2002礼拝めっせーじ

礼拝説教05/19|メッセージ2002メッセージ2001メッセージ2000


礼拝説教 2002-05-19『聖霊の時代』(使徒214−21節)
 (イントロ)

今日は、
教会のカレンダーでは「ペンテコステ」と呼ばれる日です。ペンテコステとは、元々、ユダヤ人が旧約の時代から守っていた大切なお祭りのひとつで、その祭りの日には、ユダヤ人の男性はエルサレムの神殿で神を礼拝し、捧げものを捧げるように命じられていたので、大勢の人がぞくぞくとエルサレムに集まって来ました。このお祭りは、収穫を感謝するお祭りで、過ぎ越しの祭りから50日目に祝うものです。人々は最初に取れた収穫を持ってきて感謝と喜びをもって神様にその収穫を捧げました。主イエス・キリストは過ぎ越しの祭りの時に十字架にかけられ、そして三日目に復活されました。主イエスが十字架につけられるまでは大勢の群集がイエスの奇跡を期待してついてきていましたが、十字架につけられるとほとんどの人は主イエスから離れて行きました。ですから、最終的に、最後まで主イエスを信じつづけたのは120人だけだったのです。神様はペンテコステの日を選んで大きな働きをされました。聖霊が主イエスを信じる人々のうえに下ったのです。この120人ほどの人は、ちょうど最初に採れた収穫のようです。このペンテコステの日に主イエスを信じる人々の群れができあがり教会が始まったのですが、彼らに続いて、今日まで多くの人々が主イエス・キリストを通して信仰に導かれてきたからです。

また、
ペンテコステにはもう一つの意味があります。それは、旧約の時代、このお祭りの時は申命記の26章を読むことが習わしでした。26章3節の言葉は次のようなものです。「私は、主が私たちに与えると先祖たちに誓われた地にはいりました。」「私は神様が約束された場所に入りました」と宣言する言葉です。これは昔、エジプトに奴隷として暮らしていたイスラエルの民が指導者モーセによってエジプトを脱出し、その後、次のリーダーであるヨシュアに導かれて、神が約束された場所に入ったことを記念して宣言した言葉です。エジプトでは奴隷であったイスラエルの民が約束の場所カナンに入って、その場所を自分たちの国として自由に暮らすようになったという歴史に基づいています。これは、主イエスを信じていた最初のクリスチャンたちにとって、また、今を生きる、私たちクリスチャンにとっては、神様と新しい関係に入ったことを意味する言葉なのです。主イエスの十字架と復活によって、私たち人間は神様と新しい関係に入ることができ、新しく生きることができるのです。そのことを保証するために、神様は最初のクリスチャンたちに聖霊を注いだのです。その日をペンテコステ、日本語では聖霊降臨日と呼びます。
(1)聖霊が注がれる
主イエス
は、十字架にかかる前に弟子たちと一緒に食事をされましたが、その時に弟子たちに最後のメッセージを語られました。そして次のような言葉を言われました。「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」(14章16節)主イエスは、本当はいっさいの制限をもたない目に見えない神であられるのですが、私たちが神を知ることができるように私たちと同じ姿を取ってこの世に来てくださいました。3年あまり神のメッセージを語り、奇跡の業を行いましたが、十字架にかかる時が来ました。弟子たちをこの世に残して主は、十字架、復活そして、天に帰られるのですが、弟子たちと別れる時に、この言葉を言われたのです。主イエスは弟子たちに「もう一人の助け主」を与えると約束されました。この「助け主」とは「聖霊」意味するのですが、この言葉はギリシャ語では「助けるために呼ばれた人」を意味します。そして「助けるために呼ばれた人」とは主に3つの人々を意味しました。一つは、困っている仲間を助けるために呼ばれた友達であり、もう一つは戦いに疲れて勇気を失っている兵士を助けるために呼ばれた将軍であり、もう一つは裁判における弁護士でした。主イエスを信じるクリスチャンにとってもっとも大切なことは、私たちには、いつも、このような助け主としての聖霊が与えられているということです。私たちは困った状況に出くわすと、つい悪い方悪い方へと考えてしまいます。そして「自分は一人だ。だれも助けてくれる人はいない。」と考え、それがさらに進むと、「誰も自分のことを心配してくれる人はいない。」と考えるようになります。しかし、主イエスキリストを信じる私たちはそのように考える必要はありません。自分や家族が重い病気にかかった人も、会社や学校でいろいろなトラブルに巻き込まれた人も、主のために困難な働きをしている人も、あなたがいるところに私たちの助け主はおられるのです。

主イエス・キリスト

は、本来は天と地のすべての栄光を持っておられる神でしたが、私たちに神がどういう方であるかを理解できるようにと、私たちと同じ姿を取って、この世に来て3年間神のメッセージを語り、いろいろな奇跡の業を行ないました。しかし、主は十字架にかかり三日目に復活され、そしてそれから40日後に父なる神がおられる天に帰られました。弟子たちとともに120人のクリスチャンが残ったのですが、その彼らに主イエスが約束していた助け主、聖霊が下りました。聖霊が初めてこの世に現れた時は特別な現象が起こりました。ものすごい音がしました。聖書には「天から激しい風が吹いてくるような音」だったと書いてあります。また、炎のような舌が分かれて、彼らに現れ、ひとりひとりのうえにとどまりました。このようにして聖霊が主イエスの弟子たちに下ったとき、一人一人が聖霊に満たされて、突然、外国の言葉で話し始めました。ペンテコステの祭りに参加するためにローマ帝国の各地から熱心なユダヤ教の人々がエルサレムに来ていたのです。彼らはユダヤ人ですが、ヘブル語を話すことはできず、自分たちが住んでいる国の言葉を話していました。彼らは、イエスの弟子たちが突然いろいろな国の言葉で話し始めるのを見てびっくりしました。自分の国の言葉話しているからです。創世記の時代に、人々は神に反逆しました。自分たちの力で天の神に近づくために高い塔、バベルの塔を建て始めましたが、神の裁きを受けて、言葉が混乱し、互いに話ができなくなったのです。それ以来、世界には言葉の壁ができて一つにはなれず、むしろ争いを続けて来ました。人間は、何とか自分の力で一つになろうとしたのですが、できませんでした。しかし、ペンテコステの日に聖霊が下って、弟子たちがいろいろな国の言葉で話し始めたので、そこに集まっていた人たちは、言葉が違っても、皆、弟子たちの話を理解することができました。これは象徴的な出来事だと言えます。一つには、世界や、そこに住む人々は互いに対立していますが、神の力が働く時には言葉の壁を超えて一つになることができるということです。もう一つは、主イエスの弟子たちの使命は、全世界のあらゆる国民に対して、イエス・キリストの良い知らせをその国の言葉で語ると言うこと暗示しています。ところが、周りにいた人々中には、びっくりして、「あの人たちは酒を飲んで酔っぱらっているのだ」と弟子たちを非難する人々が現れました。そこで、主イエスの弟子の一人ペテロが、間違った非難をする人たちに説明をするため、立ち上がって説教を始めたのです。

(2)ペンテコステのメッセージ
ペテロ

は、ペンテコステの日に起きた出来事は旧約聖書に預言されていたことだと説明しました。ペテロは旧約聖書の中のヨエルという預言者が800年前に預言した言葉を引用しました。「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」(2章28-29節)ここで、ヨエルは「その後」と言っていますが、預言者である彼は、後の日に、旧約の時代とは違った時代が来ることを見ていました。旧約の時代は神が、選ばれた特別の人々にだけメッセージや幻を与えていました。しかし、終わりの時代には、全ての人に神の霊が注がれることが約束されています。それは男性にも女性にも与えられ、若い人にも年老いた人にも与えられます。そして聖霊を受けた人々は神からメッセージを受け、また幻、ビジョンを受けると書かれています。この預言のことを主イエスは十字架にかかる前に弟子たちに約束されました。助け主が与えられることを約束されました。主イエスは、その助け主が聖霊であり、聖霊が私たちのために様々な助けを与えると言われました。ヨハネの福音書14章で次のように言っておられます。「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」私たちは、この世界で物質的な考え方で生きていますので、なかなか霊的なことを理解することができません。すべては科学が説明すると考えているからです。ところが、科学は、何かが起きるその現象を説明することができても、その現象にはどんな意味があるのかということは教えてくれません。どんなに科学が発達しても、私たちの心の悩みが消えることがないのはそのためです。科学は人間の体の仕組み、どのように生まれ、どのように成長し、どのように年を取り、死を迎えるのかという説明はできます。しかし、人がなぜ生きているのか、生きる意味は何かという問題には答えることができません。しかし、聖霊は、私たちに必要なことを教え、また、主イエスが語られた言葉の意味をはっきりと理解できるように導いてくれます。私たちが本当に知らなければならない問題の答えを教えてくれるのです。

今は

聖霊の時代と言われています。主イエスを信じるすべての人に、聖霊が注がれるのです。クリスチャンは決して一人で生きているのではありません。主イエス・キリストが聖霊という目に見えない姿で私たちとともに歩んでくださいます。生きる意味を教えてくださり、どのように生きるべきかを教えてくださる助け主であり、私たちが助けを必要とするときに、すぐそばに来て助けを与えてくださる助け主です。

今日、

礼拝に、清水正江さんが来ておられます。数年前に天に召された清水竹一郎さんの奥様です。先週、正江さんからとてもうれしい手紙をいただきました。洗礼を受ける決心をしましたというお手紙でしたが、正江さんが洗礼を受ける決断をされたのは、ご主人である竹一郎さんが、病気で入院をしておられるとき、死を目前に迎えていても、いつも平安で過ごしていた姿にとても感動したからだということでした。竹一郎さんはなぜ、死を迎えた時も、あのように平安でいることができたのでしょうか。科学の力でしょうか。いいえ、違います。聖霊が竹一郎さんに、死ぬことは人生の終わりでも敗北でもなく、永遠の希望に向かう勝利の時であることをはっきりと教えていたからです。あなたにも助け主が与えられています。

 


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