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礼拝めっせーじ
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礼拝説教
2001-01-28『門が開かれている』(黙示録3章7〜13節) しかし、7つの教会の中で一番キリストが誉めているのがこの教会でした。教会も小さく、力もあまり強い教会ではなかったようですが、この教会は忠実な教会だと誉められました。実際に、この教会は長い間信仰を守り続けました 。のちに、イスラム教徒がこの地方に攻めて来て、すべての都市を降伏させましたが、フィラデルフィアだけは独立を守り、周りがすべてイスラム教になったのですが、この町だけは14世紀までキリスト教の町としてがんばってい ました。今でも、この町には教会があって1000人ほどのクリスチャンがいるそうです。 (1)
開かれた門 主イエスは、フィラデルフィア教会の人々の行いもすべて知っておられました。誰も主イエスの目をごまかすことはできません。しかも、主イエスはこの教会ことについては何も非難しておられません。8節でこの教会のことを「あなたには少しばかりの力がある」と言われていますが、これは、この教会が小さい教会であったことを表わしていると思います。そして町の中でも、この教会は大きな影響を与えることができなかったと思います。しかし、この教会の人々は聖書の教えを守り、また主イエスの名前を否定しなかったと書かれています。彼らは、ただ主イエスを救い主として信じただけではなく、主イエスの教え、主の命令に忠実に従いました。先ほども言いましたように、この町は大地震の傷が残っていて人々の生活は苦しいものでした。また、キリスト教に反対する人々からの攻撃も激しかったようです。9節に「サタンの会衆に属する者、ユダヤ人と自称しながら実はそうでなくて、嘘を言っている者」と書かれていますが、当時、最も激しい攻撃はキリストを信じないユダヤ人たちから来ました。私たちは、信仰を持っていることを家族や友達から非難されたり、馬鹿にされたりする時に、もう信仰を捨てようかと考えたり、あるいは 、クリスチャンであることを隠そうとしたりします。クリスチャンとして生きることは、決して簡単な道ではありま せん。しかし、これが人間が生きるためのただ一つ真実な道であり、永遠の祝福に至る道なのです。ですから、クリ スチャンとして生きる時は困難を経験することを覚悟しなければなりません。フィラデルフィア教会のクリスチャン たちも苦しい状況にありましたが、彼らは、常に、主の教えを信じるだけでなく、それを守り、また、どんなに人々から攻撃を受けても、主イエスを信じていることを告白していました。 そのようなフィラデルフィア教会のために、主イエスは約束を与えておられます。「それは誰も閉じることのできな い門を、あなたの前に開いておいた。」という約束でした。私たちは、フィラデルフィアの教会のように小さく力の 弱い者かも知れません。自分ではドアを開ける力がないかも知れません。しかしそのような少ししか力のない者たち のために、主は門を広く開けておいてくださるのです。それは、主イエスを救い主と信じる者のために門を開いて、 救いの恵みの中に入れてくださるという約束であり、また同時に、将来、体が死んでこの世を去る時に、主イエスが 門を広く開いて、私たちのたましいを迎えてくださるという約束でもあります。すなわち、信じる者にはすべて門が 開かれているということです。どのような敵もその門を閉じることはできません。この世の人生は長くても90年ぐらいです。体が死んで私たちは消えてしまうのではありません。主イエスは、主を信じる者たちのために、永遠のいのち、永遠に神と共に祝福の中で生きるためのとびらを広く開いておいてくださるのです。 主イエスの約束はそれだけではありません。10節を見ると、「あなたが、わたしの忍耐について言った言葉を守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守る。」という約束が与えられています。主イエスは、試練の時も忍耐して主の教え、信仰を守った者を守ると約束しておられ ます。全世界に来ようとしている試練の時がいつなのか、またどのくらいの期間続くのかはっきりとは分かりません 。今も、世界中で信仰を持っているために苦しんでいる人は沢山います。特にイスラム教の国で信仰を持つことは死ぬ ことを覚悟しなければならないほどです。中国も今、信仰に対して非常に厳しい政策を取っています。当時のクリス チャンもたくさんの人が信仰を捨てなかったために殺されました。しかし、ある時、イエス様は言われました。人間を恐れる必要はない。人間は他の人の体は殺せても魂は殺せない。むしろ、魂も体も滅ぼすことのできる神様を恐れなさいと主イエスは言われました。他の人間ができるもっとも恐ろしいことはわたしの体を殺すことです。しかし、 人は決して他の人の魂を滅ぼすことはできないのです。しかも、非常に安い値段で売られているすずめでさえも、父 なる神様の許しなしに死ぬことはないと主は言われました。私たち人間はすずめよりもはるかに優れた者です。ですから、主があなたを守られるのですから、人を恐れず神を恐れることが大切なのです。ルカの福音書では、神様の許しなしに髪の毛一本も失うことはないとあります。あなたも主を信じる時に、この全能の主の守りの中に入れられているのです。 (2)持っているものをしっかりと持っていなさい。 (3)勝利を得る者は聖所の柱となる。 また、もう一つ素晴らしい約束があります。忠実なクリスチャンには神様の名前が書かれるのです。12節には、神の名前と、エルサレムの名前と新しい名前が3つクリスチャンのうえに書かれるとあります。わたしは昔、九州の阿蘇山に行ったことがあります。バスで山を登って行くと、途中、沢山の馬を見ました。するとその馬の一頭一頭に名前が書かれていました。それは、その馬の持ち主の名前でした。神様は、わたしたちにご自分の名前を書いてくださ
るというのは、「あなたは永遠にわたしのものだ」と神様が主張しておられることを意味しています。またエルサレ ムの名前が書かれているのは、わたしたちのパスポートに国籍が日本と書いてあるように、私たちの国籍はエルサレ
ム、つまり天国であることを神様が保証してくださるという意味です。私たちは、昔は、罪の奴隷として生きていま した。しかし、今は新しい名前をもらって、新しい人生を生きる者になりました。主イエス・キリストが十字架にかかって私たちの代わりに死んでくださったから、わたしたちにこのような素晴らしい約束が実現したのです。この世には確かに苦しいこと、困難がたくさんあります。しかし、どんなに小さな信仰でもいいのです。その信仰をしっかり持ち続ける時に、神様は永遠に私たちを守るために、誰も閉じることのできない祝福の門を私たちのために広く開けてくださるのです。 ページのTOP (上記の文章を許可なく他に転載することを禁止します。) |