2002礼拝めっせーじ
礼拝説教04/07|メッセージ2002メッセージ2001メッセージ2000


礼拝説教 2002-04-07『主から受けた使命』(ヨハネ20章19-22節)
 
(イントロ)
本田先生
が昨日の午前7時42分に天に召されました。90歳と6日の生涯でした。生涯現役の伝道者であることを貫いて89歳まで説教を語り続けてくださいました。そして3月10日の私たちの教会での礼拝が先生の最後の説教となったのです。私は、本田先生が80歳ぐらいの頃から個人的に交わりを持ち、いろいろな指導を受けることができました。私が、神学生の時、神学校を卒業して牧師としての働きを始めた時、先生は私を自分の息子のように愛してくださり、また、導いてくださいました。以前、先生が日曜日の礼拝に来られる時は、私が来るまで迎えに行くことがありました。先生の家がある世田谷から北本まで日曜日の朝は約1時間のドライブです。その車の中で、本田先生は神学校では聞くことのできないいろいろな話をしてくださいました。本田先生が私に繰り返し注意されたことがあります。それはお金の誘惑と女性の誘惑とプライドの誘惑に絶対に負けてはいけないというものでした。この教会は教団に属していないので、私はあまり他の教会の先生方との交わりがないのですが、今の日本のキリスト教会の状況についてもあまり知りません。本田先生がいろいろ教会の裏話をしてくださったことも大切な思い出です。ですから、先生が昨日天に召されて本当に寂しく悲しかったです。でも、いつまでも悲しんでいても本田先生は喜ばないと思います。先生が持っておられた伝道スピリットを受け継いで、私たち一人一人が主イエス・キリストの素晴らしい教えを人々に語っていくことが大切だと思います。

今日
は、主イエスの復活に続いて起きた出来事から学びたいと思います。弟主イエスの墓が空っぽであることが分かったのは日曜日の朝のことでした。マグダラのマリヤという女性が朝早くに主イエスの遺体が入れられた墓へ行ってみると、入り口をふさいでいた大きな岩がころがり墓の中は空っぽでした。びっくりしたマリヤは急いで弟子たちに報告しました。そこで弟子のペテロとヨハネは急いで墓に行って、彼らも墓が空っぽであることを自分の目で確かめました。しかし、まだ、弟子たちは主イエスの復活のすばらしさを完全に理解していませんでした。それで、その日の夕方、弟子たちは、自分たちもユダヤ人から殺されるのではないかと恐れて扉を閉めて隠れて集まっていました。彼らは主イエスがいなくなって恐怖に襲われていたのです。

弟子たち
の恐れ

を消したのは何でしょうか。一つには、彼らのところに復活の主が来てくださったことです。弟子たちは、主イエスが十字架にかかる前に捕まった時に、皆、主イエスを捨てて逃げてしまいました。また、主の復活の後も、喜びではなく恐れに満ちて過ごしていました。彼らは本当に悟りの鈍い弟子たちでした。しかし弟子たちは主を見捨てましたが、主は決して弟子たちを見捨てませんでした。主は彼らの所にこられたのです。主の名前の一つは「インマヌエル」どんなとき私たちとともにおられる主です。主は、恐れに満ちた弟子たちのところに来てくださいました。そして「平安があなたがたにあるように」と言われたのです。弟子たちにとって主イエスのこの言葉以上に励ましとなったものはないでしょう。そして主はご自分の傷ついた手と脇腹を弟子たちにみせました。この傷は、私たちの罪を赦すために主が私たちの代わりに受けてくださった苦しみです。この苦しみのおかげで、私たちはすべての罪を赦され永遠に神様との素晴らしい交わりを持つことができるようになったのです。主イエスの傷ついた手と脇腹を見て、弟子たちは確信しました。確かに、主イエスは復活されたのです。確かに主イエスは神の御子であると彼らは、ようやく確信を持つことができました。そのとき、彼らの恐れは喜び変わりました。


つぎに、

主イエスは、喜びに満ちた弟子たちにひとつの使命を与えました。「父が私を遣わしたように、私もあなたがたを遣わします。」主イエスは、知っていました。弟子たちが決して完全な人ではなくたくさんの弱さや欠点を持っていることを知っていました。しかし、それでも、主は世界でもっとも大切な任務を弟子たちに任されたのです。主イエスは、弟子たちだけではなく、私たちにも同じ使命を与えておられます。「全世界に出て行ってすべての作られた人々に主イエス・キリストの十字架と復活の知らせを伝えなさい。」という使命です。人生でもっとも大切な問題は、私たちが永遠のいのちを持っているかどうかということです。たとえ、私たちが全世界を手に入れても、罪の許しを永遠のいのちをもっていなければ、私たちは永遠に神の祝福から引き離されてしまいます。人間が死と直面するときには、この世で価値あると考えられているもの、たとえば、財産や会社の地位や知識・教養などは、はっきり言ってあまり役にたちません。人間の最大の問題である死を解決することができるのは主イエスを信じる信仰だけなのですから、人々に主イエスのことを伝えることは世界でもっとも大切で素晴らしい働きだと言えるのではないでしょうか。それは牧師だけがする働きではありません。あなたが今生活している場所で、人々に伝えることができるのです。私を救いに導いてくれたのは大学で知り合った友人でした。彼が主イエスのことを教えてくれなかったら私の人生は全く変わっていました。ですから、私は、本当に、その友人に感謝しています。あなたはどうでしょうか。この教会に導かれ、主イエスを信じるようになったのはあなただけの働きによるでしょうか。その陰に誰かが祈っていたはずです。誰かが誘ってくれたはずです。誰かが主イエスのことを話してくれたはずです。彼らの働きがあったらからこそ、今のあなたがあるのです。今度はあなたが誰かに声をかける番ではないでしょうか。

主イエスは、

恐れに満ちていた弟子たちに現れてくださいました。そして彼らに大切な任務をゆだねられました。そして3番目に、主イエスは彼らに、その任務を果たすことができるように特別な力を与えてくださいました。主は「聖霊を受けなさい」と言って彼らに息を吹きかけられました。主は、私たちのような小さな者を用いてくださる方です。主は弱い者を力強く用いてくださる方なのです。本田先生ほど多くの人々に福音を語った牧師は日本には他にいないと思います。しかし、それは本田先生が特別に優秀で特別な力を持っていたという訳ではないと思います。本田先生は主イエスを愛し、そして何とかして、主イエスのことを人々に伝えたいという強い情熱を持っておられました。その情熱を主が用いられました。主が本田先生の情熱に聖霊の力を加えてくださったから、あのような大きな働きをされたのです。ミャンマーにはじめて福音を伝えたのはアドニラム・ジャドソンというアメリカ人です。彼と彼の妻は非常な暑さと迫害の中で宣教師として働きました。2年間監獄に入れられ、釈放されてすぐ彼の妻と子どもが死にました。自殺を考えるほど失望した彼は聖霊の力によって立ち直り、聖書全巻をミャンマーの言葉に翻訳し、彼は全部で3回結婚するのですが、3人の妻は皆、かれよりも早く死にました。本当に苦労の多い宣教でしたが、40年間の働きを終える頃には7000人のクリスチャンがいたそうです。

主イエス

は復活されました。肉眼では見えませんが、今も生きておられます。聖霊として私たちを導き、助け、励ましてくださいます。復活の主を信じて、主の任務を受けて生きる人生こそ、私たちがこの世に生きる目的なのです。主が力を与えてくださると信じて周りの人に主イエスにある希望・平安・喜びについて語って行きましょう。それこそが本田先生の願っておられたことだと思います。


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