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2002礼拝めっせーじ
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礼拝説教
2002-01-27『神の約束の言葉』(ルカ23:39-43)
(イントロ)
(1)ふたりの犯罪人
を見ると、ほかにも二人の犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために引かれて行ったと書かれています。死刑の処刑場に引かれていくとき、人はどんなことを考えているでしょうか。どんな悪人でも死を目の前にすると、心は乱れ、苦しむのではないでしょうか。そして彼らは十字架に釘付けにされ、十字架が立ちました。もはや、彼らの人生は終わりでした。肉体的に、彼らの体は十字架にぶら下がって、苦しみの中で体力が衰え死ぬのを待つだけでした。彼らは大切な一度きりの人生を自分の欲望のままに生きたために、このような最後を迎えなければなりませんでした。自分の罪の中に生きていた彼らは、神から離れており、希望のない人生を歩んでいたのです。彼らは、死を目の前にして、恐れました。何とか助かりたいと思いました。十字架の周りに集まっていたユダヤ教の指導者たちが主イエスをののしっていました。「もし、お前が神の子なら、自分を救ってみろ。」その言葉を聞いた彼ら二人も、いっしょになってののしりました。「お前が本当に神の子なら、自分と俺たちを救え。」それは、絶望的な叫びでした。 (2) 一人の犯罪に起きた変化
そのときに、主イエスの口から十字架上の最初の言葉が語られました。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのか分からないのです。」十字架の極限の苦しみ中で、自分を殺そうとしている人々、自分をあざけりののしっている人々のために、主イエスが赦しを求める祈りをしました。この主イエスの祈りが一人の犯罪人の心を刺しました。裁判官ピラトの前から、十字架が立つゴルゴタの丘までともに十字架を担いで歩いて来るときも、彼は主イエスの態度が普通の人とはまったく違うことに気がついていたでしょう。そして、あの祈りの言葉を聴いて彼は確信しました。「この方こそ正しい方、人が言っているように救い主に違いない。」
という有名な讃美歌があります。この讃美歌の歌詞を書いたのはジョン・ニュートンという人です。彼は7歳で母を亡くし、11歳から船乗りの父と一緒に11歳のときから船に乗る生活を始めました。若いころは、反抗的で荒れた生活をしていました。彼は奴隷売買の仕事を始め、ついには奴隷船の船長になりました。アフリカの黒人を捕まえ、白人に売り、アメリカに運ぶという仕事は残酷な仕事でした。彼が23歳のとき、アフリカからイギリスの戻る彼の船がひどい嵐にあいました。もう助かる見込みがないようなひどい嵐でした。彼は、激しく揺れる船の中で「キリストにならいて」という信仰の本を読み始めました。最初に、彼がこの本を船の中で見つけたときは、くだらない本だと馬鹿にしていたのですが、荒れ狂う嵐の中で死の恐怖に襲われた彼は、その本を読みながら生まれて初めて神に祈りました。すると不思議なことに船も乗組員も助かったのです。嵐の中の恐怖の体験と信仰書に書かれていたメッセージがニュートンの心を捉えて、彼は主イエス・キリストを救い主と信じ受け入れました。神への感謝の気持ちに満ちた彼は、後に牧師になり、そしてこの歌を書きました。
は神を恐れる心により、悔い改め、主イエスを救い主と信じる信仰を持ちました。そして主イエスにお願いをしました。「イエスさま。あなたが御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」彼は神からまったく遠く離れた人間でした。十字架につけられるほどの悪人ですから、生まれ育った家庭もひどい状況だったでしょう。だれからも愛されることなく、世間に対して恨みをいっぱい持っていた男でした。今さっきまで、彼は十字架の恥と苦しみに怒りを感じていました。また神の愛を伝えてくれる人もいませんでした。彼はまったく希望のない人生を生きてきました。しかし、そのような男の魂に信仰が生まれたのです。「わたしを思い出してください。」これまで犯罪と失敗を繰り返してきた彼は自分が死んだ後、天国にいける希望は最初から持っていませんでした。それで、彼は「わたしもいっしょに天国に連れて行ってください」とは言わずに「わたしを思い出してください」と言ったのです。
に対する主イエスの言葉はびっくりするような言葉でした。私たちは、普通、よい行いをした人が天国へ行くことができて、よい行いをしなかった人は天国に入れないと考えますが、聖書にはそのような教えはないのです。どんな罪人であっても、その人が心から罪を悔い改めて主イエスを信じるならば天国に入ることができるのです。
が言われた言葉「あなたは、今日、わたしとともに、パラダイスにいます。」ここに3つのことが含まれています。主は「今日」と言われました。それは、はっきり決まった時間です。それは、この犯罪人が過去の生き方を悔い改めて、主イエスを救い主と信じて生きることを決断したときです。天国に行くために必要なことは、この明確な決断をすることです。何となくとか、いつの間にかではなく、危機的な瞬間が必要です。さっきお話したジョン・ニュートンの場合であれば、彼が嵐の中で死に対する恐怖の中で生まれて初めて神に祈った瞬間です。私自身、今から約30年前の4月4日に小さな信仰の祈りを祈りました。同時に、主はこの犯罪人に、「お前は聖書を読んでいない」とか「お前は教会の礼拝に通っていない」とは言われませんでした。「今日、この瞬間、あなたの罪は赦された」と主は宣言しておられます。主の約束は、主イエスを救い主を信じた瞬間に、私たちは確実に天国にいる状態になるということです。犯罪には、いつか主が天国に行かれる時、遠い将来のことを考えていました。しかし、主は、今この瞬間と言われるのです。ですから、私たちは、死の間際でも、神から罪を赦され救いに入れていただけるのです。
主は言われました。「あなたは、今日、わたしとともにいます。」と言われました。主イエスとともにいるのはなんとすばらしいことでしょうか。クリスチャンにとって一番大きな喜びは、私たちが一人で生きているのではないということです。クリスチャンとは、一言で言えば、神とともに生きている人ではないでしょうか。それは幼子が親とともに生きているのに似ています。私たちが子供の頃、家族の将来のこと、親が仕事リストラになるのかとか、家のローンをちゃんと払えるだろうか、そのような問題について心配しません。すべて親が守ってくれると信頼しているからです。主イエスは言われました。「誰でも幼子のようにならなければ天国に入ることはできない。」それは、周りがどのような状況であっても、また将来どうなるか分からないとしても、私たちを守り導いてくださる神様に信頼しきって生きるときに、私たちは本当のクリスチャンと言えるということです。
「あなたは、今日、わたしとともにパラダイスにいます。」と主は言われました。パラダイスという言葉はもともとペルシャ語で、壁で囲まれた庭を意味する言葉でした。ペルシャの王宮には、壁で囲まれた庭があり、木が豊かに植えられていました。その庭で、王様はもっとも親しい人と散歩をしながらいろいろなことを話し合ったり相談をしたそうです。そこは王様がもっとも親しい交わりをした場所ですから、普通の人は絶対に入ることができませんでした。主イエスは、私たち罪びとに向かって言われます。「わたしと一緒にいてください。あなたはわたしにとってもっとも親しい人、大切な人です。ゆっくり話をしましょう。」わたしのような神様を無視したり、神様を恐れずに自分の欲望のままに生きてきたような者に向かって、主イエスは、そう言われるのです。主は、このひどい犯罪を犯した男に向かってこの言葉を言われました。
「わたしはあまりにも罪深いです。あなたから赦される資格はありません。」と言う必要はありません。また、「わたしは年をとりすぎています。もう遅すぎます。」と言う必要もありません。この犯罪人のように、自分の罪を素直に認め、イエス・キリストを救い主と信じ、謙遜な心で主イエスに向かって、「わたしを赦してください。」と言ってみてください。 主イエス・キリストは、今日、あの犯罪人に向かって言われたのとまったく同じ天国の約束の言葉を言ってくださいます。
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