礼拝めっせーじ
礼拝説教06/17|礼拝メッセージ集2001礼拝メッセージ集2000聖日礼拝


礼拝説教 2001-06-17『我らと共に生きる神』(ローマ書8章22-29節)

多くの宗教は、信仰の道に

入ったら苦しみも悩みも病気もなくなって、人生の全て良くなると教えます。しかし、それは本当にそうなのでしょうか。信仰を持っていても、自分がどれほど気をつけていても、思いがけないことが起こったり、襲ってきたりするのが人生ではないでしょうか。イエス様のところに、一人の学者がやってきて言いました。「先生、わたしは、あなたが行く所には、どこでもついて行きます。」するとイエス様は答えました。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、わたしには枕するところもない。」このように、主イエスの教えに従って生きることは決して楽な道ではないことを示して、わたしたちに覚悟するように言われました。

しかし、

苦しみとか悩みがあることは不幸なことなのでしょうか。幸福とは悩みや苦しみが一切ないことを意味するのでしょうか。先日、中島先生ご夫妻がお話をしてくださいましたが、奥様が選んだ聖句は詩篇の119篇の71節の言葉でした。「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」という言葉です。中島先生がまだやくざだったとき、熱心にプロポーズして結婚したのに、結婚すると家に帰らず散々奥様を苦しめました。しかし、この苦しみから奥様が神様に叫ぶように祈るようになって、それから中島先生の家庭は変わって行ったのです。あの苦しみがあったからこそ、今の中島先生ご夫妻があるのです。人間の本当の強さは、このような悩みや苦しみを経験することによって得られるのではないでしょうか。

私たちの体に例えて

考えて見ましょう。私たちの体に、病気の原因になるようなビールスや菌をいつもいつもなくして、無菌状態でいることが本当の体の強さになるのでしょうか。無菌状態で育った体は、弱いビールスにも負けてしまう体です。しかし、ビールスをもらって病気になって、そこから回復した体には免疫がつきます。その病気と闘って勝つ力が生まれるのです。これと同じように、私たちの心も、このような悩みや苦しみを乗り越えることで強くなるのだとしたら、苦しみを経験することは、必ずしも悪いことではないのです。詩篇の著者は苦しみを経験して、神様のおきてを学んだと告白しています。人は苦しみを通して、本当に神を信頼するようになるのではないでしょうか。いつも言っていますように、私たちの神は、インマヌエルの神様です。つまり、いつも私たちの生活の中に働いてくださる神様です。そのことを決して忘れてはなりません。

神様を信じる者

には大きな助けがあることが約束されています。私たちクリスチャンにはこの世界を創り、今もこの世界の動きを支配しておられる全能者である神様に直接祈ることができます。26節に、「御霊もまた同じように、弱いわたしたち助けてくださる。私たちは、どのように祈ったら良いか分からないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」と書かれています。聖霊の神がわたしたちのためにとりなしてくださるとありますが、「とりなす」という言葉の意味は何でしょうか。この言葉は、もともとは、「親しい人と出会う」という意味があったそうですが、今では、「悩みや苦しみの中にいる人に出会って、その人に助けが与えられるように祈る」という意味で使われています。実は、クリスチャンには、このとりなしの祈りをしてくださる方が二人いるのです。一人は、天において父なる神の右にあって私たちのために祈っていてくださる御子イエス・キリストです。(ヘブル7章25節)しかし、もう一人、私たちのためにとりなしてくださる方がおられます。聖霊です。聖霊の神は、私たちのうちに働いて祈りを助けて下さるのです。

私たち、クリスチャンは

主イエスの十字架の死を通して、罪を赦され、神の子供として新しく生きる者となりました。しかし、私たちのうちには、弱さが残っています。神様は、私たちの弱さを理解してくださり、受け入れて下さる方です。そしてその弱さを助けてくださるのです。私たちが悩みや苦しみの中にいる時、どのように祈ったらよいか分からない時があります。何を祈ったよいか分からない時があります。そのような私たちのために聖霊が「言いようもない深いうめきによって」助けてくださるのです。祈りとは、私たちが自分の力や経験で祈るのではありません。本当の祈りは、まず自分の弱さを知るところから始まります。無力な者である私たちが真剣に全能の神様に祈り求める時に、聖霊が私たちの祈りの弱さをも補ってくださるのです。祈りの言葉に上手も下手もありません。本当に苦しい時は、口から言葉も出て来ないことがあります。うめくことしかできない時があります。しかし、聖書は、そのようなうめきこそ、聖霊が働いておられることだと教えています。聖霊がうめいている私たちと心を合わせてくださり、足らないところを補って父なる神様に、私たちの祈りを届けてくださるのです。「苦しい時は祈れない」と言う人がおられますが、それは「苦しい時に、きちんとした言葉で祈れない」という意味だと思います。でも、きちんとした言葉で祈れなくても良いのです。言葉にならなくても、神様に心を向けることができるはずです。その祈りに神様は必ず答えてくださいます。是非、覚えてください。あなたが苦しい時、あなたが悩む時、天においては復活の主イエスが私たちのために祈ってくださっています。同時に、私たちがとても祈れそうにないような時に、聖霊が私たちのうちに働いて弱い私たちを助けて下さるのです。

私たちと共に生きてくださる神様は、

弱い私たちを助けてくださるだけではありません。28節-29節を見ましょう。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定めておられたからです。」

ここに神様について

二つのことが言われていますが、まず、神様は今、神を愛する人々のためにあらゆることに働いておられるということです。そして、もう一つのことは、神様が、私たちのために、あらかじめ定めておられた計画があるということです。ここで、この手紙を書いたパウロは「クリスチャンのために」とは言わずに「神を愛する人々のために」と言っていることには意味があると思います。パウロは、洗礼を受けてクリスチャンになったという資格が問題なのではなく、むしろ、本当に心から神様を愛する生きた信仰を持っているかどうかが問題です。そのように心から神を愛する人々は、神様がすべてのことを益としてくださることが分かるのです。「すべてのこと」というのが大切なポイントです。つまり、人間的に考えて良いとは思えないこと、益になるとは思えないこと、例えば、病気や、事故や、悩みや試練や、失望、それらすべてのことが、実は私たちにとって益になるのですが、それが分かるためには、どうしても本当に神を愛する信仰が必要です。

なぜ、そのようなものが

私たちの益になるのでしょうか。私たちが「益」という言葉を聞くと、自分に特になること、都合の良いことを考えます。しかし、私たちの人生がただそのようなものばかりだと、私たちは傲慢になったり、あるいは、試練が襲って来た時に立ち向かうことのできない弱い者になってしまいます。しかし、神様は、もっと長い目で見て、私たちにとって最も良いことを与えてくださるのです。神様の私たちに対するご計画は29節にあるように、最終的に、私たちを御子、イエス・キリストの姿に似た者にすることです。

スポーツの世界で、

コーチが選手を育てる時に、いつも目標を立てます。最高の選手を目標にして、少しでも近づけるようにトレーニングをします。それは、決して、簡単なことではありませんし、辛いことも多いです。しかし、そのトレーニングを続ければオリンピックでメダルが取れるようにもなるのです。その選手が持っている力を最高に発揮できるように指導した結果です。

神様
も、

私たちの中にあるものを最高のレベルにまで高めることを願っておられます。私たちがイエス・キリストと同じ姿に変えられたなら、もう、本当に何も恐れることはありません。とにかく、どんな大変なことが起きても、それを乗り越える力が与えられるからです。神様は、あなたに、この最高のレベルの生き方を与えたいと願っておられます。そしてそのために、あらゆることを働かせてくださいます。そして助けてくださいます。私たちは、そのために、神様から選ばれた一人一人なのです。今朝、ここに集まっている私たちは、皆、神様から最高の生き方を身につけるようにと選んでくださって、ここに導いてくださっているのです。コーチは選手と生活を共にしています。神様は私たちと生活を共にして導いてくださるのです。すべては神様の計画に任せて、神様に十分に訓練していただきましょう。必ず、私たちは、イエスと同じ姿、最高の生き方をする人に変えてもらえるのです。時には、苦しいこともあるでしょう。しかし、神様を信頼しましょう。神様は不思議な方法で、私たちの人生に奇跡の働きをしてくださるからです。

偉大な説教者
スポルジョン

にも神様が働いてすべてを益にしてくださいました。ある冬の日曜日、田舎町に建って
いた小さな教会では、計画がうまく行きませんでした。雪があまりに深くて牧師が教会まで来ることができなかったからです。また、その教会の後ろの席に座っていた一人の少年も、計画がうまく行きませんでした。激しい雪のために、自分が行きたいと思っていた教会まで行くことができず、途中にあった教会に仕方なく入っていたのです。教会も少年も困っていましたが、この二つの状況が合わさって、素晴らしいことが起こったのです。つぶれた二つの計画が奇跡を起こしました。たまたま、立ち寄った教会で、牧師がいない教会で、長老が読んだ聖書の言葉を聞いて改心した少年が、後の偉大な説教者スポルジョンとなり、イギリスだけでなく世界中に大きな影響を与えたのです。

あなたの
人生

にも神様が働いておられます。ちょうどじゅうたんを織る人のように、神様はあなたの人生の図柄を織っています。その模様は神様からははっきり見えているのですが、反対側にいるあなたからはその模様がよく分からないのです。いらいらしないで、絶対に間違いをしない神様を信頼してください。確かに、あなたの人生の模様が織られています。その模様があなたにもはっきり見えるようになるときが必ずやって来ます。神様はあなたに最高の生き方を与えるために、今日も働いておられるのです。

 

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