今週の礼拝めっせーじ
礼拝説教08/20|礼拝メッセージ集聖日礼拝


礼拝説教 2000-08-20『神に従えば勝利の人生』(ヨシュア記6章1-7節)

 今日は旧約聖書でも有名な出来事である、エリコの町が崩れ去ったことを取り上げます。これまでお話ししてきたように、イスラエルの民は、奴隷として苦しい生活をしていたエジプトを出て、40年間もの間砂漠をさまよって、ようやく神様が約束しておられる「乳と密の流れる土地」「約束の土地」へ入ろうとしていました。彼らはヨルダン川を渡ってついに、最初に攻撃するべき町エリコの近くに到着しました。エリコという名前は「月の町」という意味のようです。エルサレムから30キロぐらい離れていて、今もある町です。この地域で最も古い都市だと言われています。今から1万年ぐらい前の階段がある塔や円い形のいえが見つかっています。6章の1節には「エリコは、イスラエル人の前に城門を堅く閉ざして、誰一人出入りする者がなかった。」と書かれています。目の前に高くそびえるエリコの頑丈な壁を見る時、イスラエルの人々はどのような思いがしたことでしょうか。

 しかし、ヨシュアがエリコに近づいた時に彼はまぼろしを見ます。一人の人が剣を手に持って立っていたのです。ヨシュアが「あなたは私たちの敵ですか味方ですか」と尋ねると、その人は「わたしは主の軍隊の将軍として来たのだ。」と言いました。ヨシュアは、その時、はっきりと分かりました。エリコとの戦いは自分たちだけで闘うのではなく、主御自身がともにおられることを知っていました。戦いの前に主の約束の言葉が語られました。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。」この「渡した」という言葉が重要なのです。これは現在完了形と言って、「もう手渡すという行為は完了している。この町と人々はあなたのものだ。」という意味です。イエス様も十字架にかかられる前に言われたでしょう。「あなたがたは勇敢でありなさい。わたしは世に勝ったのです。」この「勝った」という言葉も同じように現在完了形です。もう勝利は決まっているのです。私たちがこの世で生きて行く時に、様々な困難を経験します。しかし、クリスチャンは自分の力だけでその困難に向って行くのではありません。もしそうだとすると、わたしたちはいつも敗北と挫折を経験しなければならないでしょう。しかし、わたしたちは「すでに世に勝った」と言ってくださる方によって勝利を得ることができるのです。ヨシュアには主の軍隊の将軍がついていました。

 さて、主の軍隊の将軍を通して主がヨシュアに闘いの命令を出しました。6章の3-5節です。「あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。七人の祭司たちが七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には七度町を回り祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。」そして、イスラエルの民は角笛の音を聞いたら、大声で叫ぶように命じられました。人間的に考えるとまったく愚かに見える命令でした。ヨシュアは、人間的な頭脳を使った作戦を用いてエリコの町を征服したのではありません。まったく愚かに思える神様の作戦にただ従っただけでした。神様にとって難しすぎる状況はありません。大きすぎる問題もありません。イエス様は5000人の人が空腹でいることをご存知でした。ヨハネの福音書を見ると、イエス様は弟子のピリポに「どこからパンを買ってきて、この人たちに食べさせようか。」と尋ねられましたが、これはピリポの信仰を試すためであったと書かれています。つまり、神様は自分が5000人の空腹を満たすために何をすればいいか、何ができるか、はっきりと知っておられたのです。神様はご存知なのです。あなたの状況を解決するために何をすればいいかちゃんと知っておられるのです。それで命令を出されました。

 夜が明けると、イスラエルの民がテントを張っていた場所から、男たちが進み出ました。まず戦士たちがそれぞれの部族の旗について歩き出しました。ついで祭司たちが角笛を吹き鳴らしながら歩き、その後ろに主の契約の箱が続きました。最後に別 の戦士たちが歩きました。しかも、戦士たちは全員一言も話してはいけないと命じられていましたから、聞こえてくるのは祭司が吹く角笛の音だけでした。エリコの城壁の上から見ると、まるでへびのようにイスラエルの人々が城壁の周りを一回回って、それでまたテントに戻りました。それが6日続いて、いよいよ、7日めです。いつもと同じようにイスラエルの戦士たちと祭司が城壁の周りを回りましたが、今回は1回ではなく7回でした。そして、7回回り終えた時に、ヨシュアの声が響き渡りました。「叫べ。主がこの町をあなたがたに与えてくださったのだ。」祭司が角笛を鳴らしました。イスラエルの人々が一斉に大声を上げて叫びました。その場所一帯に叫び声が響き渡りました。その時です。何が起きたのか、絶対に崩れることはないと言われていたエリコの城壁ががらがらと音を立てて崩れてしまったのです。イスラエルの民はまっすぐ町へ上って行って、その町を攻め取りました。

 エリコの出来事から、今を生きる私たちが神様とともに生きる時の秘訣が書かれていると思います。私たちが本当の意味で勝利の人生を生きるために必要なことが3つあります。

(1)「口から言葉を出してはいけない」
 この命令が一番難しい命令ですね。私たちの口からまったく言葉を出してはいけないというのですから。詩篇の中に「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」という言葉がありますが、私たちは不安になる時、自分の力で何とかしようと、あれこれ慌てて、いろいろなことを考えたり口にしたりします。しかし、決して平安はありません。そのような時、神様は、まず静かにしなさい。静かにして神様が何をするかよく見なさいと言っておられます。主は私たちの避けどころ、苦しむ時のいと近き所にある助けなのです。困難に直面 した時、神様は私たちに、まず落ち着いて、静かにして私を見なさいと言っておられます。

 (2)「従いなさい。」
  エリコの城壁が崩れたのはヨシュアの力によるのではありません。イスラエルの民の力でもありません。それは全能者である神様の力によって崩れました。しかし、イスラエルの民はその城壁を取り囲むように命令されました。問題を解決してくださるのは神様ですが、私たちは神様の働きに協力することが求められています。でも、わたしたちは、リーダーから「六日間、エリコの町の周りを黙って1回回れ。7日目には7回回って、最後に大きな声で叫べ。」と言われたらどうするでしょうか。先ほども言いましたように、神様はご自分が何をしようとしているかすべてご存知なのです。ですから、私たちは主の命令にただ従えばよいのです。ここで、誰かが神様の命令に背いて勝手な行動をしたらどうでしょうか。それは神の働きを妨げてしまうことになります。余計なことをすれば作戦が乱れてしまうのです。

 神様の命令に注目してください。4節に「七人の祭司たちが、7つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。」ここに7という数字が繰り返して言われています。聖書では7は完全数と言われ、完全であること、完了したことを意味します。ですから、7は神の働きが完了したことを意味している聖なる数字なのです。7は、神様がどのような働きも完了することのできる力を持っていることを示しています。また、祭司たちは角笛を吹き鳴らせと命じられました。イスラエルの人々は2種類の笛を持っていました。銀の笛と角笛です。銀の笛は、何か大切なことが起きる時に、その合図として祭司が吹きました。しかし、角笛はお祝いの時に吹き鳴らしました。特にイスラエルでは50年目を「ヨベルの年」と呼んで特別 にお祝いしました。ここで祭司たちは銀の笛を吹きませんでした。なぜなら、彼らが笛を吹き鳴らしたのは、これから戦争が始まることを知らせるためではなかったからです。これはお祝いの笛なのです。神様の勝利を祝うお祝いの笛を吹けと神様は祭司たちに命令したのです。神様はエリコをイスラエルに手渡すと約束されました。神様の約束は決して変わることはありません。イエス様は言われました。「あなたがたは勇敢でありなさい。私は世に勝ったのです。」私たちは、勝利者である神の側にいる限り勝利の人生が約束されているのですから、私たちは、つねに主に従うことが必要なのです。

 (3)信仰を持て!
  イスラエルの民とともに、わたしたちに必要なのは信仰です。主は勝利者であることを信じる信仰です。私たちが神様から命令されたことに従って行動すればいいのですが、わたしたちは自分が何をしているかということを考えて行動するのではなく、わたしたちの目はつねに神様自身に向けられることが必要です。ファイルの中に「目を上げて」という賛美があります。「目を上げて主の御顔を見る時、この世のものはうすれ、ただ主の栄光あるのみ。」あなたの目は何を見ていますか。神様があなたのために働いておられることを信じなさい。神様はすでにあなたにエリコを渡しておられます。あなたの思いをつねに聖書に記された神様の約束の言葉に向けなさい。神様はすでにエリコをあなたに渡されました。私たちはヨシュアとは違う状況の中に生きています。しかし、わたしたちの人生にもエリコの壁のような困難が高くそびえています。その中で、わたしたちがどうすればいいのでしょうか。その状況を神様からのチャレンジとして受け入れ、神様がその戦いを闘ってくださることを覚えて、神様が勝利を与えてくださると全能の神様を信頼することです。フィリップ・ブルックスという方が言われた言葉に次のような言葉があります。 「安楽な人生を求めて祈るな。自分の力でできる働きのために祈るのではなく、自分に与えられた働きに必要な力を求めて祈りなさい。」

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