礼拝めっせーじ
礼拝説教09/16|礼拝メッセージ集2001礼拝メッセージ集2000聖日礼拝


礼拝説教 2001-09-16『悪を滅ぼすキリスト』(黙示録12章7-12節)

(イントロ)
9月11日に

アメリカがテロ攻撃を受けました。それも、民間航空機を4機ハイジャックしてビルに突っ込むというこれまでに見たこともないテロ攻撃でした。アメリカは、これは単なるテロではなく戦争行為そのものであると見なしています。私は火曜日の夜、たまたまテレビをつけると画面には大きな穴から黒い煙を上げるニューヨークの高層ビルが映っていました。ビルで爆発事件があったのかと思って見ていると、もう一機の飛行機が隣のビルに激突しました。最初はその出来事の意味がわからず、呆然としていましたが、その後、刻々とテロ攻撃のニュースが入ってきて、事態の深刻さを知り、重苦しい恐れを感じました。

本当に私たちの人生には

自分の力ではどうしようもないような出来事が起きるものです。自分の無力を感じることがあります。使徒パウロは一人のクリスチャンとして本当に偉大な働きをした人ですが、彼は自分の弱さをはっきりと知っていました。パウロはその生涯において苦しみを受け、迫害され、絶望したことが何度となくありました。しかし、彼にはいつも主イエスをうちに抱いていました。第ニコリント4章7―10節に彼の思いが記されています。

9月14日、

アメリカは祈りの日としました。実は9月14日はアメリカ国歌が作られた日でもあります。1812年からアメリカはイギリスと戦争状態になりアメリカ東部で激しい戦闘が繰り広げられていました。アメリカのボルチモアが激しい攻撃を受ける姿をフランシス・キーという名前の弁護士は胸を痛めて眺めていました。一晩中続いた戦闘にも関わらず、アメリカ軍は攻撃を耐え忍び、そこに星条旗がはためいていました。その光景を見た若い弁護士は1814年の9月14日に「星条旗よ永遠なれ」という現在のアメリカ国歌を一気に書き上げました。普通オリンピックなどで歌われる一番以外の歌詞はほとんど知られていないそうですが、その歌詞の内容のあらましは、次のようなものです。「夜明けの薄明かりの中、見えるだろうか。私たちの誇りである星条旗が、一晩の戦いを耐え忍んでなおはためいているその旗を。ロケット弾が赤く光り、爆弾が空で炸裂した、しかし、一晩中、星条旗は立ち続けた。そして今もなお、はためいている。自由と勇気の国、わが大地の上に。」

金曜日の正午、
すべての人は、教会でも、ユダヤ会堂でも、モスクでもいいから祈りを捧げるようにブッシュ大統領が勧めました。ワシントンではアメリカの主な指導者を集めて礼拝がもたれました。各宗教の代表者がメッセージを語りましたが、最後にメッセージを語ったのは、日本でも有名なビリー・グラハム博士でした。ビリー・グラハム博士は次のように語りました。「今日、私たちは、ここに集い、今こそ神を必要としていることを告白するものです。私たちをばらばらにしようと企んだテロリストたちでしたが、彼らの作戦は失敗し、かれらのテロ行為によって、むしろ私たちの心は一つになっています。私は、アメリカ国民が愛に満ちた神の手が差し伸べられていることを感じてほしいと願っています。皆さんの中には神に対して怒りを感じておられる方もいるでしょう。その方々にぜひ知っていただきたいことは、神ご自身があなたの感情を理解しておられるということです。」

インターネットのクリスチャン

関係のホームページにも今回の事件に関係する色々な記事が載っていましたが、それを読むと、今回の事件を通して、長い間教会から離れていた人が教会に行って祈ろうとしているようです。私たちは、このような恐ろしい事件が起きると、わたしたちは何をしたら良いのだろうかと考え込んでしまいますが、アメリカのスタンリー牧師は次のように言っておられます。「第一にこのような惨劇がなぜ起きたのかという問題を私たちの小さな頭で完全に理解することはできないということを覚えておきなさい。第二に、私たちの本当の安全はこの世にあるのではなく、クリスチャンの安全はイエス・キリストへの信仰にあることを知りなさい。第三に、信者の群れである教会は祈ることが使命である。第四に、今こそ、聖書の言葉を読みなさい。第五に、あなたの生活の中で、誰かに神の愛を伝えたり実践する機会を求めて神に祈りなさい。」私たちは、このような恐ろしい出来事が起こっても、つねに、この世界を支配しておられるのは神様であることを知っています。ここまで歴史を導いてくださった神様が、聖書に約束されているように、すべてのことを働かせて益としてくださると確信することができます。だから、私たち、クリスチャンは、恐れや不安を感じている人にを慰め、励ますことができるのではないでしょうか。皆さん、是非、お祈りしてください。あなたに今、できることは何であるのか、神様の導きを祈り求めてください。

さて、
今日も、

私たちはヨハネの黙示録を読みました。いつも言っていますように、黙示録は私たちの住む世界がどのような終わりを向かえるかということを語る書物です。そこには神と神に反対する勢力の戦いが起こります。黙示録が語っていることは現実に起きることだということを私たちは忘れてはなりません。今回の事件で、その確信をさらに深めた方も多いと思います。今日読みました黙示録12章の7節から9節において、神と、神に反対する者、聖書がサタンと呼ぶ者との戦いが描かれています。私たちの周りにはいつも争いがあります。戦いがあります。子供同士のけんか、近所でのトラブル、職場での争い、国の中での戦争、そして国と国とが争う戦争など、私たちの生活の中に、つねに戦い、争いがあります。それぞれの争いには原因があるわけですが、聖書は、この世界の根源までさかのぼれば、この世界は、神とサタンとの闘いであると述べています。7節―8節に「天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。」と書かれています。ミカエルとは天使の頭の一人で、神に仕える存在です。竜はサタンを表しています。12章の4節を見ると「竜の尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。」と書かれています。竜の尾によって天から星が落ちたと書かれています。イザヤ書14章によると、サタンとは天から落ちた星、天から落ちた存在です。神によって造られた御使いでありながら、神のようになろうとして天から落とされた存在です。そのことが起きたのは人間が創られる前のことであり、サタンは神様が人間を作ることに逆らったのだと考えられています。アダムが神様によって創られてから、サタンは何とか人間を作ったことが誤りであったことを証明しようとしているのです。

サタンというのは

旧約聖書の言葉、ヘブル語の名前ですが、これが新約聖書の言葉であるギリシャ語に翻訳すると「ディアボロス」となります。この言葉の本来の意味は「偽って罪を訴える者」「中傷する者」という意味があります。ですから、サタンは主イエス・キリストを救い主として信じ受け入れているクリスチャンたちの罪を神に訴えるのです。神様は「子よしっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と宣言されたのに、サタンは私たちに「お前は罪がある。罪深い人間だ。だから罪を犯すのが自然なんだ。無理するな。」と私たちに声をかけてくるのです。そして、神に向かっては、私たちの罪が赦されていないと訴えるのです。サタンは、結局は、神様の救いの計画を妨害しているのです。神様は、聖なる神ですから、悪や罪を見逃すことができませんが、赦すことのできる方です。私たちの罪をゆるすために一人子主イエス・キリストが十字架で私たちの代わりに罪の刑罰を受けてくださいました。しかし、サタンはその計画を邪魔するために人間の敵となってあくまでも訴え続ける存在です。ところが、そのサタンはミカエルと天使たちとのたたかいに敗れて天から地上に落とされてしまいました。その時までは、サタンも天国に自由に行くことができ、私たち人間の欠点を見つけては、私たちが価値のない人間だと訴え続けてきました。しかし、キリストが私たちの身代わりとなって十字架で罰を受けられたとき、サタンは神との戦いに負けたのでした。十字架と復活によって、どんなに罪の深い人間でも、主イエス・キリストを救い主として受け入れるとき、私たちの罪は赦され、神様は私たちを受け入れてくださるようになりました。もはや、神様はサタンの訴えを聞きません。例えて言うと、私たちは主イエスの聖なる衣を着せていただいたので、神様はもはや私たちの罪を見ることなく、キリストの義で覆われた私たちを見てくださるのです。

神に仕えるミカエル

と天使たちはサタンに勝利します。その時、天で大きな声が聞こえました。11節です。「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」ここに、厳しい迫害を耐え忍んだクリスチャンたちもサタンに勝利したと書かれていますが、彼らが勝利した理由が二つあげられています。一つは「小羊の血」よる勝利だと書かれています。私たち自身にはサタンに打ち勝つ力はありません。しかし、小羊の血、十字架で流されたイエスの血潮こそ神の力を表すものです。サタンは繰り返し繰り返し私たちの罪を訴えます。しかし、第1ペテロ1章18―19節にかかれているように、「あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」だから、イエス・キリストを信じる者は決して罪に定められることがありません。(ローマ8章1節)もう一つは「あかしのことば」と聖書は言っています。当時のクリスチャンは激しい迫害に苦しんでいました。しかし、彼らは主イエスの教えに忠実に従いました。キリストの言葉に生きた人々でした。その信仰生活、あかしの生活はけっして揺らぐことはありませんでした。当時のローマ皇帝ネロは、精神的に少し異常でした。ローマの街を自分が好きな街に変えるために火をつけて大火事を起こしました。しかもそれをクリスチャンが行ったことにして大勢のクリスチャンが処刑されました。ある者はライオンの餌食になり、ある者は皮袋に石と一緒に入れられて皮に流されたり、コールタールを塗られて火で燃やされたりしました。それでも彼らは信仰を捨てず、信仰に生き、信仰のゆえに死にました。彼らは死にいたるまで命を惜しみませんでした。

サタンが
天国から
落とされたことはクリスチャンにとって良い知らせではありますが、同時にこの地に住む人々にとっては災いの知らせです。「悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」地上で働ける時が短いことをしったサタンは激しく怒って、全力を尽くして神の計画を妨害しようとしています。サタンがいろいろな人々の心を捕らえて働いています。今、地上で、最後の戦いが行われているのです。神の民とサタンの戦いです。ですから、今の時代、これまでも聞いたことも見たこともないような出来事が次々と起こっているのです。しかし、どのように状況が絶望的でも、サタンの攻撃がどのように恐ろしいものであっても、イエスキリストを信じる者は恐れる必要はありません。サタンに残された命は短く、まもなく神様の最後の勝利の時が来ることが決まっているからです。マルチン・ルターが作った有名な賛美歌267番に素晴らしい言葉があります。
 悪魔、世に満ちて、よし脅すとも、かみの真理(まこと)こそ、わがうちにあれ。
 陰府の長よ。ほえ猛りて、迫り来とも、主のさばきは、汝がうえにあり。

 

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