礼拝説教
2000-07-16『本当の強さの源 』 (ヨシュア記1章1-9節)
(イントロ)
今年の夏は、礼拝メッセージをヨシュア記から学びます。ヨシュア記は旧約聖書の6番目の書物です。創世記から申命記まで最初の5つの書物はモーセが書いたと考えられているので「モーセ五書」と呼ばれます。聖書に出てくるイスラエルの民は決して強い国民ではありませんでした。今から4000年前にアブラハムという人間を神様がお選びになって、彼の家族から現在のイスラエル人が生まれました。いろいろな出来事を経て、イスラエルの民はエジプトに移住します。最初は大切に扱われていましたが、人数が増えてくるとエジプト人はイスラエルの民を恐れるようになって、奴隷としてひどい扱いをするようになりました。エジプトにあるすばらしい建物、ピラミッドや神殿の多くは奴隷であったイスラエルの民の苦しい労働によって建てられたでしょう。あまりの苦しさに人々は神に助けを求めました。そこでモーセと言う指導者が選ばれて、エジプト脱出の旅に出ます。神様がかれらが元いた場所に連れて行くことを約束してくださったのです。そこは本当に豊かな土地なのですが、そこに行くまでの途中は砂漠、荒野でした。彼らは神様に対して不信仰な態度を続けたために40日ぐらいで行けるところを40年もさまよい続ける結果
になりました。今日読みましたヨシュア記には、40年さまよった後、彼らの指導者モーセが死んだため、新しいリーダーとしてモーセのアシスタントであったヨシュアが選ばれて、いよいよ約束の土地へ入るという出来事が書かれているのです。その神が約束してくださった土地をイスラエルの民が闘って征服して行く記録なのです。長い間のエジプトでの奴隷生活、その後40年の荒野をさまよう生活、これらの苦しい時代が終わって、イスラエルの民にいよいよ新しい時代がやってきました。ですから、「ヨシュア記」は神の民にとっての新しい始まりの書物とも言われます。私たちは、一度しかない人生を生きていますが、このまま何も変わらないで続いて行ってもいいのでしょうか。何かが変わらなければならない、人生でもう一度スタートし直す必要がないでしょうか。ヨシュア記は、そのような人々にいろいろなことを教えてくれる書物だと思います。
(時代背景)
エジプトを脱出してから40年が経ちました。イスラエルの民はようやく遠くに約束に土地が見える場所まで来ました。モーセはすでに120才になっていました。悲しいことに、モーセはヨルダン川を渡って約束の土地に入る前に死にます。イスラエルの民は偉大な指導者を失ったのです。モーセのアシスタントとして忠実に仕えていたヨシュア自身、モーセの死をどれほど悲しんだでしょうか。彼は、まさか自分がモーセの後を継いでイスラエルの民の導く指導者になるなどとは夢にも思っていなかったでしょう。しかし、彼は選ばれました。彼はびっくりしました。彼は自分の弱さをよく知っていました。彼は震えました。彼には励ましと支えが必要でした。神様もモーセも、ヨシュアの弱さをよく知っていました。ですから、申命記の31章を見ると、モーセも神様も繰り返して「強くあれ。雄々しくあれ。待ち受ける敵を恐れてはならない。おののいてはならない。」とヨシュアに語りました。繰り返し「強くあれ」と言われていると言うことはヨシュアが自分は弱い人間だと考えていたことを示しています。また「雄々しくあれ」と言われていることは、ヨシュアが自分の責任や待ち受ける敵のことを考えて恐れていたことを示しています。「おののいてはならない」と言われているのを見ると、もしかするとヨシュアは自分に与えられた指導者としての働きを辞めた方がいいんじゃないかと考えていたかもしれません。とにかく、ヨシュアは精神的にもぎりぎりの状態に置かれていたと思います。ところが不思議なことに、神様が人に何か大きな働きを任せるのは、そのように人が自分の弱さを感じて恐れている時なのです。私たちが強すぎる時、自分の計画、自分の考え、自分のやり方をしっかり持っているとき、神様は人間を用いることはできません。この世の考え方とまったく反対なのです。神に選ばれた人々はみな自分の弱さを知っている人たちでした。しかし、神様は、そのような弱い人々に神様の力を与えてくださるのです。神の力は人間の弱さの中で完全に働くのです。このヨシュアは神様とモーセから繰り返し「強くあれ」と言われなければならないほど臆病な人間だったようです。しかし、ヨシュアはモーセの後を継いだ立派な指導者として、約束の土地を次々に征服するという大きな働きを成し遂げました。このことについてはまた、後ほど学びますが、このヨシュアの力の秘訣は何だったのでしょうか。
1.神に対して忠実な人であった
神様は、長い時間をかけてヨシュアを将来のリーダーにするために準備と訓練の期間を持たれました。彼はまだイスラエルの人々が奴隷としてエジプトで暮らしていた時代に生まれました。お父さんの名前はヌンと言ってもともとは「ホセア」という名前でした。「ホセア」とは救いという意味なのですが、モーセが彼の名前を「ヨシュア」に変えました。その名前の意味は「神は救い」という意味です。実は、この名前が新約聖書の言葉であるギリシャ語にすると「イエス」となるのです。イスラエルの民はエジプトを脱出するときに何度も何度も死にそうな目に会いました。しかし、その都度、イスラエルの神が彼らを助けました。ヨシュアは神の力、神の奇跡を自分の目で見ていました。イスラエルの民は神様に導かれてベエルシェバという街までやって来ました。ここは神様が約束した土地との国境にある街でした。もう約束の土地はすぐ近くにありました。素の時、神様はモーセに命令してイスラエルの12の部族から代表者を1名ずつ選んで約束の土地を偵察するようにと言われました。12人のスパイが選ばれて土地の偵察に出かけて、戻って来ました。そして人々に自分たちが見た土地は本当にすばらしい場所だと報告しました。しかし、12名のうち10名がその土地に住んでいる人はすごく背が高くて強そうだから戦争をしても絶対負けると言って人々をがっかりさせました。ただ残りの二人、ヨシュアとカレブだけは「神様を信頼して闘えば絶対に勝利する」と言って人々を励ましたのですが、イスラエルの民は二人の言葉を聞かず、10人の言葉を信じました。」この不信仰のために彼らは40日で行けるような場所まで行くのに40年もかかってしまうのです。ヨシュアは神様を純粋に信じていました。主の力は人間の力よりも強いと信じていました。ですから、人間的に見て勝ち目がなさそうでも、神様がいっしょにいるなら勝てると確信していたのです。
彼は神様の言葉、約束を信じて忠実に従う人でした。神様は小さなことに忠実な人を大きなことに用いる方です。私たちは、毎日の平凡な生活の中で、文句を言ったりつぶやいたりすることがあります。しかし、注意してください。もしかすると神様が、あなたを、もっと大きな働きができるように準備、訓練をしておられるのかも知れません。今与えられている働き、今置かれている状況の中で忠実に生きる者を神様はお用いになるのです。神様は私たちの生活の中で、気がつかないような所でも、実は働いておられます。小さな出来事にも大きな出来事にも働いておられます。小さなことに忠実に生きた人、それがヨシュアでした。あなたも今、与えられていることに忠実に仕えていると、やがてヨシュアに声がかけられたように、神様から大きな働きを頼まれることになります。
2.神が共におられることを知っていた
神様がヨシュアに約束されました。5節です。「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを捨てない。」ヨシュアはモーセのアシスタントでしたから、いつもモーセと一緒にいました。彼はモーセが神様と深い交わりを持っているのを知っていました。聖書を見ると、次のように書かれています。「主は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた。」彼は、いつもモーセといっしょにいましたから、モーセが200万人とも言われるイスラエルの人々のリーダーとして働くことがどんなに大変であるか、よく知っていました。イスラエルの民は何度もモーセに反抗しました。文句を言いました。しかし、その都度モーセは神様に祈りました。そして神の導きを受けました。モーセの祈りに答えて神様が反対する人々に裁きを与えました。ですから、ヨシュアはモーセの力の秘訣が神様との深い交わりであることを知っていました。ですから、この5節で与えられた神様の約束はヨシュアにとってどんなに大きな励ましとなったでしょうか。モーセとともに働いておられた神が約束されたおです。「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」ヨシュアの行く手には様々な困難が待ちうけています。敵が待ち構えています。しかし、ヨシュアは全能の神が共にいることを知っていました。ですから、彼は大勢のイスラエルの民を率いて約束の土地に入ることができたのです。しかし、本当にすばらしいのは、この約束がモーセやヨシュアにあたえられただけではなく、今生きる私たちにも与えられているということです。マタイの福音書はクリスマスストーリーで始まっていますが、主イエスが生れる前に御使いが「その救い主の名はインマヌエルと呼ばれる」と言いました。インマヌエルとは「神が私たちとともにおられる」という意味です。またマタイの福音書は、復活された主イエスが天に戻られる場面
で終わっていますが、天に帰られるイエスの最後の言葉は「見よ。わたしは世の終わりまであなたがたとともにいます。」という言葉でした。使徒パウロが言ったように、もしも神様が私とともにおられるのなら、誰が私たちの敵になれるでしょうか。神様は、世の終わりまであなたとともにおられるのです。
3.神のみ言葉をしっかり心に刻む人であった
8節で主はヨシュアに言われました。「この律法の書(つまり聖書)を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。」私たちは、ただ「強くあれ」とか「雄々しくあれ」とか言われるだけではプレッシャーが強くなるだけです。そのような時、神様は、神の言葉をただ読むだけではなく、その言葉の意味を深く味わいなさいと言われました。ヨシュアにとって、神の言葉とは、今私たちが持っている聖書の中でもヨシュア記の前、つまりモーセが書いた5つの書物のことを指しています。モーセは、イスラエルの民の指導者として苦労しながら、神様から受けた言葉を書きとめていました。出エジプト記の17章では、ヨシュアがアマレク人という敵と戦ったときのことが記されています。その時イスラエル軍の司令官はヨシュアでした。モーセは丘に登ってイスラエル軍のために祈っていました。二人の人に支えられてモーセは一日中両手を上げて祈り続けました。その結果
、アマレク人は全滅しました。その時、主はモーセに言われました。「このことを記録として書き物に記し、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう。」この時すでに、主は将来ヨシュアがリーダーになることをご存知だったのです。
ヨシュアが何も知らない時に、すでに全能の主はいろいろな配慮をしてくださるのです。私たちは自分の力だけに頼って生きる時、自分の力以上のことはできません。しかし、このように私たちを導き、備え、助けてくださる神様がともにおられること、また様々な力あるわざをなさることをみ言葉を通
して思い出すことが私たちにはどれほど力になるでしょうか。ヨシュアは、神様の命令に従って昼も夜も彼が持っていた聖書の言葉をくちずさんでいました。私たちも、自分の考え自分の思いに頼らず、神の言葉を頼りましょう。今、神様はみ言葉を通
して私たちに働いてくださいます。
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