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礼拝めっせーじ
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礼拝説教
2001-10-07『ハルマゲドンの戦い』(黙示録16章12―20節) 今、私達は黙示録を呼んでいますが、黙示録は終末を扱っています。この終末には、個人的な終末と世界の歴史としての終末があります。個人的な終末は肉体の死のことです。 生きている人間は、朽ちて行く肉体と朽ちない霊が結合して生きています。創世記2章7節に「土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。」と書かれています。
息という言葉は「ルーアッハー」という言葉が用いられていますが、この言葉は息という意味以外に「霊」という意味も持っています。人が動物と違う点は二本足で歩くとか言葉を使うことなのではありません。人間は神様の霊を吹き込まれてはじめて生きる者となったという点が他の動物と違うのです。人は死ぬとき、肉体は朽ちて行きますが霊は残ります。人は死んだら消滅するのではありません。神を信じている人の霊は「パラダイス」に行きます。パラダイスとはペルシャの言葉で「王様と貴族のための庭」という意味があります。昔、ペルシャの国では王様がゆっくり人々と語り合う場所を宮殿に作っていました。その庭をパラダイスと呼んだのです。ですから、パラダイスとは私たちが神様とゆっくり交わることのできる場所と言えるでしょう。私たちの霊は、肉体の死の後、神と交わることのできるパラダイスへ移されます。一方、神を信じていない人の霊は「ハデス」に行きます。ハデスはルカ福音書16章23節には「苦しみの場所である」と書かれています。肉体の死の後、人は魂だけの状態になります。それは不完全な状態なのですが、それはしばらくの間の状態です。パラダイスも素晴らしい状態なのですが、世の終わりの時、完全な状態が訪れます。聖書は、世の終わりの時に、救い主イエス・キリストが再びこの世に来られると約束しています。一度目とは違って神の子としての栄光を帯びて来られます。その時、神を信じて死んだ人の霊は、新しい朽ちることのない、栄光の体を与えられてよみがえります。その時、朽ちない霊は、今度は朽ちない栄光の体と結びついて、死んだ人々はよみがえります。その時に、まだ生きている人は、一瞬のうちに栄光の体に変えられます。このように、人間の一生は、肉体の死と同時に終るのではありません。私たちは永遠に生きる者として造られているのです。
世界の歴史としての終末とは何でしょう。人間は神に造られたものであって、本来、神に感謝をささげるべき存在です。しかし、最初の人間アダムとエバは神に感謝をささげることよりも、自分の欲望を大切にして神様のおきてを破ってしまいました。そのときから、世界の歴史は、自分の欲や自我にしばられた人間が、その束縛から解放されて喜びに満ち溢れた生活ができることを目指して進んで来ています。世界の歴史は人間の救いの歴史と言うことができます。まず、二千年前に神であるお方が低くなられて、私たちと同じ姿を取り、十字架の刑罰を受けられました。このことによって、私たちには、自分の罪が赦されるという道が開かれました。主イエスは神の子としての活動を始めるとき、こう言われました。「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」主イエスは「神の国が近づいた」と言われました。だから、人間の歴史において、主イエスが人の姿を取ってこの世界に来てくださったときに「神の国」が始まったと言えます。ギリシャ語の「神の国」は「神の支配、力」という意味を持っています。神にとって歴史が完成するのは、この世界に100%神の支配が及ぶ時です。これはまだ実現していません。神の国が完成するのは、この世界の歴史の終わりの時であり、イエス・キリストの再臨の時です。その時、人間の罪が完全に取り除かれて、神がこの世界を実質的に支配されるのです。聖書は、主イエスの再臨の前に、大きな苦しみがクリスチャンを襲うと預言しています。主イエスはマタイ24章8節で「しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみのはじめなのです」と言われました。ですから、主イエスの再臨の前には多くの苦難が起きるでしょう。しかし、それは待ち望んでいる幸福な時代を生み出すためにどうしても通らなければならない時代であり、状況なのです。
ヨハネの幻の中に世の終わりの困難な時代を示す預言が含まれています。それは一本の巻物に記されていますが、その巻物には7つの封印があり、7番目の封印が解かれると7本のラッパが現れて神の裁きが起こります。そして7番目のラッパが吹き鳴らされた時に7つの鉢が現れて、されに神の裁きが続きます。したがって7つの鉢による裁きは、患難時代のクライマックスを描いていると考えられます。つまりキリストの再臨の直前の状況を示すものです。第一の鉢がもたらした神様の裁きは「悪性のはれもの」でした。
は、この世の悪を滅ぼすために与えられます。人間は神の栄光を表すために造られたにもかかわらず、神に栄光を表さずに、かえって自分勝手な生き方をするようになりました。神様が創った素晴らしい環境も、人間は自分勝手な理由で破壊してしまいました。例えば、オゾン層の破壊が顕著な例です。神様は人間が快適に暮らせるように地球を造り、ちょうど良い距離に太陽を作られました。私たちは太陽の光と熱を受けて快適に暮らしています。しかし、太陽光線の紫外線は私たちの体に害を与えます。それで、恵み深い神様は紫外線から私たちの体を守るために地球の周囲にオゾン層という薄い膜をも造ってくださったのです。しかし、人はこのオゾン層を破壊しました。生活に便利なフロンガスを使ったりして破壊しました。オゾン層の破壊は南極の上空が特にひどく、南極に近いチリやアルゼンチンの南部では人々はサングラスなどで皮膚ガンから自分を守っています。
がもたらす神の裁きは「水の災い」で、人は自由に水を飲むことができなくなります。第四の鉢の裁きは「太陽の灼熱」です。何らかの原因によって気温が激しく上昇するようです。人々はその熱に耐えられなくなります。第五の裁きは「暗闇」です。炎天下に続いて暗闇が生じると言われています。長期にわたって太陽が出ないために気温が下がり、農作物は壊滅的な被害を受けることになるようです。しかし、16章10-11節を見てください。「人々は苦しみのゆえに神に対してけがしごとを言い、自分の行いを悔い改めようとしなかった。」このような状況になっても、人々は神に立ち返ろうとせず、逆に神をののしっています。これがサタンに支配された今日の世界の現状なのです。
ところが、その時に、天から神様の声が響いてきました。「見よ。わたしは盗人のように来る。」人間が傲慢になって神に立ち向かうその時に、キリストが再臨されるのです。そして再臨したキリストはこの世界の悪を完全に滅ぼされます。19章19節に「わたしは、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。」と書かれていて、20節以下に彼らが滅ぼされたことが記されています。遂に、キリストがこの地上を支配される時が来たのです。
これからさまざまな災いが起こり、最後には大きな戦いが起こることが預言されています。しかし、その時、クリスチャンはどうなるのでしょうか。主イエス自身の言葉を聞きましょう。黙示録3章10節「あなたが、わたしの忍耐について言った言葉を守ったから、わたしも地上に住む者たちを試みるために全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。」イエス様の言葉は力に満ち、私たちに安らぎを与えます。主イエスは「忍耐について言った言葉」と言われましたが、主ご自身、地上の生活で絶えず忍耐を実践されました。主がさまざまな苦しみを経験し、忍耐を実践されたからこそ、私たちの弱さや苦しみに同情することがおできになるのです。私たちがどんなに弱い者であっても、主への信仰を捨てずに生きる時、主イエスの約束は決して破られることはありません。主はあなたを確かに守ってくださるのです。「どんな被造物も、私たちの主イエス・キリストにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8章39節) ページのTOP (上記の文章を許可なく他に転載することを禁止します。) |