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今週の礼拝めっせーじ
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| 礼拝説教06/11|礼拝メッセージ集|聖日礼拝| |
| 礼拝説教
2000-06-11『主の復活の証人』 (ルカの福音書2章1-11節) 主イエス・キリストは確かに復活されました。そして弟子たちとともに40日間過ごされて、天に帰られました。いよいよ、弟子たちはイエスと本当に別 れる時が来たのです。弟子たちはイエスが十字架にかけられる時には、人々を恐れて主を見捨てて逃げてしまいました。しかし、彼らは復活の主と再会して勇気が与えられました。ユダヤ 人を恐れて部屋の中に隠れて集まっていた弟子たちは、復活の主にお会いしてからその恐れが消えました。復活の主とともに食事をし、いろいろな教えを受けることができました。主が十字架の前に語っておられたすべてのことが実現したので、弟子たちは改めてイエスが神の御子救い主、キリストであると確信することができました。しかし、40日が過ぎていよいよ主が天に帰る時が来ました。もうこの地上で二度と会うことはできません。しかし、ルカの福音書を見ると、イエスと別 れた人々は非常な喜 びを感じて、その後はいつも神殿に集まっていっしょに神を褒め称えていたとありま す。普通は誰かと別れる時は悲しいものです。ところが彼らは喜びに溢れていまし た。なぜでしょうか。それは、キリストは天に帰られましたが、主が彼らに約束を与えられたからです。 マタイの福音書を見ると、イエス様が最後に弟子たちに語った言葉は「見よ。私は世が終わる時までいつもあなたがたといっしょにいる。」というものでした。主は天に帰られるので、弟子たちの前から姿を消します。もう彼らはそれまでと同じ姿で主イエスを見ることはできません。それでは、主イエスはどのようにして弟子たちとともにいると言われたのでしょうか。今日読んだ使徒の働きの1章4節ではイエスは次のように弟子たちに言われました。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の 約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」イエス様は十字架にかかる前にも、聖霊を与えるという約 束を弟子たちにしておられます。ヨハネの福音書の16章7節です。「しかし、わたしは真実を言います。私が去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それはもしわたしが去って行かなければ、助け主があたながたのところに来ないからです。 しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。」主イエ スは弟子たちに、自分が去って行くことは弟子たちにとって益になることだと言われ ました。なぜ彼らにとって益なのでしょうか。第一に主イエスがいつまでも地上におられたら、何か困ったことがあれば主イエスのところに行けばいいので便利と言えば 便利ですが、主がエルサレムにおられるなら、ガリラヤにいる人々ははるばるエルサ レムまで行かなければなりませんし、ガリラヤにおられる時はエルサレムの人はガリ ラヤまで行かなければなりません。ですから、いつでもどこでも主イエスの助けを得られるという訳ではありません。もし、今日も主イエスがイスラエルに生きておられるとしたら、それは素晴らしいことでしょうが、もしイエスに助けてもらおうと思ったら、飛行機を乗り継いでイスラエルまで行かなければなりません。しかし、主はこの地上を去って天に帰られました。しかし、その代わりに聖霊を送ってくださると約 束して下さいました。聖霊が一人一人信じる者に与えられています。クリスチャンは いつでも、どこでも助けを求めることができます。聖霊なる神様がどこにでもおられて私たちを導き、守り、助けてくださるからです。 主イエスと別れた弟子たちは、主イエスの命令に従って毎日一緒に集まってお祈りをしていました。彼らは何について祈っていたでしょうか。「これからどうして生きていこうか」とか「仕事や生活をどうするか」なんてことを祈っていたのではありま せん。彼らは、聖霊が下るのを待っていたのです。使徒の働きの1章8節に有名な言葉があります。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。 そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまでわたしの証人となります。」という言葉です。彼らが待ち望んでいた聖霊は、主イエスの約束の聖霊です。それは目には見えませんが、神ご自身が私たちとともにおられることを保証するものです。しかし、神がなぜ私たちとともにおられるかと言うと、それは私たちが復活した主イエスの証人となるためなのです。イエス様は私たちに助け主を送ると 言われたのですが、聖霊がどんな助けをするかと言うと、クリスチャンが神様のために証人として働くときの助けをするのが第一の目的なのです。もちろん、私たちの生活のすべての面 で聖霊は私たちに働いてくださいます。私たちに慰めを与え、喜びを与えます。しかし、私たちに聖霊が与えられる第一の目的は、私たちが主イエスの証人として働くためなのです。 さて「証人」とは普通、その人が見たこと聞いたことを忠実に語る人を意味しま す。イエスは天に帰られる時に「あなたがたはわたしの証人となる」と言われましたが、クリスチャンとは、別 の言い方をすると、キリストを証言する者ということにな るでしょう。証人は自分が語ることを考え出したり、作り出す必要はありません。ただ、自分が経験したこと見聞きしたことを語ればよいのです。しかし、これが案外難 しいのです。忠実な証人として生きること、これが神様がクリスチャンに期待していることといえます。実は、ギリシャ語では「証人」という言葉と「殉教者」という言葉が同じなのです。それは、キリスト教の歴史を見ると、信仰を正直に証ししたため に多くの人がいのちを失ったことを見ると当然のことと思われます。現代を生きるク リスチャンにとっても、真実を真実として語ることには勇気が要ります。回りの人々が反対の意見を持っていたり、また正直に語ると自分の生活にいろいろマイナスなことが起こると思われる時は難しいのです。昨日、東京でマーチフォージーザスというのがありました。これは1987年にロンドンで始まった草の根運動で、全世界で一千万人以上の人が同じ日に町を行進して人々にイエスのことを知らせるものです。教会からもCSの子どもたちや大人が参加しましたが、参加した人の話を聞くと、多くの人が 無関心でトラクトを受け取ろうとしないで砂漠を歩いているような気分だったということです。神に従わないこの世界ですから、復活したキリストの証人として働くことは難しく、聖霊の力が与えられる必要があるのです。私たち自身のうちにはそのような力がありません。イエスの約束を聞いた人々は約120人でした。彼らはともに集 まって、聖霊を待ち望んで祈っていました。彼らはイエス様の証人となることを願 い、そのために必要な聖霊が与えられることを真剣に祈っていたのです。 さて、使徒の2章1節には「五旬節の日になってみなが一つ所に集まっていた」と記 されています。五旬節をギリシャ語ではペンテコステと言います。これはユダヤ教で 一番大切な祭り「過ぎ越し」から50日目の祭りという意味です。50日は7週間ですか ら、「七週の祭り」とも呼ばれていました。これは小麦の収穫の始まりを祝う祭りで す。大変重要な祭りで、この日はユダヤ人の男子は、みなエルサレムの神殿で礼拝をしなければなりませんでした。そのために、イエス様が十字架につけられたのが過ぎ 越しの祭りの時ですから、その時もエルサレムは祭りに来た人でごったがえしていましたが、この時もエルサレムにはたくさんの人が集まっていました。神様はこの日を 選んで、初めて信者に聖霊を天から注いでくださいました。彼らが集まっていたのは 「家」と書いてありますが、後の出来事を考えると彼らは神殿の片隅に集まっていたのではないでしょうか。あまりにもたくさんの人々が集まってくるからです。この出来事は、驚くべき現象となって現れました。この出来事を記したルカもその現場にい たと考えられます。今まで一度も経験したことのないような出来事でした。彼は自分 の言葉で表現できる限りの書き方をしています。ものすごい音が聞こえました。「激しい嵐のような風」の音です。また、彼の目には一人一人集まって祈っていた人の頭 の上に炎のようなものが見えました。聖霊が下ったときに何が起きたのでしょうか。 一つはそこに集まっていた人々が聖霊で満たされました。約束のものを待ち望んでい た一人一人が約束の通り聖霊で満たされたのです。そして、もう一つは、「聖霊の力 によって」彼らは一人一人外国の言葉で話し始めました。彼らは外国の言葉で何を 語ったのでしょうか。11節を見ると、彼らは「神の大きなみ業を語る」のを聞いたの です。このように全然勉強もしないで一気に外国語が話せるようになりたいと思いますが、彼らは、自分では無意識のうちに訳も分からず外国語を話していました。それも「こんにちは」とか「ありがとう」というような簡単な挨拶の言葉を言っているの ではないのです。神様は何とすばらしいことをしてくださったというような、非常に深い話をしているのですから、これはまさしく奇跡だったのです。 この後、聖霊の力を受けたペテロは、物音を聞いて集まってきた人々に向かって説教を始めました。主イエスを裏切り、イエスを捨てて逃げ去ったペテロが復活の主と出会い、そして聖霊の力を受けたときに本当に主に用いられる働き人になりました。 彼は大胆に語りました。ペテロは11人とともに立ち上がったと書かれています。彼の 説教を聴いてその日信じた日とが3000人もいたのですから、彼は大群衆を前にして説教したのです。もう以前のように一人の人の言葉を恐れるペテロではありませんでし た。彼は優しいメッセージをしたのではありません。イエスを十字架につけた罪を責 めて悔い改めなさいとはっきり語っています。そして、3000人が救われ、彼らは使徒 たちの教えを守って交わりをし、聖餐式を持ち、祈っていました。これが教会の誕生なのです。聖書は、このペンテコステの日に教会が誕生したことを記しています。 聖霊に満たされるとき、何が起こるのでしょうか。彼らは聖霊の支配を受けて、一つの思いになりました。誰もが外国の言葉で話し始めました。彼らはいろいろな言葉で話しましたが、話している内容は同じです。神を褒め称えていたのです。これは教会の使命を現わしています。教会は、復活の主イエスの福音を全世界のあらゆる民 族、あらゆる人々に、それぞれの言葉で宣べ伝えることです。しかも、この聖霊が下るということが「ペンテコステ」小麦の収穫を祝う日に起こったことも象徴的です。 小麦の収穫が始まる時に行われるこのお祭りは、これから続く収穫の全てを神様が豊かに祝福してくださることを信じて感謝の気持ちを表すためのお祭りでした。聖霊が下った時、神様は魂の収穫を約束してくださったのです。罪と悩みの世界の中で生き ている多くの人々を、愛と希望の世界に導き入れる、その魂の収穫が約束されています。教会の使命は、私たちがただ自分が救いを受けたことを喜ぶだけで終わってはい けません。自分が経験した喜びを他の人にも伝えなければなりません。聖霊はそのために力となってくださるのです。私たちも祈り求めましょう。2000年前のペンテコス テの日に聖霊が初めて下りました。しかし、その後も弟子たちが聖霊に満たされたことが繰り返し書かれています。私たちも信仰を持ったときに聖霊を受けています。聖霊を受けたからこそ、イエスが救い主であるという信仰告白をすることができたので す。しかし、弟子たちが聖霊に満たされつづけたように、私たちは聖霊に満たされつづけなければなりません。私たちが心を合わせて祈る時に神様は必ず約束の聖霊で私たちを満たしてくださり、新しい力、新しい愛、新しい喜びを与えてくださいます。 しかし、それは私たちが自分がいい気持ちになって過ごすためではありません。人々に福音を知らせ、喜びを分け与えるためなのです。そして神様は魂の刈り取りを保証してくださるのです。ですから、私たちは聖霊の保証を受けて、復活したキリスト、 死と罪に勝利されたキリストの証人として、生きて行きましょう。この日本もこれまで人々は福音に心を閉ざして来ました。いまだにクリスチャンは人口の1パーセント もいません。しかし、時が変わって来ているように思います。結婚式は教会でするのが主流ですし、ゴスペルが本当に流行しています。人々が何かを求めているのですか ら、その何かを教えてあげさえすればいいのです。 今年、ミッションバラバの本が映画化されます。渡瀬恒彦さんたちが出演するそうです。リバイバル新聞にその渡瀬恒彦さんが大川先生の教会の礼拝に出席されたという記事が載っていました。ヤクザがどうしてあんなに変わったのか、主役を演じる渡 瀬さんが礼拝に出て研究したのだろうかという記事でした。この映画なども用いられ て、一人でも多くの人に復活の主イエスを信じて生きる希望と喜びの人生を伝えて行きたいと思いませんか。 ページのTOP (上記の文章を許可なく他に転載することを禁止します。) |