今週の礼拝めっせーじ
礼拝説教08/13|礼拝メッセージ集聖日礼拝


礼拝説教 2000-08-13『神の力を忘れるな』 (ヨシュア記4章1-7節)

 ヨシュア記の背景
  前回のメッセージでは、今から3500年ほど前の時代、イスラエルの指導者モーセによってエジプトの奴隷状態から救い出されたイスラエルの民が40年砂漠をさまよった後に、ようやく神様が約束された土地パレスチナに入ったことをお話ししました。彼らはヨルダン川という川を東から西に渡ってパレスチナに入りました。現在のイスラエル共和国がある場所です。時期は春でした。雪解け水と雨が重なり水嵩が大幅に上がっていた川を渡るのは不可能でした。しかし、神の約束に従って、ユダヤ教の聖職者であった祭司たちがヨルダン川に足を踏み入れた瞬間、非常に強い風が吹いたのか、川の上流で流れが逆流し、イスラエルの人々がいた場所では水がなくなり、川底が現われたのでした。祭司たちが契約の箱という大切なものを担いで川の真ん中に立ちつづける間、川が乾いており、イスラエルの民は全員川を渡り終えることができました。

 イスラエルの民の先頭を進んで行った祭司は、私たちのすべての主イエス・キリストを表わしています。祭司の足がヨルダン川に触れた途端、川の水がその足の所から後ろへ引きました。また一歩踏み入れると、また川の水が引きました。そして一歩一歩前へ進むごとに水が引き、祭司は、すべての民が渡り終えるまで川の中に立ち続けました。あなたの人生の前を主イエスが歩いてくださいます。たとえおぼれそうな水があなたを襲ってもあなたの前を進む主イエスがその水を引き下がらせてくださいます。そして、あなたが人生のいろいろな所を通 り過ぎる間、その真ん中にしっかりと立ちつづけておられるのです。

 あなたは、今、自分の人生に疲れていませんか。前にある困難な状況を見て立ちすくんでいませんか。いつも言っているように、聖書は、信仰者に災いや苦しいことが決して起こらないとは約束していません。しかし、私の人生の最後まで、主イエスがともにいてくださり、私たちを守るためにしっかりとそばに立っておられるのです。

 アムステルダムでジョニー・エリクソン・タダという女性が証しと賛美をしました。ジョニーは17才の時に海で水の中に飛び込んだ時に首を打って四肢、つまり両手両足の麻痺で車椅子の生活になりました。しかし、その絶望の中で主イエス・キリストを知り、星野冨弘さんと同じように口に筆を加えて絵を描いてアメリカで有名になりました。そして体の不自由を抱えてはいてもキリストを信じる信仰によって力強く人々に希望のメッセージを伝えておられる方です。その方のお話しがとても印象的でした。アムステルダムには世界中の牧師や伝道者が集まっていました。ある時、車椅子に座った彼女のところに一人の伝道者が来て「あなたの体が癒されるように祈ります。」と言ってお祈りをしたそうです。そして「さあ、立ち上がりなさい」と言われた彼女は立ち上がろうとしたのですが、立つことはできなかったそうです。集会の中で、彼女は「私は車椅子に縛られて生きています。でも、私には体のいやしよりも、主イエスご自身が必要なのです。癒されなければならないのは体だけではなくて、私の心、私の魂だからです。私は何よりも主イエスを必要としています。」と力強く語られました。日系人と結婚した彼女は来月初めて日本を訪問します。9月26日の火曜日の夜に新宿にある四谷区民ホールで彼女の歌と話しの集会があるので是非ご参加してください。

 私たちの人生には思いもよらないほど多くの問題、困難があります。しかし、そのような問題・困難を乗り越えさせてくださる主イエス・キリストがおられることを忘れないで下さい。復活された主イエスは、目には見えませんが今も私たちともに生きておられます。私たちを愛し、私たちを守り、私たちを導いておられます。

 さて、今日は、イスラエルの民がヨルダン川を渡り終えて、神様が彼らに約束していた土地パレスチナに入った直後の出来事です。神様がヨシュアに向って言われました。「12の部族から一人ずつ選んで、ヨルダン川の真ん中で祭司の足が堅く立った所から12の石を取り、それを持って来て、あなたがたが今夜泊まる宿営地にそれを据えよ。」選ばれた12人は再びヨルダン川の中に入って行きました。まだ、その時契約の箱をかついだ祭司たちは川の真ん中に立ったままでした。彼らは大きな石を拾い上げて背負ってそれを最初の宿営地となったギルガルという町まで運んだのです。ギルガルはヨルダン川から10キロ以上離れた所にありました。その町の一角に大きな石が12個積み上げられました。

 これは神様のすばらしい働きを記念するためのものでした。私たちの心は本当に忘れやすいものです。私たちは、覚えておかなくてもいいことをいつまでも覚えていて、逆に覚えておかなければならないことをすぐに忘れてしまうものです。聖書には「愛は人のした悪を思わず」と書かれていますが、私たちは他人から受けた悪をなかなか忘れることができません。口では赦すと言っても、また本当に赦そうと決心していても、何かのことですぐにそのことを思い出してしまうものです。逆に、私たちは神様から様々な恵みや祝福を受けていながら、また大きな働きをしてもらっておきながら、すっかり忘れて全てのことを自分の力だけで生きていると考えがちです。そのような私たちに神様はこれらの石をあなたがたの間でしるしとしなさい。私があなたがたに行ったすばらしい働きを覚えるためであると言われました。

 私たちクリスチャンも、神の働きを忘れやすいものです。神を知らずに自分勝手な人生を生きていた私を神様は選んで、主イエス・キリストの十字架の意味を教えてくださり、私たちのすべての罪を赦して永遠のいのちを与えてくださいました。クリスチャンのことを英語では「ボーンアゲン」とも言います。「生まれ変わった者」という意味です。私たちは、自分の力では自分の生き方を変えることはできませんでした。しかし、十字架に表わされた神様の愛を知って、神様の力によって生まれ変わった者なのです。イスラエルの民がヨルダン川を渡って約束の地に入ったように、私たちも永遠の死から永遠のいのちに移ったのです。ヨハ ネの福音書5章24節には主イエス・キリストの言葉として「わたしのことばを聞いてわたしを遣わした方、(すなわち父なる神)を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」と書かれています。永遠の滅びに至る場所に立っていた者が、信仰によって永遠のいのちにいたる場所に移ったのです。

 ところでヨシュアは、祭司たちが立っていたヨルダン川の真ん中にも12個の石を積み上げました。12部族の代表が積み上げた石の塔は地上に高く立ち、ヨシュアが積み上げた石の塔は川の下に沈みました。川の中に沈んだ石の塔は過去の不信仰や罪が主イエスによってすべて覆われてしまったことを暗示しているようです。そしてギルガルという町に高く積み上げられた石の塔は、神の力によって救い出され、新しいいのちに入れられた喜びを示しているようです。

 クリスチャンは川を渡ったのです。クリスチャンはすでに永遠の人生を生き始めているのです。主イエスの側についたからです。主イエスとともに生きているので、わたしたちはこの地上の人生でどのようなことにであっても、パウロの言葉を借りれば「圧倒的な勝利者」になるのです。私たちは、そのことを決して忘れてはなりません。自分はもう川を渡り切ったのです。もう逆戻りすることはできません。今までは人間の愛を求めてうえ渇いたかもしれません。しかし、今は神の愛により頼む道が広がっています。今までは人から認められることにうえ渇いていたかもしれません。しかし、今は「よくやった」と言ってくださる主イエスの言葉を待ち望むことができます。人からの助けを求める生き方から、神の助けが備えられた永遠の人生に入ったのです。私たちの先頭には常に主イエスが進んで行かれます。いろいろ思い煩わずに、主イエスを信頼して前進を続けましょう。

ページのTOP (上記の文章を許可なく他に転載することを禁止します。)