クリスマス礼拝めっせーじ
礼拝説教12/24|礼拝メッセージ集聖日礼拝


礼拝説教 2000-12-24『豊かないのちを生きる』(ヨハネ10章7-15節)

  (イントロ)
 
救い主イエスの誕生は本当に不思議な誕生でした。今から2000年前、ローマ皇帝アウグストは世界最高の権威を持っ ていました。立派な宮殿に住み世界中の人々が皇帝を崇拝していました。一方、主イエスはユダヤの田舎の小さな町 ベツレヘムで、誰にも知られずにお生まれになりました。救い主が生れた夜、救い主を拝みに来たのは、御使いから 知らせを聞いた貧しい羊飼いだけでした。ベツレヘムの町に住む人々はその夜何が起きたのか知らずに、次の日もい つもと同じように一日の生活を始めました。しかし、その誕生は世界の歴史を二つに分けるほど大きな誕生だったの です。今日、皇帝アウグストのことを語る人はいません。しかし、イエス・キリストの誕生は2000年たった今もな お世界中で祝われています。今も、イエス・キリストのことを知って、人生が変わった人がたくさんいます。今夜熊 谷で、ミッションバラバというグループのクリスマス集会がありますが、この人たちは元やくざでした。「やくざ」 とは恩来「価値がない」という意味だそうです。しかし、彼らは聖書の中で神様が「わたしの目にはあなたは高価で 尊い」と言われたことに驚き、イエス・キリストが「私は失われた人を探して救うために来たのです」という言葉に 捕らえられました。そして、今は、あらゆるところで主イエス・キリストの愛について語って多くの人々に希望を与 えている人々です。彼らも主イエス・キリストによって変えられた人生を経験しました。

 ところで、イエス・キリストの誕生は私たちにとってどんな意味があるのでしょうか。今日は、主イエスご自身の 言葉から、クリスマスの意味を考えたいと思います。ヨハネの福音書の中で、イエス様は繰り返してご自分のことを いろいろなものに例えておられます。「私は生けるパンです」とか「私は道です」とか「私は世の光です」などです 。ヨハネの福音書の10章ではご自分を羊の世話をする羊飼い、羊の囲いの門であるといわれました。いったい、それ はどんな意味なのでしょうか。

 (1) いのちに至る羊の門 
 イスラエルでは羊飼いと羊は特別な関係を持っていました。イスラエルでは羊は肉用ではなく、羊毛を取る目的で飼 われるので、羊と羊飼いが何年も一緒に暮らすことが普通でした。ですから羊飼いは羊のことを良く知っていました 。ですから一匹一匹の羊を名前で呼ぶそうです。「黒足くん」とか「黒耳くん」なんて呼んでいたんでしょうね。羊 はあまり賢い動物ではありません。しかも性格が優しく自分を守る力もないので、羊飼いの助けがどうしても必要な のです。ですから、必ず羊飼いが先頭に立ち、羊がその後をついて行きました。羊は夜になると一つの場所に集めら れますが、暖かい季節には外に造られた簡単な壁に囲まれた場所に入れられました。そこは壁に囲まれただけで屋根 はありません。入り口には扉もなく、羊飼いがその入り口に寝そべるのでした。先ほども言いましたように、羊は弱 い動物です。壁の外にいるといろいろな危険がありました。しかし、門を通 って中に入ると、そこは安全な場所でし た。本当に安全な場所に入るためには羊の門を通 らなければならなかったのです。主イエスが「わたしは羊の門です 」と言われたのは、この羊飼いの姿を思い浮かべておられたことと思います。

 主イエスは、神がどのような方であるかを私たちに知らせるために、神としての栄光をすべて捨ててこの世に来てく ださいました。そしてそれだけでなく、神に至る道に入る門となるためにこの世に来られたのです。私たち人間も羊 とおなじように自分を導いてくださる方が必要ではないでしょうか。また、人間は自分は強いと思っていても案外弱 い存在ではないでしょうか。私たちが自分が強いと思う時、必ずその強さの元になるものを何か持っています。例え ば、自分には健康がある。自分には仕事がある。自分には技術がある。自分には地位 がある。自分には財産がある。 そのように考える時、自分が強そうに見えます。しかし、そのようなものはいつ消え去るか分かりません。いつ取ら れてしまうか分かりません。羊が囲いの外でうろうろしていると、突然、狼が襲ってくるかもしれません。あるいは うろうろしているうちに迷子になってしまって戻れなくなることもあります。羊は囲いの外にいる限り危険なのです 。人間も同じではないでしょうか。あなたは、今、自分がどこに向って進んでいるのか、自分の人生がどのようま道 を進み、どのような最後になるのか分かっておられますか。

 (2)門から入りなさい
 イエス様は、ある時、次のように言われました。「狭い門から入りなさい。いのちに至る門は小さく、その道は狭く 、それを見出すものはまれです。しかし、滅びに至る門は大きく、その道は広い。」いつも言っていますように、ギ リシャ語の言葉は意味が深いのですが、ここで「入りなさい」という言葉は、繰り返して毎日毎日入りなさいという 意味ではなく、ある時に、一回、自分で決心して中に入りなさいという意味で使われています。イエス様はご自分の ことを門だと言われましたが、ここでの命令は、その門を見て、立派な門だということをよく見なさいという命令で はありません。その門を見て、深く考えなさいという命令でもありません。その中に入りなさいという命令でした。 イエス様はその生涯を通じて多くの説教をされました。聖書の中には有名な教えがたくさんあります。その教えに感 動する人がたくさんいます。主イエスは素晴らしい方だと考えている人がたくさんいます。しかしながら、その教え を実行する人、実際にイエスの後について行く人は少ないのです。門の中に入る人は多くありません。しかし、羊が その囲いの中に入らないと危険がいっぱいあるように、私たちにとっても、主イエスの門を通 ることが一番安全であ り、確かな人生を送ることができるのです。ただ中に入るのは簡単ではありません。

 いのちに至る門は狭いのです。あるいは、イエス・キリストを信じてその後をついて行こうとするとき、自分でその 門を狭くしてしまいます。なぜ、入りにくいかというと、いろいろな迷いを感じるからです。その門を狭くしている ものが3つあると思います。一つは自我、わがままな心です。私たちは皆、自我を持っています。それを聖書は罪と 呼びます。そのため、イエス・キリストに従うときに、自分のしたいことができなくなり、自分の欲を満たすことが できないと思ってイエスの門から入ることに反対します。第二は人の目です。私たちにとっていつも人間関係がとて も大切です。イエス・キリストを信じようと思っても、他の人の目が気になります。家族はなんというだろうか。友 達は何と言うだろうか。そのような人のことが気になって中に入れないのです。3番目は将来に対する不安です。キ リストに従ったらどうなるのか心配なのです。自分の生活はどうなるんだろう。結婚できるんだろうか。仕事ができ るのだろうか。いろいろと心配するのです。しかし、イエス様は、私が羊の門です。その門から入りなさい。そのと き、あなたは、実は、一番安全なところ、一番確かな生き方ができるのだとイエス様は言われます。

 イエス様はある時に言われました。「この世の中に本当に大切なものは多くはない。いや実は一つだけである。」そ れは何かというと本当のいのちです。全世界を手に入れてもいのちを失ってしまったら何の役にもたちません。です から、ヨハネの福音書10章10節でイエス様が「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためで す。」と言われたのです。

 (3)豊かないのち 
 
10章10節のイエス様の言葉はすばらしい言葉だと思います。聖書を見ると、イエス・キリストは、ただ2000年前 にこの世に来られたのではなく、本当は、永遠から永遠に生きておられる神様です。しかし、そのような偉大な神様 が、あるときに、はっきりした目的をもって、人間の姿を取り、この世に来てくださいました。その目的とは、私た ちがいのちを得るため、しかも豊かないのちを生きるためだと主イエスは言われました。つまり、主イエスを信じる とは、本当のいのちを生きるためです。私たちが豊かに生きるために、イエス・キリストは神としての栄光を全部捨 てて、低くなって私たちと同じ姿を取り、この世に来てくださいました。私たちは生きている時に、いつも何かを求 めて生きています。生きがい、人のやさしさ、お金、名誉。自分が満たされたいと思って、何かを求めています。し かし、私たちは求めて、満たされても、またすぐに乾いてしまいます。他の人から愛されることを求めていても、決 して完全に満たされることはありません。人間の愛には限界があるからです。しかし、私たちがイエス・キリストを 求めて生きるとき、キリストが泉のようになって、私たちがたとえ渇いても、イエス・キリストがその渇きをいやし てくださいます。それは、イエス・キリストの愛がご自分のいのちを犠牲にするほどの愛だからです。イエス様は言 われました。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てます。」わたしたちが豊かに生きるた めに、主イエスはご自分のいのちを捨てたのです。イエスキリストの十字架の死は、私たちに対する無限の愛が表れ ています。良い羊飼いは羊を守るためなら、自分のいのちさえ犠牲にすることがあります。主イエス・キリストは、 私たち一人一人の弱い人間のためにいのちを捨てたのです。私たちが豊かに生きるためです。あなたをそのように見 てくださるお方がいるということをぜひ覚えていてください。聖書は、人間は神に似せて造られたと教えています。 それは、人間は神を信じて生きる時が、一番、与えられた力をフルに発揮できる意味です。

 みなさんはショーン・コネリーと言うイギリスの俳優を知っていますか。昔は007と言う映画に出ていた、かっこ いい俳優です。年をとってもかっこいい姿は変わりません。彼が62歳の時にインタビューで質問されました。「あな たは、なぜ、俳優を続けているのですか?」それに対する彼の答えは、「自分よりも良い人間、自分よりも興味深い 生き方をしている人になるチャンスがもらえるからです。」というものでした。多くの人はこの俳優のように考えて います。自分はもっと豊かな人生を生きることができるはずだ。ほんとうはもっと良い人生ができるはずだ。自分の 人生に何かが足らないと感じていませんか。聖書は言っています。イエス・キリストが、2000年前のクリスマスに 、この世に来られましたが、その目的ははっきりしています。あなたが豊かな人生を生きるようになるためです。た だ、主イエス・キリストだけが、私たちに本当に豊かな人生を与えてくださるのです。どうぞ、この主イエスを求め て見てください。

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