礼拝めっせーじ
礼拝説教01/28|新礼拝メッセージ集礼拝メッセージ集聖日礼拝


礼拝説教 2001-01-28『門が開かれている』(黙示録3章7〜13節)

今日の箇所は、主イエスがフィラデルフィアという町にあった教会に送ったメッセージです。フィラデルフィアとい うとアメリカの町を考えますが、この聖書に書かれている町が最初のフィラデルフィアです。これはギリシャ語で「 兄弟を愛する人」という意味です。この町を作った王様が兄弟を深く愛していたので、こういう名前になりました。 黙示録の2章と3章に出てくる7つの町の中で一番新しい町でした。この町は地震が多いことで有名な町でした。BC1 7年に非常に大きな地震が起こってフィラデルフィアは破壊されてしまいましたが、その後も地震が長い間続きまし た。そのために、多くの人は町の外に簡単な仮の家を作ってそこに住んだほどだったのです。ですから、黙示録が書 かれた頃のフィラデルフィアは小さく、危険が多く、人々も貧しい人が多かったようです。

 しかし、7つの教会の中で一番キリストが誉めているのがこの教会でした。教会も小さく、力もあまり強い教会ではなかったようですが、この教会は忠実な教会だと誉められました。実際に、この教会は長い間信仰を守り続けました 。のちに、イスラム教徒がこの地方に攻めて来て、すべての都市を降伏させましたが、フィラデルフィアだけは独立を守り、周りがすべてイスラム教になったのですが、この町だけは14世紀までキリスト教の町としてがんばってい ました。今でも、この町には教会があって1000人ほどのクリスチャンがいるそうです。

 (1) 開かれた門
  このような
フィラデルフィア教会に対してイエス様がメッセージを語っておられます。ここでは、主イエスは聖なる方、真実なる方として描かれています。「聖なる」という言葉の元々の意味は「分離した」とか「異なっている」という意味です。主イエスは、わたしたち人間とは分離した、神そのものである方です。しかも真実な方です。私たちが住む世界は偽りで満ち溢れています。今の日本を見ても、お金に心を捕らわれて様々な不正を行っている人がいま す。そのような不正や偽りに満ちた世界の中で、ただ一人真実な方、それが主イエスです。しかも、主イエスは「ダ ビデの鍵を持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない。」と言われています。聖書の中では「鍵」は「権威」を表わします。また「ダビデ」とは救い主として働く者という意味を含んでいます。ですから、「ダビデの鍵」を持っておられる主イエスは、天国に入るための鍵を持っておられる方という意味です。主イエスだけが、私たちを将来、永遠の祝福、永遠のいのちに入るための門を開く権威を持っておられる方だと いう意味です。主イエスが門を開くと、その門は誰も閉じることができない。また主イエスが門を閉じると、誰もその門を開くことはできない。これは、主イエスの全能の力を表わしています。主イエスが行うことをだれも邪魔することはできません。主イエスがなされたことを誰も元に戻すこともできません。私たちの主イエスは、聖なる方、真実なる方、そして、この世界で最高の権威を持っておられる方、わたしたちの教会も、そのようなお方を信じる教会であり、またそのようなお方によって造られ、導かれ、守られている教会なのです。

 主イエスは、フィラデルフィア教会の人々の行いもすべて知っておられました。誰も主イエスの目をごまかすことはできません。しかも、主イエスはこの教会ことについては何も非難しておられません。8節でこの教会のことを「あなたには少しばかりの力がある」と言われていますが、これは、この教会が小さい教会であったことを表わしていると思います。そして町の中でも、この教会は大きな影響を与えることができなかったと思います。しかし、この教会の人々は聖書の教えを守り、また主イエスの名前を否定しなかったと書かれています。彼らは、ただ主イエスを救い主として信じただけではなく、主イエスの教え、主の命令に忠実に従いました。先ほども言いましたように、この町は大地震の傷が残っていて人々の生活は苦しいものでした。また、キリスト教に反対する人々からの攻撃も激しかったようです。9節に「サタンの会衆に属する者、ユダヤ人と自称しながら実はそうでなくて、嘘を言っている者」と書かれていますが、当時、最も激しい攻撃はキリストを信じないユダヤ人たちから来ました。私たちは、信仰を持っていることを家族や友達から非難されたり、馬鹿にされたりする時に、もう信仰を捨てようかと考えたり、あるいは 、クリスチャンであることを隠そうとしたりします。クリスチャンとして生きることは、決して簡単な道ではありま せん。しかし、これが人間が生きるためのただ一つ真実な道であり、永遠の祝福に至る道なのです。ですから、クリ スチャンとして生きる時は困難を経験することを覚悟しなければなりません。フィラデルフィア教会のクリスチャン たちも苦しい状況にありましたが、彼らは、常に、主の教えを信じるだけでなく、それを守り、また、どんなに人々から攻撃を受けても、主イエスを信じていることを告白していました。

 そのようなフィラデルフィア教会のために、主イエスは約束を与えておられます。「それは誰も閉じることのできな い門を、あなたの前に開いておいた。」という約束でした。私たちは、フィラデルフィアの教会のように小さく力の 弱い者かも知れません。自分ではドアを開ける力がないかも知れません。しかしそのような少ししか力のない者たち のために、主は門を広く開けておいてくださるのです。それは、主イエスを救い主と信じる者のために門を開いて、 救いの恵みの中に入れてくださるという約束であり、また同時に、将来、体が死んでこの世を去る時に、主イエスが 門を広く開いて、私たちのたましいを迎えてくださるという約束でもあります。すなわち、信じる者にはすべて門が 開かれているということです。どのような敵もその門を閉じることはできません。この世の人生は長くても90年ぐらいです。体が死んで私たちは消えてしまうのではありません。主イエスは、主を信じる者たちのために、永遠のいのち、永遠に神と共に祝福の中で生きるためのとびらを広く開いておいてくださるのです。

 主イエスの約束はそれだけではありません。10節を見ると、「あなたが、わたしの忍耐について言った言葉を守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守る。」という約束が与えられています。主イエスは、試練の時も忍耐して主の教え、信仰を守った者を守ると約束しておられ ます。全世界に来ようとしている試練の時がいつなのか、またどのくらいの期間続くのかはっきりとは分かりません 。今も、世界中で信仰を持っているために苦しんでいる人は沢山います。特にイスラム教の国で信仰を持つことは死ぬ ことを覚悟しなければならないほどです。中国も今、信仰に対して非常に厳しい政策を取っています。当時のクリス チャンもたくさんの人が信仰を捨てなかったために殺されました。しかし、ある時、イエス様は言われました。人間を恐れる必要はない。人間は他の人の体は殺せても魂は殺せない。むしろ、魂も体も滅ぼすことのできる神様を恐れなさいと主イエスは言われました。他の人間ができるもっとも恐ろしいことはわたしの体を殺すことです。しかし、 人は決して他の人の魂を滅ぼすことはできないのです。しかも、非常に安い値段で売られているすずめでさえも、父 なる神様の許しなしに死ぬことはないと主は言われました。私たち人間はすずめよりもはるかに優れた者です。ですから、主があなたを守られるのですから、人を恐れず神を恐れることが大切なのです。ルカの福音書では、神様の許しなしに髪の毛一本も失うことはないとあります。あなたも主を信じる時に、この全能の主の守りの中に入れられているのです。

 (2)持っているものをしっかりと持っていなさい。
  聖書の預言
は世の終わりの時代に、クリスチャンにとって生きるのが難しい時代になると教えています。しかし、主 は、必ず、もう一度、この世界に来てくださいます。それまでの間、主イエスは私たちに「いま持っているものをし っかりと持っていなさい。」と命令しておられます。一人一人のクリスチャンは、その賜物は違います。能力も違い ます。経験も違います。でも、神様は、クリスチャンが皆同じ賜物、同じ能力、同じ経験を持つことを期待しておられるのではありません。あなたが今もっているものを失わないでしっかり持っていなさいと言われるのです。他の人よりも持っているものが多いとか少ないとか、まったく関係ありません。今、与えられているもの、今持っているも のをしっかり握っておきなさいと命じておられます。あなたが、つい最近信仰を持ったばかりだとすると、自分の信仰も能力も小さいなあと考えておられるかもしれません。小さい大きいを考えないで、自分が持っているものを神様のために用いて生きて行きましょう。そのことを神様は大変喜んでくださるのです。私たち、主を信じる者には冠が 約束されているのです。昔、オリンピックの時に勝った人がもらった冠です。神様は私たちを人生の勝利者としてみてくださり、冠を与えようと計画しておられるのです。ですから、その冠を目指して、今与えられている信仰をしっ かり持ち続けてください。決して他のクリスチャンと自分を比べないでください。主はあなた以上のことを求めてはおられないからです。

  (3)勝利を得る者は聖所の柱となる。
 ここで「柱」とは永遠に変わらない安全、保証を表わしています。聖所の柱となると言うのは、クリスチャンが忍耐して信仰を持ち続ける時に、神様がおられる聖所、つまり天国にいつまでも安全に守られていることができるという ことを意味しています。最初に言いましたようにフィラデルフィアは地震に苦しんだ町でした。石で作られた町で地 震が起きると、建物は崩れます。特に屋根は崩れやすいです。しかし、柱だけは残っていることが多いのです。わたしはイスラエルに行った時に、ベテシャンという町を訪れました。昔の町、しかも地震のために破壊された状態が、 そのまま残っていました。柱だけが残っている建物がたくさんありました。フィラデルフィアの住民は小さい地震が 起きても、すぐに町の外の広い場所に逃げてそこにテントを張って過ごしました。そして地震が収まると恐る恐る自 分の家に戻ってきました。ですから、彼らの生活はいつも不安に満ちていました。しかし、主イエスは彼らに言われ ました。12節、「あなたがたは聖所の柱となって決して外に出て行くことはない。」主を信じる者は永遠に安心して 天国に住むことができるのです。

 また、もう一つ素晴らしい約束があります。忠実なクリスチャンには神様の名前が書かれるのです。12節には、神の名前と、エルサレムの名前と新しい名前が3つクリスチャンのうえに書かれるとあります。わたしは昔、九州の阿蘇山に行ったことがあります。バスで山を登って行くと、途中、沢山の馬を見ました。するとその馬の一頭一頭に名前が書かれていました。それは、その馬の持ち主の名前でした。神様は、わたしたちにご自分の名前を書いてくださ るというのは、「あなたは永遠にわたしのものだ」と神様が主張しておられることを意味しています。またエルサレ ムの名前が書かれているのは、わたしたちのパスポートに国籍が日本と書いてあるように、私たちの国籍はエルサレ ム、つまり天国であることを神様が保証してくださるという意味です。私たちは、昔は、罪の奴隷として生きていま した。しかし、今は新しい名前をもらって、新しい人生を生きる者になりました。主イエス・キリストが十字架にかかって私たちの代わりに死んでくださったから、わたしたちにこのような素晴らしい約束が実現したのです。この世には確かに苦しいこと、困難がたくさんあります。しかし、どんなに小さな信仰でもいいのです。その信仰をしっかり持ち続ける時に、神様は永遠に私たちを守るために、誰も閉じることのできない祝福の門を私たちのために広く開けてくださるのです。

ページのTOP (上記の文章を許可なく他に転載することを禁止します。)