今週の礼拝めっせーじ
礼拝説教06/25|礼拝メッセージ集聖日礼拝


礼拝説教 2000-06-25『鎖を解き放つ神』 (使徒12章1-17節)

 今日は、聖書に出てくるペテロの生涯の最後の部分についてお話ししたいと思います。ペテロはイエスの弟子になる 前は漁師をしていました。彼は弟子として働いていた時も他の人々からは無学の人と思われていました。正式な教育 を受けていなかったようです。漁師ですから、体は頑丈だったでしょう。行動的でリーダーになる素質を持っていま した。しかし、彼には性格的に弱い所がありました。福音書に出てくるペテロは、あまり深く考えずに行動してしま うタイプで、いろいろな失敗をしました。考えなければならない時におしゃべりをして、目を覚ましていなければな らない時に眠り込んだりしました。イエス様がペテロの足を洗おうとされた時に「止めてください」といっておきな がら、すぐ後で「体全部を洗ってください」とお願いしたりしています。どことなくアンバランスな性格でした。し かし、主イエスは彼の中にいろいろな能力があることを見抜いておられました。ペテロはもともとシモンという名前 でした。主イエスがシモンに会って最初に言われた言葉は「あなたはヨハネの子シモンです。しかしわたしはあなた をペテロと呼ぶことにします。」と言われました。彼はあわて者だったのにイエス様は何と彼をじっと動かない「岩 」と呼びました。兄弟のアンデレはびっくりしたかも知れません。(うちのお兄さんはすごく気が変わりやすいのに なんで岩なんだろうか)と思ったでしょう。しかし、すべてを見抜く主イエスは、そのペテロの中にはっきりと「岩 」なることのできるものがあることを知っておられたのです。福音書を見ると彼の失敗がいろいろと書かれています 。だから、私たちはペテロが好きなのです。自分と同じような弱さをもっているからです。しかし、3年間、主イエス は忍耐をもって彼を教え、シモンは少しずつシモンでなくなり、少しずつペテロになりました。主イエスの復活の後の 出会い、そしてペンテコステの経験を通して、ペテロは主イエスと初めて会った頃とはすっかり別 人のようになった のです。

 福音書では臆病者であったペテロですが、ペンテコステの出来事の後は、使徒たちの本当のリーダーになっています 。使徒の働きの最初の12章にはペテロの活躍が何度も出てきます。彼は使徒の働きを見ると3回牢獄に入れられまし た。最初はペテロがヨハネと一緒に神殿で伝道していたのが原因でした。(4章2節−)二人を捕まえたユダヤ教の指 導者たちは二人を釈放する時に、今後絶対にイエスの名を語ってはならないと言ったのですが、ペテロは答えました 。「自分が見たこと、聞いたことを話さないわけには行きません」と堂々と答えています。2回目はペテロが神殿で大 胆に説教していたので議会に連れてきました。結局、ユダヤ教の指導者はペテロや他の使徒たちをムチで打ち、イエ スの名によって語ってはならないと言って釈放しました。その時、使徒たちは、主イエを信じる信仰のゆえに辱めを 受ける者になったことをむしろ喜んだと、聖書は言っています。そして、3回目が今日の箇所です。ローマ帝国や、ユ ダヤ人たちがクリスチャンたちに迫害を加えれば加えるほど、主イエスを信じる人々はどんどん増えて行きました。 それに困り果てたユダヤの王ヘロデは、まず12弟子の一人であるヤコブを捕まえて殺しました。それがユダヤ人たち を喜ばせたことを知って、今度はペテロも捕らえて投獄し、過越の祭が終わったらペテロを処刑しようと考えていま した。ヘロデ王はローマの軍隊の真似をして、4人一組の兵隊を4組み作って交替で一晩中監視させていました。それだけではなくペテロは鎖につながれて二人の兵士の間で眠らされ、また牢屋の外には2個所検問所を作って、最後に 鉄の門を閉めて絶対に逃げられないようにしてありました。ペテロは監獄の中にいるたった一人のクリスチャン。相 手はイスラエルの国が権力を全部つかってペテロを捕まえているのですから、普通 に考えると、ペテロはもう絶対絶命です。しかしペテロはどうしていたでしょうか。6節を見ると、「ヘロデがペテロを処刑しようとしていた前夜、ペ テロは2本の鎖につながれて、二人の間で寝ていた」と書いてあります。明日死刑が行われるということをペテロも知 っていたはずです。それなのに彼はぐっすり眠っています。彼にはもう助かる見込みはなかったのです。明日死ぬ ことが確実の状態なのに、彼はなぜこのようにぐっすり眠ることができたのでしょうか。それは、クリスチャンには、 最後の瞬間まで頼ることのできる全能の神を持っているからです。クリスチャンはたとえ医者に見離されて、頼るべ きものがなくなったように見えるときでも決して絶望する必要はありません。私たちのためにいつも一番良いことを してくださる全能の神様がおられるからです。よく言われることですが、クリスチャンは八方ふさがりでも、右も左 も前も後ろもふさがっていても、上を見上げて祈ることができるのです。全能の神、今も生きておられる神を信じる クリスチャンの力は絶体絶命と思われる時にはっきりと現われるのです。ペテロも明日殺されるという晩に、神様にお祈りを捧げてすべてを神様に委ねました。すると、その夜、平安のうちに眠ることができたのです。

 そのとき、主の使いが現われました。牢屋の中を明るく照らしたのですが、それでもペテロは気づかずにぐっすり 眠っています。それで御使いはペテロの脇腹をつついて起こし「すぐに起きなさい」と言いました。すると自然に彼の手から鎖が外れました。ペテロは御使いが言われるままに、半分寝とぼけたような状態で御使いが指図するまま に「帯を締め、くつを履き、上着を着て御使いについて行きました。」第一の検問所、第二の検問所、そして最後の 鉄の扉もすべて勝手に開いたのでペテロは外へ出ることができました。すると、その時突然、御使いの姿がペテロの 前から消えてしまいました。この時に初めて、ペテロは「われに返って」これらすべてのことは主がしてくださったのだということが分かりました。

 ペテロは、われに返り、主が自分を絶体絶命の状態から救い出してくださったのだと気がついたときに、すぐ「マル コと呼ばれているヨハネの母マリヤ」の家に行きました。そこではペテロが助け出されることを願い求めて祈祷会が 持たれていたのです。クリスチャンはもともと信者の家に集まって礼拝や祈り会をしていたのですが、人数が増えて くると家では狭くなったので、彼らはエルサレムの神殿の庭に集まっていました。ところが、クリスチャンに対する迫害が激しくなってきたので、神殿の庭に集まることができなくなっていました。それで、クリスチャンたちはグ ループに分かれて、また信者の家で集まるようになっていました。ペテロはマリヤの家に行きました。ペテロが入り 口の戸を叩くとロダという名前の女中が出てきました。ところがペテロの声だと分かると、入り口を開けることを忘 れて奥の部屋に駆け込んで「みなさん、ペテロさんです。ペテロさんが来ています!」と叫びました。ところが、ペ テロ救出のために祈っていた人々は誰もロダの言葉を信用しません。「おまえは気が狂っている。」「ペテロのこと が心配のあまり、誰の声もペテロの声のように聞こえるのだ」とか何とか言って、むしろこの女中を叱ったのです。 そんなことをしているものですから、ペテロは入り口を開けてもらえず、戸の外で「開けてくれ」とノックしつづけ ていました。部屋の中で言い合っていた人たちも玄関をどんどん叩く音が聞こえるものですから、入り口を開けに行 くと、驚いたことにそこにペテロが立っていたのです。そこに集まって祈祷会を開いていた人々も、自分たちの祈りが余りにも早く答えられたので信じることができなかったのです。彼らは信じないで祈っていたのではありません。 あまりにも神様の働きがすばらしかったので信じられなかったのです。

 主イエスが私たちに与えてくださったすばらしい約束は「見よ。世の終わりまでいつもあなたがたとともにいます。 」というものです。先日も藤本先生が言われましたが、私たちが信じている神は、ちっぽけな神様ではありません。 この壮大な宇宙を造って、今も支配しておられる神です。私たちの宇宙は神様の支配の中に置かれているので、いつも規則正しく動いているのです。その全能なる神様がともにおられるとき、しかも、私たちの味方である時に、 誰が私たちの敵になることができるでしょうか。ペテロが次の日に処刑されるというのに、あんなにぐっすり眠って いたのは、全能なる神様を心から信頼していたからです。また、クリスチャンが熱心に祈っていたのは、絶体絶命、 もう何も頼るものがないと思われるときも私たちは祈りを聞いてくださる神がいることを知っているから祈るのです 。ペテロは熟睡しており、マリヤの家に集まったクリスチャンたちは徹夜で祈り会を開いていました。誰もが神を信 頼して生きていたのです。あなたの人生にもこの全能の神、今も生きておられる神様が働いておられます。 この後ペテロがどのように生きたか詳しいことは分かりません。その後、使徒の働きはパウロの活動だけを書いています。その後の詳しいことは分かりません。コリントの教会にペテロ派と呼ばれるグループがあったようですから、 コリントにもしばらく滞在したかも知れません。彼は聖書に二つの手紙を残しました。アジア地方に散らばっていた 多くのクリスチャンが迫害を受けて苦しんでいたのですが、このクリスチャンを励ます手紙を書きました。ローマか ら書いたと思われます。彼はクリスチャンに対して行われていた迫害がどれほど厳しいものであるかを知っていまし た。しかし、彼は自分の体験から、聖書の神がどんな国の権力にも負けない全能の神であることを知っていましたか ら、彼らを励ますことができたのです。最後は彼は、伝説によると逆さの十字架の刑によってローマで殉教しました 。気まぐれで臆病だったガリラヤの漁師シモンは、主イエスの働きを通して、まさに、不動の岩ペテロとしての生涯 を生き抜いたのです。福音書では彼はしばしばシモンという名前で呼ばれていますが、使徒の働きになるとペテロと いう名前ばかりが使われています。キリストが見抜いておられたように、彼は初代教会の岩として働いたのです。 全能の神はあなたとともにおられます。どんな問題をも乗り越える力を与えてくださいます。シモンからペテロに変 えてくださった主は、また鎖をも解き放つ力を持っておられる主です。私たちは、ペテロのように神の導きにしたが って立ち上がり帯を締める責任があります。しかし、従って行く時に、閉じられた門を開いてくださるのは神ご自身です。モーセがユダヤ人を連れてエジプトを脱出した時に大海を二つに分けられた神にとって閉じられた門を開くこ とはいとも簡単なことです。誰が妨げようといろいろ手を尽くしても、神の御心を変えることはできません。そのよ うな神が私たちの味方であるなら、もはや私たちを神から引き離すものは何一つありません。あなたの人生は主の全 能の御手の中にしっかりと握られています。信頼して歩んで行きましょう。

 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも 、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(ローマ人への手紙8章37-39節)

    

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