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2002礼拝めっせーじ
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礼拝説教
2002-01-20『イエスの赦しの言葉』(ルカ23:33-38)
(イントロ)
(1)赦す愛の祈り
、十字架にかかる直前にゲッセマネの園で激しい祈りをしました。主イエスは額から血と汗が流れるほどに苦しみを感じておられました。そして「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。」と祈られました。主イエスは、全能の力を持った神でしたから、十字架の上から一息はけば、ローマの兵隊を殺すこともできました。しかしながら主イエスは父なる神の御心に自分の生涯をすべて従わせたのです。主は「彼らをお赦しください」と祈られましたが、「彼ら」とは誰でしょうか。もちろん、直接的には、十字架のまわりにいた人間、すなわち、主イエスを十字架につけたユダヤ教の指導者たちやローマの兵隊たち、また、「イエスを十字架につけろ」と叫んだ群衆たちのことです。さらには、自分を裏切った弟子のユダや、裁判で十字架刑を決定したピラトも入っています。しかし、「彼ら」の中には十字架の前に生きた人も、十字架の後に生きた人も、すべての人が含まれています。ヘブル書2章9節には「その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。」と書かれています。
は「彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と私たちのことを弁護しておられます。知らずにしていることだから赦してほしいと願っておられます。しかし、十字架の周りにいた人々は本当に自分が何をしているのか分からなかったのでしょうか。主イエスを十字架につけろと訴えていたユダヤ教の指導者たちは何度も主イエスの話を聞いていました。しかし、彼らは主のメッセージを聞いてそれに反論することができませんでした。ただ、多くの人々が彼らから離れて主イエスについて行ったので、主イエスは自分たちを脅かす危険な人物と考えました。ピラトも同じです。彼は自分が裁いている主イエスに罪がないことをはっきり知っていました。だからこそ、彼は何度も主イエスを十字架にかける必要はないと主を訴えるユダヤ人たちに言いました。しかし、彼は群集が暴れると自分の役人としての立場が悪くなるので、彼らのしたいようにさせました。主イエスを裏切ったユダも知っていました。ユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚をユダヤ教の指導者たちに返して、「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」と言ったのです。しかし、赦す愛に満ちた主イエスは、彼らが憎しみやねたみなどから自分を十字架にかけたことをすべて知っておられましたが、それでも、すべての人に対して「父よ彼らをお赦し下さい」と祈られました。そこに主イエスの赦す愛が表されています。 (2)赦す愛の力
に「十字架の言葉は、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」と書かれています。主イエスが十字架で語られた言葉は神の救いを信じない人々にはおろかな言葉に聞こえますが、主イエスを信じる者にとっては神の力です。私たちを罪から救い出し、新しい人に変える力を持っています。そのことが主イエスが十字架にかかられた時に起こりました。主が十字架につけられたとき主の両側に一人ずつ犯罪人が十字架にかけられていました。はじめのうちは二人とも主イエスに向かってののしるようなことを言っていたでしょう。マタイの福音書の27章44節には「イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも同じようにイエスをののしった」と書いてあるからです。しかし、主イエスの「父よ、彼らをお赦しください」という言葉に、そのうちの一人が変わりました。そして十字架のイエスを見て、その犯罪人はイエスが神であると信じたのです。彼に対して主は言われました。「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいる。」
十字架の極限の痛みに苦しんでいる時に赦しの祈りをしました。赦しには苦しみが伴います。痛みが伴います。主が十字架で苦しまれたように、わたしたちも人を赦す務めを行うためには痛みを経験しなければならないでしょう。使徒の働き7章では、ステパノという信者が信仰を持っていたために殺されました。しかし、群集が怒りに燃えて彼に目がけて石を投げようとする時、彼は主イエスの幻を見ました。そして大声で叫びました。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」ペテロも手紙の中でこう書いています。キリストはわたしたちのために苦しみを受け、わたしたちがキリストの足跡に従うようにと、模範を残されました。主イエスの十字架の働きを一言で言うと「赦し」の働きです。繰り返し語っているように、わたしたちが救われたのは、主イエスが十字架ですべての苦しみを経験してくださったからです。キリストのうち傷のゆえに、わたしたちは赦されたのです。そのイエスの生き方を見習って生きるのがクリスチャンです。主イエスの大きな犠牲のゆえにすべての罪を赦してもらった者として、主イエスと同じ務めを果たすことがわたしたちに与えられている使命だと思います。
ほど前に、アメリカにジョセフ・ロビンスという名前の人がいました。彼は鉄道会社で働いて成功していました。彼に嫉妬心を抱いた近所の男が彼の家に押し入って金を奪おうとしました。彼は外から彼に向かってピストルを撃ちました。窓越しに中を見るとロビンスは身動きしませんでした。その男が中に入ると、ロビンスの声が聞こえました。「父なる神様、わたしを撃った男を哀れんでください。主イエスによって彼を赦してください。」彼はそう言って死んだそうです。その男は、結局、自首しました。裁判に立った時、彼はこう言いました。「あの男が言った言葉が頭から離れなかった。結局、俺は、神に許しを求めて祈ったよ。」
のときに、一人のアメリカの空軍パイロットが名古屋を爆撃した後、霧の中で方向が分からなくなり、不時着し、捕虜としてつかまりました。日本の軍人から2年間ひどい扱いを受け、飢えと寒さと病気に苦しみました。昭和19年の5月に聖書をもらうことができたので、彼は夢中になって、寝る時間を削って、その聖書を読みました。何度も読み返し、大切な聖句を暗記しました。1ヵ月後、彼はローマ人への手紙の10章9節のみ言葉「あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で信じるなら救われる」を読んだときに、彼は主イエスを神として信じ受け入れました。彼はすぐにマタイの福音書5章44節の「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」という言葉を実践し始めました。日本人に対する憎しみが不思議と消え、毎朝、彼は自分にひどい扱いをする兵隊たちに優しく挨拶をしました。彼らのために祈りました。すると彼に対する兵隊たちの態度も変わり、時々、彼にそっと食べ物などを差し入れるようになりました。戦争が終わって、デシェーザーさんは宣教師になって日本に戻りました。そして自分が爆撃した名古屋に教会を建て、日本中に証をして回りました。彼の証を聞いて一人の日本人がキリストを信じました。その人は淵田光男といって真珠湾攻撃を指揮した軍人でした。二人はのちに親しい友人となって、日本や世界にキリストによる許しのメッセージを語り続けました。 ページのTOP (上記の文章を許可なく他に転載することを禁止します。) |