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礼拝めっせーじ
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礼拝説教
2001-12-23『定められたクリスマス』(旧約聖書ミカ書5章1-5節) (イントロ)
に、主イエスが生まれた頃、中東と呼ばれる地域で新しい王が生まれるのを待つ雰囲気が高まっていました。ローマの歴史家にスエトニウスという人がいますが、その人がこう書いています。「東方の国々には昔から一つの信仰があった。それは、その頃、ユダヤから世界を支配する者が現れるという信仰だった。」当時の人々は、世界を新しくする王、支配者を待っていました。そのような時に、東の国の博士たちは非常に明るい星を見たので、彼らはユダヤに向かって旅に出たのです。彼らはユダヤの都エルサレムに来ました。そして「ユダヤ人の王として生まれた方はどこにいますか。」町の人々に尋ねたのです。そのうわさは、すぐに当時のイスラエル王ヘロデの耳に届きました。王様なら、誰でも、「新しい王が生まれた」といううわさを聞くと動揺すると思いますが、ヘロデの場合は特別でした。それには二つの理由がありました。一つは、ヘロデはユダヤ人とエドム人との間に生まれたので、半分外国人の血が流れていました。ですから、ユダヤ人の間であまり人気がありませんでした。二つ目は彼の性格です。彼は政治的な力を持っていましたが、彼は非常に疑い深い性格の持ち主でした。そして年を取るに連れて、その傾向はますます強くなりました。誰かが自分の地位を狙っていると思うとすぐに殺しました。彼は自分の妻、妻の母、そして3人の息子を殺してしまいました。ですから、ヘロデにとっては、小さな村ベツレヘムに住む2歳以下の男のこと全員殺すことなど簡単なことだったのです。東の国から来た博士のことばに恐れを感じたのはヘロデ王だけではありません。エルサレムの人々も同じでした。彼らはヘロデ王の性格をよく知っていましたから、きっとヘロデ王が何か恐ろしいことをすると分かっていたからでした。ヘロデ王は、さっそく、祭司長と律法学者を集めました。彼らはユダヤ教の指導者で、旧約聖書のことをよく知っていました。ヘロデ王は旧約聖書は何と言っているのか知りたかったのです。すると、聖書に詳しい彼らはすぐにヘロデ王に答えました。「ユダヤのベツレヘムです。」と言って、ミカ書の5章2節の言葉を引用しました。
の時に、マタイの福音書は3種類の人間を描いています。そしてそれぞれが主イエスの誕生に違った反応を見せています。第一に、ヘロデ王です。彼は、新しく生まれる王、赤ちゃんが自分の生活、権力を奪うことを恐れて、ベツレヘムの2歳以下の男の子を全員殺しました。主イエスが自分の生活の邪魔になると考えている人々はイエスを憎みます。第二に祭司長、律法学者などユダヤ教の指導者たちです。彼らにとって主イエスの誕生は、どうでもよいことでした。彼らは神殿で行われるいろいろな儀式のことや、聖書の細かい解釈のことばかり考えて、主イエスにはまったく無関心でした。ですから、ベツレヘムに生まれるという聖書の預言を知っていたのに、誰も主イエスを拝みに行きませんでした。第三に博士たちです。彼らは外国人でした。ユダヤ人にとっては、外国人は犬と同じで軽蔑されていました。しかし、彼らは遠い国からお金と時間を使って主イエスを礼拝しに来ました。さて、私たちは、いったい、この3種類の人々のうちどれに相当するでしょうか。
読んでいただいたのは、ヘロデ王に呼ばれた律法学者たちが引用した旧約聖書の預言書です。ミカ書の5章です。ミカという預言者は主イエスよりも700年以上前に活躍した人です。そのころイスラエルは北王国と南王国に別れていました。そして東の国アッシリアが強くなり、すでに北王国は滅ぼされ、エルサレムにもアッシリアの軍隊が迫っていました。アッシリアの軍隊は非常に残忍でした。平気で人を殺しました。そのためエルサレムの住民は恐怖でパニックになっていましたが、その時、救い主に関する預言がミカに与えられました。救い主イエス・キリストに関する預言について学びましょう。
よ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」(2節)ミカはまず救い主がベツレヘムで生まれると預言しています。ミカの時代も、イエス様が生まれた時も、ベツレヘムは小さな村でした。神様がこの世界に人となって生まれるとすれば、私たちは、当然、エルサレムで生まれると思います。エルサレムには神殿や素晴らしい建物がたくさんあり「永遠の神の都」と呼ばれていました。神様の権威や栄光を考えるとエルサレムが最も相応しい場所です。しかし、神様は主イエス・キリストが生まれる場所としてベツレヘムを選びました。エフラテというのはベツレヘムの古い名前です。もともとイスラエルの人々はそれぞれの部族が固まって住んでいました。ベツレヘムはユダという部族の人々が住む地域にありましたが、その地域の中で一番小さな村でした。しかし、神様はその小さな場所を選ばれたのです。そしてそれは、神様の永遠の計画の中で決まっていました。ベツレヘムは今は、救い主イエスが生まれた場所として有名です。イエス様の誕生を記念する教会がたっており、大勢の人々がベツレヘムに来ます。小さな田舎の村が主イエスが生まれたことによって世界的に有名な場所になりました。これは、私たち、主イエス・キリストを信じる者にもあてはまることです。私たちの多くは、特別な力も権威も、能力もありません。小さな一人の人間です。しかし、神様はそのような小さな私を選んでくださり、主イエス・キリストと関係を持つように導いてくださいました。私たちがどんなに小さな人間、弱い人間であっても、主イエス・キリストを信じ、主イエス・キリストとともに生きる時、私たちは神様によって人生が変えられ、大きく用いられる人になります。イエス様が神の子として働いておられたとき、ある日、5000人の人に食べ物を与える必要が起こりました。弟子たちは困り果てました。しかし、その時、一人の男の子が自分の弁当を差し出しました。それは5つのパンと2匹の魚だけでした。しかし、その小さなお弁当がイエス様の手に入ると、奇跡が起きました。その小さな弁当が5000人の人のおなかを満たして、さらに残ったのです。これと同じように、神様は、小さな者を選ばれます。そして小さな者を大きく用いてくださるのです。しかも、救い主がベツレヘムに生まれることが永遠の昔から決まっていました。人間の歴史の中で、多くの人が権力を握り世界を支配しましたが、すべての人はやがて衰え死にました。一つの国が生まれ、一つの国が消えました。しかし、救い主をこの世に送るという神様の計画は永遠に変わることがなかったのです。それと同じように、私たちが、救いを受けることも、神様の永遠の計画にあったことだったのです。神様は、永遠の昔からあなたを選んでおられました。あなたが今日、この礼拝の場所に集まっているのも、実は、神様があなたを選んでこの場所に導かれたからなのです。 (2)私たちを養う救い主
主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ。」(4節)
(3)真の平和をもたらす救い主
は、少し難しいですが、この救い主イエスが、あらゆる敵の攻撃から教会と、そのメンバーを守ることが約束されています。5節の最初の部分は、新改訳では、「平和は次のようにして来る」と訳されていますが、ほとんどの聖書では、「この方は平和である。」と訳されています。これはヘブル語では、「これ」という言葉に、「この方」という意味もあるので、「これが平和になる」とも訳せるし、「この方が平和である」と訳すこともできるからです。いずれにしても、救い主が平和をもたらすという意味になります。平和というのは品物のようなものではありません。救い主イエスご自身が平和です。人間の約束や誓いによって平和が実現することはありません。イスラエルとパレスチナが平和を求めて何度も話し合いをしていますが、まだ平和は訪れていません。聖書は、この方が、つまり救い主イエス・キリストが平和であると言っています。ですから、主イエスを信じて、心の中に主イエスを持っている人が平和を体験できるのです。
の敵はアッシリアという国でした。アッシリアが攻めて来たとき、私たちはどうなるでしょうか。5節に「私たちはこれに対して七人の牧者と八人の指導者を立てる。」と書かれています。ここで、七人、八人と繰り返して言われているのは、数が多いことを意味しています。敵が攻めて来ても、イエス・キリストには数多いリーダーがいるのです。主は彼らを用いて働かれるのです。そして、6節の最後に、「彼は、私たちをアッシリヤから救う。」と書かれています。敵は教会を襲ってきます。私たちを襲ってきます。信仰から離れさせようと必死に攻撃して来ます。しかし、主イエスはすでに勝利を経験されています。そしてどんな敵からも私たちを救うと約束されています。主イエスは十字架にかかる前に弟子たちに言われました。「あなたがたはこの世では患難がある。しかし勇敢でいなさい。わたしは世に勝ったのである。」主イエスが私たちに与えてくださるのは勇気と勝利です。主イエスは十字架と復活によって永遠の勝利をすでに獲得しています。ですから、この世が私たちに悪を働いても、主イエスを信じ、主イエスとともに生きる私たちは主イエスから勇気と勝利を受けることができるのです。 ページのTOP (上記の文章を許可なく他に転載することを禁止します。) |