礼拝説教
2002-07-28『助けは神から来る』(1サムエル17章41ー49節)
(イントロ)
旧約聖書の中に記されている戦いの中でもっとも有名な戦いの記事を読みますが、その前に、前回のメッセージを思い出していただきたいと思います。今から3000年前にイスラエルの国は初めて王様を持ちました。最初の王様の名前はサウル。彼はイスラエルの誰よりも美しく、また、非常に背の高い人物でした。ところが、彼は神様の掟を破ったため神様は彼に代わる2代目の王を選びました。王様を選ぶという働きを神様から任されたのはサムエルという名の預言者でした。彼は、最初の王サウルがまだ王としての権力を持っている時に、次の王を選ぶという非常に難しいことをしなければなりませんでした。なぜなら、もし、このことがサウル王にばれると、サムエルは王から殺されるかも知れないからです。彼は、神様の指示に従ってベツレヘムという小さな町に住むエッサイという人を訪れました。神様はエッサイの息子を2代目の王として選ばれたからです。エッサイには息子が8人いました。サムエルが彼の長男エリアブを見たとき、(この男が2代目の王様になるに違いない)と思いました。しかし、エリアブは神様が選んだ男ではありませんでした。神はサムエルに言いました。「わたしは人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」私たちは、自分の目で見えるものから強い影響を受けます。外見を見て自分の心の中に考えが形作られるのですが、多くの場合、その考えが間違っているのです。今日取り上げる、戦いにも先ほどの神様の言葉が当てはまります。「人はうわべを見るが主は心を見る。」
イスラエルの国の中で、南の平地はペリシテ人という外国人が支配しており、山側を支配していたイスラエルの民との間にたびたび戦争が起きていました。ダビデが2代目の王に選ばれた時も、ペリシテの軍隊とイスラエルの軍隊はエラという名前の広い谷の両側に陣を張っており、戦争が始まろうとしていました。エラの谷の斜面は両側とも非常に急でしたので、へたに攻めて行くと反対側の急な斜面を登らなければならず、敵の上からの攻撃を受けると非常に不利になります。そういうわけでペリシテ軍とイスラエル軍は40日もの間にらみ合いを続けていました。
当時は、戦争の勝ち負けを軍隊同士の戦いではなく、二人の代表を立てて二人の戦いで勝敗を決めるということも行われていました。今回、ペリシテ軍には最強の代表戦士がいました。その名はゴリアテと言いました。聖書は彼のことをかなり詳しく描いていますが、彼の身長は約2メートル90センチもありました。今、世界で一番背が高い人がチュニジアの人で2メートル38センチですから、(インターネットでギネスブックのページを調べました。)その人よりもさらに50センチ高いのです。ゴリアテは頭に青銅かぶとをかぶり、体には60キロもあるよろいをつけていました。そのうえ、巨大な盾をもった男が彼を守るために歩いていましたから、彼は完全に自分を守っていました。ゴリアテは40日間、イスラエル軍の陣営に近づき大声で叫んでいました。「お前たちの中から俺と戦う人間を出せ。俺が勝てばお前たちは俺たちの奴隷になるのだ。」これを聞いて、イスラエル王サウルをはじめすべての兵士は非常に恐れて落ち込んでいました。イスラエルから代表戦士が出るとすればサウル王だと思います。なぜなら、彼はすべてのイスラエルの男よりも頭ひとつ背が高かったからです。しかし、サウル王にはゴリアテに立ち向かう勇気がありませんでした。そんなところへダビデはお父さんの命令でやってきました。当時の兵隊はほとんどがボランティアで、食べ物は自分で用意しなければなりませんでした。父親は戦いに出て行った息子たちのために食べ物を用意してダビデに持たせました。そして息子たちの髪の毛かつめを持ち帰るようにダビデに命じました。息子たちが元気でいることを確かめたかったのです。
お父さんの命令に従って兄たちのための食べ物を持って戦場へ出かけました。ダビデが戦場に着いて自分のお兄さんたちと話をしようと思った時です。いつものようにゴリアテがイスラエル軍に近づいてきて「イスラエルをつぶしてやる」と罵ったのです。するとイスラエルの兵士たちは皆自分のテントに逃げて行きました。ダビデはびっくりしました。彼はゴリアテをその時まで見たことも聞いたこともありませんでした。ただ、イスラエルの民や神を馬鹿にする言葉を聞いてダビデは強い怒りを感じたのです。26節に「この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」と彼は叫んでいます。そしてイスラエルの兵士たちがゴリアテを見て戦う意欲を失っている姿を見て愕然としました。そんなダビデの様子を見ていた兄のエリアブは我慢ができなくなりました。「お前は、何しに戦場に来たんだ?お前のうぬぼれと悪い心は知っている。お前は戦争が見たくて来たんだろう?」彼は、戦争のことも何も知らないダビデが生意気なことを言って、まるで自分にも兵士になる資格があるような口の利き方をしていることに我慢ができませんでした。
話を聞いた者たちがサウル王に知らせたので、王はダビデを呼びました。ダビデはサウル王に言いました。「勇気を失ってはいけません。私があの男と戦います。私は羊の群れを飼っていますが、羊を守るために熊やライオンを殺したこともあります。」特に37節のダビデの言葉を読みましょう。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」これがダビデの信仰です。彼がエッサイという人の末っ子として毎日羊を飼う生活の中で養っていた神様への信仰でした。詩篇23篇はもっとも愛されている詩篇です。「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。(…)たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。」去年、アメリカでテロが起きた時に、一番多く読まれた聖書の言葉が詩篇の23篇でした。私たちの人生にもゴリアテのように不安や恐れを感じさせる出来事に直面することがあります。そのような時、私たちは覚えていなければならないこを忘れてしまい、逆に忘れなければならないことを覚えていることが多いものです。私たちは自分の力の限界や過去の失敗のことなどを覚えています。逆に、神様が全能の力を持っておられることや、過去において、神の助けを受けたことなどを忘れてしまうのです。しかし、ダビデは違いました。昔、羊飼いをしていた時に自分を助けてくれ神と同じ神がゴリアテとの戦いでも必ず助けてくださるのだと、彼は確信していたのです。それで、サウルはダビデがゴリアテと戦うことを許可しました。
は、ゴリアテとの闘いに備えてダビデに自分のよろいを着せ、頭に青銅のかぶとをかぶらせ、手に剣をもたせました。しかし、その時、ダビデはまだ10代の少年です。サウルはイスラエルの中でもっとも背の高い男でしたから、サウルのよろいがダビデの体に合うはずがありません。ダビデは「こんなものを着ていたら歩くこともできません。」と言ってよりを脱ぎ捨て、自分が使い慣れている羊飼いの杖を取り、川に行って5つの石を選んで袋に入れました。ダビデが手に持っている唯一の武器は石投げの道具だけでした。神様が働かれるときはこのようなものです。私たちがどんなに小さく弱くても、神様は大きな業を行う力を持っておられます。私たちは、特別に強い人でなくてもよいのです。特別に美しくなくてもよいのです。私たちは、特別な才能を持っていなくてもよいのです。働かれるのは神様だからです。私たちが主を信頼して主に従うとき、主が勝利をもたらしてくださいます。目の前には、今のなお恐ろしい巨人ゴリアテが立っています。人間的に見るとダビデにはまったく勝てる見込みはありません。しかし、ダビデには全能の神、天地創造の神がついていました。彼は石を拾ってゴリアテに近づきました。ゴリアテも、自分の前に大きな盾を持った男を歩かせてダビデのほうに近づいて来ました。ダビデを見るとゴリアテは口汚く罵りました。「おれは犬なのか。杖を持って向かってくるが。」まだ子供のような姿のダビデが武器も持たずに近づいてくるのを見て、ゴリアテはダビデを馬鹿にしています。おそらくダビデは石投げの道具を隠していたのでしょう。ゴリアテは気がついていません。彼はダビデを殺して体をばらばらに裂いて動物や鳥のえさにしてやると脅かしました。
は巨人ゴリアテと向かい合いました。恐ろしい相手です。恐怖に襲われると私たちは、考えがまとまらず、言葉が出てこず、どう祈ったらよいか分からなくなります。自分にとって不利なことばかりを考えてしまいます。しかし、私たちの背後には天地万物の造り主であり全能者である神様がついているのです。ダビデはゴリアテと向き合っていましたが、彼はゴリアテを見ていたのではありません。彼は、この戦いの間も、神様のことだけを考えていました。ダビデはまだ体も十分に成長しきっていない少年ではありましたが、神への信仰は本物でした。神様にとって不可能なことは何一つないと硬く信じていました。彼は自信をもって答えました。「おまえは、剣と槍と投げやりをもって、私に向かって来るが、私は、万軍の主の御名によってお前に立ち向かう。この戦いは主の戦いだ。」
持っていたのは石投げの道具と5つの石だけでした。相手は60キロのよろいを身につけ、彼の前には大きな盾を持った男がゴリアテを守っていました。絶対にダビデが勝てるはずがない戦いです。しかし、これが神様の方法です。人間の目には絶対に不可能でも、神には不可能なことは一つもないのです。ダビデは、これが主の戦いであるから必ず勝つと確信していました。ゴリアテのあざけりの言葉にも全く心惑わされることなく、彼はゴリアテの体の中でわずかに残っていた弱い部分に向かって石をとばしました。見事にその石はゴリアテの額に食い込みました。彼は、突然、大木が倒れるようにどさっと倒れました。ペリシテ軍の兵士たちはゴリアテが死んだのを見ると皆、一目さんに逃げ出しました。イスラエル軍が完全に勝利したのです。
誰もが信じなかった勝利をダビデは獲得しました。特別な力や才能もなく、また特別な武器も持たなかったダビデが巨人ゴリアテを倒すことができたのはなぜだったのでしょうか。ダビデの経験からいくつかのことを学ぶことができると思います。
ダビデは忠実な信仰生活を送っていた:彼はエッサイの末っ子として羊飼いの仕事をしていました。誰からもほめられることがなくても彼は羊飼いの仕事を一生懸命にしていました。羊を守るために彼は熊やライオンとも戦いました。そして、その困難を乗り越える時に神様の助けを実感することができました。そして、父親から兄たちに食べ物を持っていくように命令された時も、彼は従順に従っています。今、与えられている働き、使命に忠実に仕える時、神様からの訓練を受けていく時、私たちは、将来のさらに大きな働きのための準備ができるのです。ダビデはゴリアテとの戦いにたまたま勝利したのではありません。羊飼いの生活の中で少しずつ信仰を深めていたのです。
彼は人間の非難や、人間の考えに惑わされなかった:ダビデが戦場に着いたとき、彼は兄のエリアブから厳しく責められました。しかし、彼は兄の言葉に腹を立ててはいません。悪意に満ちた恨みや嫉妬の言葉にも心を惑わされることなく、ペリシテとの戦いに神様が働いてくださることだけをしっかり信じていました。また、彼がサウル王と出会ったときはサウル王から人間的なアドバイスを受けました。サウル王はダビデがまだ少年であるのを知って「無茶なことはやめなさい。奇跡を信じてはいけない。神を信じるのは良いことだが、常識的な方法で戦うべきだ。」とサウル王は人間的に見て当然のアドバイスをしています。これはダビデにとって非常に大切な時でした。もし、ダビデがサウル王のアドバイスを聞き入れてゴリアテとの戦いをやめていたら、彼は神の力強い働きを経験することはできなかったのです。彼はサウル王の鎧を着せられますが、体に合わなかったので脱ぎ捨てました。これはただサイズが合わなかったという意味だけでなく、彼はサウル王のよろいと神の力に頼ったのではなく、神様の力にだけ頼ることを選び取りました。
信仰に従ったダビデの振るまい:全能の神だけを信頼してゴリアテとの戦いに向かったダビデの行動はどのようなものだったでしょうか。まず、彼は誰にも一緒に戦いに行くようにと頼んではいません。彼はすでに人間的な助けが無くてもこの戦いのプレッシャーに耐えるだけの信仰があったからです。ダビデは、人間の助け手がいなくても、全能の神がともにおられることを確信していました。ゴリアテのののしりの言葉にも全く恐れることなく、ただ、ゴリアテの体で弱い部分、鎧や甲によって守られていなかった彼の額をしっかり狙って全力で石を投げたのです。エッサイの家で最も小さく弱かったダビデ、イスラエルの兵士の中で一番弱かったダビデは、神様の力を受けて大勝利を勝ち取りました。しかし、私たちの神様はダビデにだけ働いているのではありません。私たちもダビデと同じ信仰を持って神に信頼するならば、神様は喜んで私たちを助けてくださいます。私たちの人生は、私たちの自分の力の限界に左右されることはないのです。あなたも、ダビデのように全能者の神を信頼して見てください。あなたの人生はあなたの力の限界を遙かに超えて、奇跡に満ちた人生になることができるのです。そのために必要なこと、それはただ神だけを信頼して生きることです。イエスの弟子の一人で激しい迫害を経験したヨハネも手紙の中で書いています。「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」あなたの人生も奇跡の人生になります。その人生を歩んでみませんか。
ページのTOP (上記の文章を許可なく他に転載することを禁止します。)
|