ひとりも神様の手の中にいるときに、初めて本当の価値を発揮できるのです。

  2.御子は神の栄光の輝き、神の本質の完全な現れである。
  誰も、神を見た人はいません。あまりの輝きに私たちの目は耐えられないのです。私たちの目に届く神の栄光の光 はキリストを通して与えられます。それはちょうど、太陽と太陽からの私たちのところに届く光線のような関係です 。太陽から出た光線が地球を明るく照らし、また地球を暖めてくれます。イエス・キリストは太陽のような神から出 た光のようなものであり、私たちの心を照らし、心を暖めてくれるのです。太陽は、その光線と切り離すことはでき ません。光線のない太陽はありませんし、太陽がなくて光線だけあることもありません。両者は一つです。だからこそ、御子イエスは神の本質の完全な現れと言われたのです。

 光線が、太陽の明るさと暖かさをそのまま、何も変えることなく私たちのところに届けてくださいます。まったく同じ明るさと暖かさを届けます。御子イエスは父なる神の聖さと暖かさをそのまま私たちに見える姿、理解できる姿で届けてくださったのです。ですから、父なる神と御子イエスは切り離すことができないのです。御子イエス・キリストは神の栄光の輝きです。神の栄光の光線をあなたの生活の中に、私の生活の中に送り込んでくださるのです。

 ヨハネの福音書の9章で、御子イエスは生まれつきの盲人をごらんになりました。あまりじっと見ておられたので弟子たちは不思議に思って、「先生。彼が生まれつき目が見えないのは、両親の罪のせいですか、それともこの人の罪のせいですか。」とたずねました。するとイエス様は「本人が 罪を犯したのでもなく、その両親の罪でもない。ただ神のみわざが彼の上に現れるためである。」と言われて、彼の 目が見えるように奇跡の働きをなされました。その人のところにイエスが来られたことによって、彼の目が開かれて 、彼は神の栄光をあらわす者と変えられました。

 実は、私たちの目も、見えているようで見えていないことが多いのです。言い換えると、私たちは自分の見方でしか見ることができないということです。例えば、人間同士の交わりの 中で、どうしても好きになれない人がいるとします。私たちは、そのような場合、冷静に客観的にその人を見ることができません。自分の感情の目でしか見えないので、どうしても嫌なやつになってしまいます。しかし、そこにキリストの光が与えられると、別 の角度からその人を見ることができるようになるのです。その人も神様によって作られた一人の人間であって、神様はその人を愛しておられるということを知ると、その人に対して新しい見方ができるようになります。

 また、私たちは神の栄光の輝きである御子イエスを見つめるときに、御子が輝いている光線を受けるのです。する と、私たちも輝くことができるようになります。自分のうちに光の源となるものがなくてもいいのです。御子イエスの輝きを受ければいいのですから。子供のとき、よく小さな鏡で遊んだことを覚えています。鏡で太陽の光を受けて 、暗い影になっている場所にその丸い光を照らす遊びです。でも、それは単なる遊びではありません。私たち、クリ スチャンは、イエス様の光を受けて、光がぜんぜん届かない暗闇の場所に、その光を輝かせることができるからです 。私たちが、いのちが与えられているということは、神様が私たちに使命を与えておられるということです。どんな に年を取っても、その人には神様からの使命が与えられています。「あなたが受けた光を、光が届かないところに輝かせなさい。」

 3.御子イエスは力あるみ言葉によって万物を保っておられる方です。
 御子キリスト
は、この世のすべてのものをお造りになっただけではなく、また、いつの日か、すべてのものを相続するだけではありません。世の終わりの時が来るまで、この世にあるすべてのものを支えておられるのです。この「保 っている」という言葉はギリシャ語では現在形なので、今、この瞬間も、この世にあるすべてのものはキリストによ って支えられていることを意味しています。私たちが、今、無事に生きていられるのは、この世を支配する法則が続 いているからです。しかし、時々、その自然の法則が崩れるときがあります。例えば地震です。続いて行くはずの自然の法則が破られてしまうのです。その結果 、大きな被害が生じます。ほんの一瞬の小さな法則の破れが大惨事を引き起こします。ですから、もしも万一主イエスが、この万物を保っている力を少し緩めたとき、どんな恐ろしい結末が待っているでしょうか。

 例えば、地球はつねに太陽との距離をきちんと守りながら太陽の周りを回っています。これがもし太陽との距離がずれたらどうなるでしょうか。太陽の表面 の温度は華氏で12000度もあるそうです。ですか ら、少しでも太陽との距離が縮まると、地球は丸こげになってしまうでしょう。一方少しでも離れると地球は人が生きることのできない、冷凍庫のようになってしまいます。この世界で起きていることは、すべて、ただ偶然に起きているのではありません。御子イエス・キリストが保っておられるのです。この世のすべてのものを保っておられる御子イエスは私たちの人生をも守り支えてくれます。ですから、御子イエスから離れると、私たちの人生は、めちゃくちゃな状態になってしまうのです。イザヤ書48章17―18節を読みましょう。ここでイスラエルの神は「わたしはあなたの神、主である。」と言っておられます。ふつう、高い地位 にある人、有名な人から「私はあなたの友達だ」と か「私はあなたの親戚だ」などとは言いません。しかし、聖書の神は、私たちのような神を無視して生きて行こうする者にさえ「わたしはあなたの神だと呼びかけてくださり、繰り返し繰り返し、私はあなたを助けあなたを守る」と 言ってくださいます。それほど、神様は私たちを大切に考えてくださるのです。

 4.御子は罪のきよめを成し遂げてくださいました。
  御子イエス・キリストは万物を創造されました。また万物を今も保っておられます。御子キリストは神の栄光を私たちに届けてくださいました。しかし、御子イエス・キリストが私たちのためになしてくださった最もすばらしい働きは、わたしたちの罪をきよめてくださったことです。私たちは、主イエス・キリストの十字架がなかったら、本来、 体も魂も滅ばなければならない者でした。しかし、罪のないお方が、私たちの身代わりになって罪の罰を受けることによって、私たちが罰を受けなくても罪が赦される道を開いてくださったのです。そのために、御子イエスは自分自身を犠牲にされました。

 御子イエス・キリストは神としての働きを始められた時に、「悔い改めなさい。神の御国が 近づいたから」と言ってその働きを始められました。ですから、私たちはまずこのイエスのみ言葉に耳を傾けなければなりません。全ての人は罪を持っていますから、許しを受けなければならないのです。そのままでは体も魂も滅んでしまうのです。私たちは、クリスマスにクリスマスの歌を歌ったり、イエス様が生まれたことを喜ぶだけでは不十 分です。イエス様が何のために神の栄光の座を離れてわざわざ人間の姿を取って、この世に来られたのか、そのことに耳を傾けなければ、神様が私たちに与えようとしておられるあらゆる祝福を逃してしまうことになるのです。キリストの十字架がなければ、私たちは滅びるべき者なのです。だから、御子キリストが言われる言葉、それは、言い換えると、御子キリストを通 して神様が私たちに語っておられる言葉を聞き、それに従っていかなければならないのです。私たちは、イエスは主ですと告白するのですから、イエスにより頼んで、何が起ころうとも信じ続けることが必要なのです。どんな言葉を聞いても聞きっぱなしでは、私たちの生活に何の変化もおきません。私たちの生活の中 に神様の力ある働きは実現しません。しかし、その言葉を繰り返し、命がけで従って行こうとするときに、その言葉が私たちの生き方を新しくしてくれるのです。御子イエス・キリストが私たちに語っておられる十字架による救いの福音は私たちがいのちをかけるだけの価値があるすばらしいメッセージです。

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