今週の礼拝めっせーじ
礼拝説教09/17|礼拝メッセージ集聖日礼拝


礼拝説教 2000-09-17『信仰による老後の祝福』(ヨシュア記14章6-15節)

 (イントロ)
  七月からヨシュアという人物にスポットを当ててきました。彼は今から3000年以上も前の人間です。モーセというリーダーによってエジプトから脱出したイスラエルの民は40年かかってようやく約束の国、今イスラエルがある場所、 カナンに到着しました。ここでモーセからバトンタッチを受けてリーダーになったのがヨシュア、神様が与えると約 束してくださった土地に実際に入って、そこに住む多くの敵と戦って勝利を収めたヨシュアもかなり年を取ってきました。13章の1節に「ヨシュアは年を重ねて老人になったが、主は彼に仰せられた。『あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。』」と書かれています。年を取って疲れていたヨシュアにとっては辛い言葉であったと思います。神様の言葉は、時々、わたしたちの状況や都合を無視しているように思える時があります。しかし、聖書の神様は全知全能の方であり、どこまでも私たちを愛しておられる神です。私たちを苦しめることが神様のみこころではありません。しかし、神様には神様のご計画があるのです。それを信じて、神様のことば に従って生きていくことが信仰だと思います。

 イエス様も、ある時に、そのような言葉を言われたことがありました 。弟子たちが漁にでかけて一晩中働きましたが魚一匹取ることが出来ませんでした。彼らはがっかりしてひどい疲れを感じながら網を洗っていました。そこに現れた主イエスは、彼らに向かって「沖へ漕ぎ出して、網を下ろしなさい 。」 と言われました。小さい時から漁に出ていた弟子たちが夜通し働いて魚が取れなかったのに、その翌朝、漁をしたこ とがない主イエスが「網を下ろせ」と言われたのです。弟子たちには迷惑な、反発したくなるような言葉であったに違いありません。しかし、弟子の一人ペテロは言いました。「主よ。あなたが言われるのですから、網を下ろして見ましょう。」ペテロが主イエスの言葉に従った時、網が破れそうになるほどの魚が獲れました。

 ヨシュアは年老いていました。人は年を取ってくるとだんだん昔のことを思い出したり、なつかしんだりします。 子供の頃過ごした家が見たいと思います。私自身、今から40年前に3年半過ごした山口県の防府市という場所を見てみたいという思いが浮かんできます。人は年を重ねるにつれて過去を見る、うしろを向きがちになります。しかし、聖書は言います。人は聖霊を受けると「老人たちは夢を見る」と。つまり主イエス・キリストを信じて、神の言葉に従って生きる時、私たちはいつも前を向いて生きることができるのです。まだまだ神様のためにするべきことがたくさんあるのです。本田弘慈先生も88歳になってもまだ、神様のために捕らえるべき魂がたくさんあるのだと、今でもあちこちに出かけてメッセージを語っておられます。私たちの信仰生活において、神様からすでに多くの祝福を受け、 恵みを受けました。しかし、神様は言われています。「もっと祝福を受け取りなさい。」「もっと恵みを受けなさい 。」「もっと夢を見なさい。」今日は、ヨシュアの古い友人であるカレブという人物を通 して、年老いても前向きに生きる秘訣を学びたいと思います。

 1.カレブとはどんな人物か
 ヨシュアとカレブは古い友人です。以前ふたりを結びつける事件がありました。14章の出来事から45年も前のことです。その当時、リーダーのモーセに導かれて苦しいエジプトの奴隷生活から脱出したイスラエルの民は、神様の導きと守りの中で約束の国を目指して砂漠の土地を進んでいました。いよいよ約束の国の近くまで来た時に、モーセは 12人のスパイを送り出しました。神様が約束した国がどのような場所か偵察するためでした。12人が行って見ると、 エジプトの砂漠で育った彼らは見たことがないような緑豊かで、大きな果物が豊かに実っているのを見て彼らは大 喜びでしたが、彼らはその地の住人があまりにも背が高く、強靭な体をしているので、これでは絶対に闘っても勝ち目がないと思ってしまいました。12人のスパイの中で10人が失望して、神様が約束してくださった土地に入ることをあきらめました。しかし、残りの二人、ヨシュアとカレブは違いました。偵察を終えて民の所に戻ると、10人は「あの民は私たちより強いから、攻め上れない。彼らと比べたら自分たちはまるでいなごみたいだ。」と言いました。人 間は、恐れを抱くと、ものすごく否定的になってしまいます。しかし、カレブは10人に反対して言いました。「素晴らしい土地だった。私たちが主のみこころに適うなら、必ず主がその地に導き入れてくださる。彼らを恐れてはならない。主がともにおられるのだから。

 しかし、イスラエルの民はカレブの言葉を聞かず10人の言葉を信じて、ヨシュアとカレブを殺そうとしました。その 時、神様のさばきが下りました。イスラエルの民は神の言葉を信じないで、人間の目で見て感じた言葉を信じ、神の計画に従わなかったからでした。このできごとの後、その素晴らしい土地はすぐ近くにありながら40年間も砂漠をさまようことになりました。この40年の間に、エジプトを出てきた人々はヨシュアとカレブを除いてみな途中の砂漠で死んでしまったのです。ただ二人だけが実際に約束の国パレスチナに入ることが許されました。それは二人だけが神様の言葉を信頼し、信仰を貫いたからです。

 2.カレブの強さの秘密
  カレブは既に85才になっていました。本田先生ぐらいの年齢です。しかし、11節を見るとカレブは言います。「私は 、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えうるのです。」カレブの 力はどこから来ているのでしょうか。彼がどんな状況でも全能の神、愛の神を信じつづけた心から来ています。私たちのうちには力がなくても、主に力があるからです。「大いなる方に」という賛美の中の言葉に「弱い者よ、自分は勇士だと叫べ」というのがあります。ぶどうの枝は枝だけでは何もできません。実を結ばず何の役にも立たずに燃やされてしまいます。しかし、ぶどうの幹につながってさえいれば、多くの実を結んでたくさんの人々に喜びを与えることができます。私たちも、自分のうちには力がなくても、主イエスを信じて生きる時に不思議な力、平安が与えられるのです。ただ、そのためには、私たちはカレブのように神様をどこまでも信頼し、信じぬ かなければなりません 。最初にお話したペテロと同じように、自分では理解できないような場合でも、「神様がそう言われるのですから」 と神に従う時、この力は天から注がれます。

 カレブはヨシュアの所に何をしに来たかというと、「分け前の領地をくれ」と要求をしに来たのです。一つ前の章 、13章を見ると、約束の土地が次々に12部族に割り当てられているのが分かります。彼の部族のユダ族の順番が来たのですが、彼は神様から特別 の約束をもらっていました。(民14:24)自分にとってどんなに不利な状況の中でも神様を信頼しつづけたことに対する神様のご褒美でした。それで、彼は現在ヘブロンと呼ばれる土地を要求しました。 12節を見ると、当時、その町には「アナク人」が住んでいました。このアナク人も背の高い民族でした。しかもその地域に大きな城壁のある町を建てていました。攻め取るには本当に困難な地で会ったことが分かります。85才になっ たカレブは今なお闘う力があると確信していました。しかし、85才ですから気力はみなぎっていても、肉体は45年前と 同じと言う訳にはいきません。しかし、彼の言葉は年寄りの強がりだったのではありません。彼は12節で言っていま す。「主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができるでしょう。」つま り、カレブは、今も生きて働いておられる神様が一緒だから何も恐れることはないと言っているのです。天地を造ら れた神、全能の神が一緒におられるなら、自分が年老いていることなんて何も問題じゃないと彼は考えていました。 ある牧師がこう言っています。『「100(人の力)+無限(神の力)」も「1(人の力+無限(神の力)」もその答えは同じである。』これが神を信じる者の力なのです。

 3)人々に祝福を与えるカレブ
  さて、15章にはカレブの娘がカレブの兄弟であるオテニエルに嫁ぐ場面が出てきます。娘の名前はアクサと言います 。彼女は嫁いで、ユダヤの南のネゲブ地方へ行くことになりました。ネゲブはほとんどが砂漠の地方です。生活環境 が本当に厳しい場所でした。アクサは、将来の生活に不安を感じたに違いありません。それで、彼女はろばに乗って ネゲブに出て行く時に、ロバから降りて父親から祝福を求めました。彼女は乾いた場所に行くのだから、こんこんと 水が涌き出る泉が欲しいと言いました。すると、15章19節には、「彼は上の泉と下の泉を与えた」と書かれています 。彼は、厳しい生活に入ろうとしている娘に上の泉と下の泉と言う二重の祝福を与えることができました。カレブは 若い頃から、信仰一筋の道を歩んできました。状況がどんなに困難に思えた時も、神様の力、神様の計画、神様の愛 を信頼して信仰を貫いてきたのです。そのため、カレブは約束の国に入ることができました。約束のものを手に入れ ることができました。しかし彼は自分だけが祝福を受けた人生を生きたのではなく、回りの人々にも祝福を分け与える人生を生きました。娘が生きて行く時に必要なものをカレブに求めた時、彼は上の泉と下の泉を与えました。上と下の泉が暗示しているものはなんでしょうか。信仰を貫いて生きた人は、上の泉を与えることができます。つまり、 高いところ、天にある神様からの霊的な祝福の泉を開くことができます。また、下の泉、人間生活と言ういろいろと 大変な、苦労の多い谷間で実際的な必要を満たす泉を与えることができました。

 自分の生活の安定をはかるために、必死になって生きる人が多い時代です。しかし、この世の成功や財産だけでは どうすることもできない問題も人生にはたくさんあります。例えば、死の問題もそうです。カレブの人生は人々に祝 福を与えることの出来る人生でした。神を信頼しつづけて生きぬいたカレブこそ人生の本当の勝利者であると思いま す。彼はすべての力を神に求めて生き抜いたからです。パウロの人生も苦難の連続の人生でした。肉体的にも精神的 にも耐えがたいような人生を生きました。しかし、パウロによって信仰に導かれた人の数は数えることが出来ないほどです。パウロは自分の人生を終わろうとする時に、自分の弟子であったテモテにこう言いました。「私は勇敢に闘 い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです 。」私たちも、カレブのように神の力を信じて生きる時、自分の中にはない力が与えられ、困難を乗り越え、それだけではなく、回りの人々にも祝福を分け与えることのできる人となるのです。私たちも、一度しかない人生です。このカレブの生き方にならいたいと思います。

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