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今週の礼拝めっせーじ
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礼拝説教
2000-09-10『信仰・希望・愛』(1コリント13章1-8節、13節) コリント教会はとても大きな教会でした。そこに集うクリスチャンはいろいろな賜物が与えられていました。信仰の 賜物、預言をする賜物、異言という特別に与えられた言葉を語る賜物、など様々な霊的賜物にあふれた教会でした。 ところがこの教会には同時に様々な問題もありました。クリスチャン同士が争ったり、妬(ねた)みあったりすることも多かったようです。それでパウロは12章で、神様から与えられる賜物がいろいろあるけれども、それぞれが大切なものであると教えました。そして人間の体にはたくさんの器官があっても体が一つであるように、教会の一人一人は個性が違う、能力も違う、しかし、その一人一人が本当に大切な存在であることを強調しています。そして14章では、 賜物の中でも一番問題が多く、誤解されることが多かった異言のことを取り扱っています。12章と14章でともに 霊的な賜物のことを語ったパウロが、その間の13章で愛のことを語ったのはとても意味が深いと思います。12章でパウロは様々な賜物ついて語った後で、最後に言いました。「あなたがたは、より優れた賜物を熱心に求めなさい。また、わたしはさらにまさる道を示してあげましょう。」こう言ってから、パウロは愛について語り始めます。パウロが言いたいことは、どんなに優れた賜物であっても、それが愛に基づいて働かないなら、役に立たないだけでなく、人を傷付けるものであるということです。クリスチャンの成長を測る一番確実な印は愛です。私たち は、神様からいのちをかけて愛されました。そのために罪を許してもらいました。その愛を受けた私たちは、今度は その神の愛を周りにあふれさせていくことが大切なのです。主イエスの弟子ヨハネは言いました。「もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」クリスチャンが身につける最高のもの、一番大切なもの、それは神を愛する愛であり、お互いに愛する愛なのです 。 今日は特に13章13節に目を留めたいと思います。「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番優れているものは愛です。」また、パウロは8節において「愛は決して絶えることがありません」とも書いています。 霊的な賜物である預言の賜物ならばすたれます。異言もやみます。知識もすたれます。それぞれすばらしい賜物ですが、いつまでも続くわけではありません。例えば、知識に関して言うならば、かつてイギリスの大学にジェームズ・ シンプソンと言う教授がいました。非常に重要な物質を発見した人です。それからしばらくして、その教授の後継者 で、甥にあたるお同じ名前のシンプソン教授が大学の図書館員から「ジェームズ・シンプソン教授の著書のうち、不必要なものは選り分けてください。」と頼まれました。すると、その甥のシンプソン教授の答えは「10年以上前の書物は全部地下室に移してください」というものでした。ほんの少し前まで世界中の人々が教授から教えてもらうためにやってきていたのに、学問の進歩によってその教授の教えのほとんどが無価値なものになって忘れられていったのです。 私たちが持っているもの、持つことのできるものでいつまでも残るものは、信仰と希望と愛だとパウロが語っています。私たちがどれほどの財産を築いても、どれほどの名声を得たとしても、それらはいつまでも続くものではありません。この世にあるものはみな同じです。それで、パウロはいつまでも続くものとして信仰と希望と愛の三つをあげました。そしてその中で一番優れているのが愛だと言っています。一番すぐれているのは信仰ではないのかなと思いますが、パウロは愛だと言います。1節のところでもパウロはそのことを述べています。「たとえ私が山を動かすほどの完全な信仰を持っていても愛がないなら何の値打ちもありません。」なぜ、愛は信仰よりもすぐれているのでしょうか。信仰は私たちの決断です。その決断によって私たち人間は神様に結び合わされ、神に祈り御言葉に耳を傾け ることによって神とともに生きることができるようになります。信仰は、わたしたちを神様と結び付ける手段と言うことができます。それでは、わたしたちを神様と結び合わせる目的は何でしょうか。それは、わたしたちが神様に似た者になることですが、聖書は神様の一番の特徴は愛だと教えています。つまり、信仰という手段によって神様と私たちが結び合わされたのは愛という目的のためなのです。目的は手段よりも大切ですから、愛は信仰よりも優れてい るのです。 その愛とはどんな愛でしょうか。それが4節から8節に書かれているものです。いろいろな性質が書かれています。 そのすべてが現われたのが主イエス・キリストの十字架です。神は私たちがまだ罪人で、神を無視して生きていた時 に、自分から十字架の苦しみを受けてくださいました。私という人間が生きて行ける道を作りたかったのです。私たち人間は生まれたままでは滅びに向って生きています。将来に希望のない滅びに向って行く人生でした。しかし、主 イエス・キリストは人間が神と共に命に向う人生を生きることを望まれました。そのために、本当は私たちが受けなければならない罪の罰を身代わりになって受けてくださいました。そこにキリストの愛が示されました。よく愛には 3種類の愛があると言われます。「――ので愛する」の愛、「――ならば愛する」の愛、そして「――だけれども愛する」の愛の3つです。結婚の条件としてよく三高ということが言われます。背が高い、学歴が高い、そして給料が 高い、この三つの高いがそろうことが結婚の条件だと言うのです。それがなければ愛はない。とても自分勝手な愛だと思います。「――ので」も「――ならば」も、そのように条件がついた愛です。しかし、主イエスは「――けれども」の愛を十字架で示されました。エレミヤ書には罪を持つ人間は何よりも陰険だと書かれています。表面 を隠すことはできても、心の奥底は自分勝手で陰険です。しかし、主イエスは自分のいのちを犠牲にしてでも私たちを罪から 救い出してくださいました。人間の間でこれに一番近い愛は母親の愛だと言われます。しかし、最近はその母親の愛もなんだか怪しくなっていますね。神は愛です。愛があるところに神がおられます。だから私たちが神様に一番近づ けるのは私たちが人々を愛する時です。だからとにかく愛しましょう。分け隔てなく愛しましょう。計算からではなく愛しましょう。受けるより与えることが幸いであると主イエスも言われました。愛されることを求めて生きる人は本当のしあわせを経験できません。愛することを求めて生きる人こそ本当の幸福を味わうことができます。クリスチ ャンのライフワークは愛を学ぶことといっても過言ではありません。愛を学ぶことこそ、わたしたちが真剣に本気で 取り組まなければならないことです。 しかし、どうすれば愛を学ぶことができるでしょうか。ヨハネの第一の手紙4章19節にはこう書いてあります。「 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」ここで最後に書かれている「からです」と いう言葉が重要です。私たちは愛しています。これは結果です。そしてその原因が「神がまず私たちを愛してくださった」ということです。神にまず愛されたという原因から、その結果 として私たちのうちに愛が生れるのです。愛は 人の心を変える力があります。まず、わたしたちはキリストの愛を静かに思い巡らすことが大切です。自分がどれほ どキリストに愛されているか、思い巡らしましょう。キリストに愛されていることを感謝しましょう。キリストに愛されていることを喜びましょう。あなたは愛されているのです。この世界でいちばん偉い方、すべての権威を持っている方から愛されているのです。聖書を読みながらそこに表わされたキリストの愛を味わいましょう。十字架の上で 、自分を十字架にかけた人々のことを父なる神に祈ったキリストの言葉を思い出しましょう。「父よ、彼らをお許し ください。彼らは自分で何をしているのか分からずにいるのです。」自分につばを吐きかけるような人、自分をのの しり、自分を鞭打った人々の許しを願うキリストの愛をよく味わいましょう。その愛であなたも愛されているのです 。キリストをじっと見詰め、キリストに惚れ込みましょう。その時、わたしたちはキリストに似た者に変えられるのです。エルビス・プレスリーのファンは彼とそっくりの服装をして彼の歌を真似ます。熱狂的なファンであればあるほど、彼と同じような姿になるでしょう。それと同じです。自分のいのちを犠牲にしたキリストを見詰めてください 。あなたもキリストの愛をもって愛する人に変えられます。 何年も前のことです。ボストンの精神病院の一人部屋に幼い少女が閉じ込められていました。「リトル・アニー」というあだ名がつけられていました。彼女の部屋の檻に近づくと彼女が噛み付くこともありました。誰もが彼女が回復する望みはないとあきらめていました。ところがその病院の近くに退職した看護婦が住んでいました。彼女はどんな患者にも回復の希望があると確信していたので、アニーの所を訪れるようになります。最初、この少女は看護婦を無視していました。ある日、この看護婦は自分で焼いたケーキを持ってきて、それを檻の外にアニーが手を伸ばせば取れるところに置いて家に帰りました。次の日、行って見るとケーキはなくなっていました。それから、彼女は毎週木曜日にケーキを持って行くようになりました。するとこの少女に大きな変化が現われました。一人部屋から出され、 そしてとうとう病院を退院することができました。アニーは家に戻ることを許可されたのですが、彼女は病院に残って 他の患者を助けると言いました。このリトル・アニーの本名はアン・サリバンです。そして、後に彼女はヘレン・ケ ラーの家庭教師になるように要請を受けたのです。愛は人を変えます。そして愛はこの世界をも変えるのです。「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」 ページのTOP (上記の文章を許可なく他に転載することを禁止します。) |