礼拝めっせーじ
礼拝説教02/18|新礼拝メッセージ集礼拝メッセージ集聖日礼拝


礼拝説教 2001-02-18『神がおられるところ』(黙示録4章1〜11節)

(イントロ )

私たち

は誰でも死を恐れます。それはこの地上での生活が終わった後、どのような世界が待っているのか分からない からだと思います。死んだらすべてが終わりだと考えている人が多いですが、聖書ははっきりと死後の世界があることを教えています。第二コリント5章1節に、次のような言葉があります。「私たちの住まいである地上の幕屋がこわ れても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です 」ここで言われている地上の幕屋とは、この世の生活のことを意味します。幕屋とはテントのことですから、聖書は 地上の生活とはテント生活のように一時的なものでこわれやすいものだと教えています。ところが、私たちはこの地上の生活がいつまでも続くと考えやすいのです。生活が順調だと、天に家があることなど考えません。しかし聖書ははっきり教えています。この地上の幕屋は壊れる時が来ると。

人は、

この地上の生活が終わる時にやっと天の家を見上げるのです。クリスチャンの信仰は神様の約束を先取りする信仰です。この地上の生活が終わることを覚えつつ、 その後の天にある永遠の家をしっかり見上げて生活することです。地上の生活がこわれても、その後に、神様は私たちのために天に永遠の家を約束してくださっています。家はテントよりもずっと丈夫です。しかも永遠の家ですから 、決して壊れることがありません。先日、天に召された伊東操子姉妹は、誰にも気づかれないまま静かに地上の幕屋 から天の永遠の家に移されました。そのお顔は平安に満ち溢れていました。伊東姉妹は股関節の痛みや腎臓の病気と 闘っておられました。足が痛く、体全体にかゆみがありました。しかし、今は、そのようないっさいの苦しみや痛みから解放されて、もはや死もなく、悲しみも苦しみもない世界に移されました。今日、読みました黙示録の4章と5章 には、その天国の様子が詳しく描かれています。神を信じる者に約束されている永遠の家がどのような場所なのか、 ともに学びたいと思います。

7つの教会

にメッセージを書き終わった時、ヨハネは天を見上げました。すると天国の門が開いているのが見えまし た。それは、神様が天国の門を開いてヨハネに天国の姿を見せることを決心されたことを表わしています。ヨハネが 黙示録を書いた時代、クリスチャンに対する迫害が非常に厳しくなっていました。中には、余りにも苦しいので、信 仰を失う人もいました。この黙示録を書いているヨハネはパトモスという島に閉じ込められていました。イエス・キ リストは神であると人々を教えたためにつかまったのです。彼はイエスを信じる信仰者として生きていましたが、それは非常に孤独でつらい人生であったはずです。彼はもともとエペソ教会で働いていましたが、愛する協会の人々に 会うことも出来ず、礼拝に出ることも赦されませんでした。ローマ帝国の人々は彼を完全に捕らえて、その信仰をつぶすことができると考えていたかもしれません。

しかし、

そのようなヨハネのために神様は天の門を開いて、彼に天国の姿を見せたのでした。旧約聖書の時代には、ヤコブという人が自分の兄から殺されそうになって、恐れと悲しみの中で逃げていました。夜、べテルという場所で石を枕にして寝ました。周りは明かりが何もない真っ暗な夜でした 。しかし、そのときも、神様はヤコブにすばらしい幻を見せてくださいました。彼は地上と天国の間にかけられたは しごのうえを天使たちがのぼったり降りたりしているのを見たのです。ギリシャ語で「人間」とは「上を向いて歩くもの」という意味を持っています。私たちは、病気に苦しんだり、家族を失ったり、仕事を失ったり、そのような周 りが全部壁でふさがれてしまうような時があります。しかし、そのようなとき、神様はヨハネに語ったように「上を見なさい。」と言われるのです。まだ見たこともないような素晴らしい天国の世界を神様は見せてくださることがあります。私たちは自分の周りを見るのではなく、天の素晴らしい御座に権威をもって座っておられる神様を見ようで はありませんか。その時、私たちの問題は神様に比べると、本当に小さなものであることに気づくのです。

そのような

人々に神様は、彼らの将来に待ち受けている天国の姿を見せて、彼らを励まそうと思われたのでしょう。 そして、声が聞こえてきました。それはヨハネが幻を最初に見た時に聞いたのと同じ声でラッパのような声でした。 それは復活された主イエスの声です。主イエスの声は弟子たちにいつも大きな励ましを与えていました。主が十字架 にかかって三日目に復活された時も、弟子たちはユダヤ人を恐れて戸を閉めて隠れていました。そこへ復活の主が現 われて、「平安があなたがたにあるように」と言われました。聞きなれた主の声を聞き、主の姿を見て弟子たちは非常に喜びました。私たちは、この世で生きている時に、自分の周りにどんなに大勢の人々がいても、さびしさを感じることがあります。困難に直面 している時、恐れを感じるものです。イエスの弟子ヨハネはこの黙示録を書いていたのはパトモスという小さな島でした。彼はクリスチャンであるという理由でこんな小さな島に送られていたのです。 しかし、彼はひとりぼっちではありません。彼が見上げると、天の門が開いている幻が見え、そしてイエス様の声が 聞こえたのです。

さて

ヨハネが幻の中で最初に見たものは何だったでしょうか。それは天にある御座とそこに座っておられる方、つ まり神ご自身の姿を見たのでした。黙示録の中で「天の御座」という言葉が40回も使われています。ユダヤ人が昔から神様を考える時に、天の御座からこの世界全体を支配しておられる姿を思い浮かべていました。このように「天の御座」は神様の絶対的な権威を表しているのです。ヨハネの時代の人々にとって、その時代に最も権威の大きかった 王座はローマ皇帝の王座でした。ローマの素晴らしい建物の中には常に皇帝のための素晴らしい御座がありました。 当時の世界のほとんどすべての権威と力と富をローマ皇帝は持っていました。しかし、ヨハネは宣言しています。「 ローマ皇帝は人間に過ぎない、一時的なこの世での権威をもっているだけだ。しかし、ローマ皇帝の権威は神の権威 には足元にも及ばないものだ。」この世界でどんなに強そうに見えるものでも、神の前には本当に弱いものです。かつてソ連や東ヨーロッパは鉄のカーテンと言われるほど力を持っていました。世界が東と西に分かれるほどにソ連は大きな国でした。しかし、そのソ連も国が出来てからわずか70年ほどで崩壊してしまいました。イエス様は言われました。「この天と地は滅びます。しかしわたしの言葉は永遠につづくと」と。普通 、私たちは天と地は変わらないものだと考えます。

私は

去年子供時代をすごした山口県を35年ぶりに訪問しました。町並みはすっかり変わって昔の面 影はありませんでしたが、昔見た覚えのある山の姿は、まったく変わっていませんでした。その時、私は思いました。 「ああ、人間が作るものは変わるけれども、神様が創った自然は変わらないのだ」と。町には新しい建物、新しい道 路、新しい店が出来ていて、畑や田んぼが姿を消していました。しかし、山はそこにちゃんとありました。このように天や地は変わらないと私たちは思いますが、聖書は、そのように変わらないように見える天と地も過ぎ去って行くと教えています。詩篇の46篇に次のような言葉があります。「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。」神様の目から見ると 、天と地も変わるものなのです。この世界の中に絶対に変わらないものは何一つないのです。変わらないのは神様と 神様の言葉だけです。ですから、私たちは、このような権威をもっておられる神様の言葉に耳を傾け、その言葉に従 って生きることがどうしても必要なのです。

ヨハネ

が見た天の御座の周りには24の椅子があって、そこには白い衣を着て金の冠をかぶった24人の長老たちが座っ ていました。この24人の長老が誰なのか聖書ははっきり書いていません。しかし、いろいろな解釈がありますが、恐 らくこの長老たちとは信仰をもって地上での生涯を生き抜いた神の民、クリスチャンを現していると思われます。黙 示録の3章4節では忠実なクリスチャンには白い衣が与えられるという約束があります。また2章10節では忠実なクリ スチャンにいのちの冠が約束されています。ででは24と言う数は何を意味するのでしょうか。24は12の倍数です。 旧約聖書の時代に神様の民はユダヤ人だけでした。ユダヤ人には12の部族がありました。しかし、主イエスキリスト が来られて神様の祝福、罪のゆるしは全世界の人々に与えられるようになりました。そのために主イエスは12人の弟 子たちを選び彼らを遣わしてそのメッセージを語らせました。今、教会にはユダヤ人と異邦人つまり、ユダヤ人では ない人々がいます。ですから、24人の長老とは教会全体をさすのだと思われます。

そして、

その周りに4つの生き物 がいました。この生き物は旧約聖書のエゼキエル書にも現われています。この生き物は何を意味するのでしょうか。 この生き物は一つはしし、つまりライオンのようであり、二番目は雄牛のようであり、三番目は人間のようであり、 4番目はわしのようでした。これらの動物は皆、最も尊い生き物、最も強いもの、最も賢い者、最も早いものを現しています。それぞれの世界で一番優れた生き物と言うことができます。ライオンは動物の中で最もすばらしいもの、 、雄牛は家畜の中で最も強いもの、わしは鳥の中で最も早いもの、そして人間は作られたものすべての中で一番知恵 があるものです。ですから、この4つの生き物はこの世界の中にある神様が創られたものを現していると考えられます。これらの生き物は昼も夜も叫び続けています。「聖なる聖なる聖なる神様」彼らは神様を賛美していました。つまり、天国では、神を信じる人間と、この自然が神様を賛美していることを現しています。

聖書は、

この世にあるすべてのものは神様の手によって創られたと教えています。私たちの周りにある美しい自然も、また私たち一人一人、 あなたも私もすべて偶然に生まれたのではなく、神様の願いと計画によって創られたものなのです。そして神様によ って創られたものがその目的に従って生きる時、つねに神様を賛美するようになるということです。私たちが毎週日曜日に集まって礼拝していますが、これは神様を賛美することなのです。礼拝とは良いお話しを聴くためではありません。唄を歌うためでもありません。自分の願い事が実現するように祈るためでもありません。この世界を創られた 神様の素晴らしさを賛美するためなのです。ある人が言いました。「神様はみみずをも創られたのだろうか。」みみずが、その本来創られた目的を果 たして生きているとすれば、みみずはその行いによって神様を賛美しています。神を礼拝するとは、何か特別 な儀式を行ったり、霊的な雰囲気を作ることではありません。私たち一人一人が神様に創られたことを喜び、感謝して、自分に出来る力で神様がすばらしいということを告白することなのです。私たちは天国に行って神様のそばでいつも神様を賛美することになります。そこはもはや地上の苦しみや悲しみがない、喜びだけが満ち溢れた所です。しかし、クリスチャンは、幸いなのです。この地上で天国の準備のようなことを礼拝で行っています。あなたはあなたのままで良いのです。他のひとと同じ事をする必要はありません。ただ神様を心から賛美しましょう。神さまはすばらしい方だということを歌を通 して、み言葉を聞く姿勢を通して、祈りを通して、また奉仕や献金をとして表しましょう。その時、あなたの周りが天国、つまり神様がおられる所になるのです。神様の御座があり、神様の力があふれ、神様の祝福があなたから周りの人々へ流れ出すのです。
 

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