礼拝説教
2002-08-25『神が『ノー』と言う時』(サムエル7章1-13節)
(イントロ)
およそ3000年前に生きたダビデは、彼がまだ羊飼いの少年だったときに神によってイスラエルの王になるように選ばれました。そして、その約束から約20年後に全てのイスラエルを支配する王になりました。彼は羊飼いをしていた頃、羊を襲う熊やライオンと闘うほどに勇気のある男でした。彼は彼がイスラエルの王になるまでの十数年間、彼の生涯は闘いの連続でした。外国との戦争だけでなく、彼は初代のイスラエル王サウルから命をねらわれて、生きるか死ぬかという緊張感を常に持ちながら生きて来ました。しかし、サウル王はペリシテ人との闘いに敗れて死に、サウル王の跡継ぎの息子たちも殺されたため、結局、神様の約束の通りに、ダビデが全イスラエルの王になったのです。彼はエルサレムを都にして、城壁を頑丈なものにしました。また、サウル王の時代まで放ったらかしにされていた「神の契約の箱」をダビデはエルサレムに運び入れて、エルサレムを礼拝の中心地にしました。闘いの連続で死の危険がいつも迫っていた日々がようやく終わり、ダビデにしばらくの間の平和が訪れました。彼はツロという国ヒラムという名の王からのプレゼントによってエルサレムに立派な杉の家を建てました。彼は自分の家に住むことができました。サウル王に命をねらわれて逃げ回っていた時代は、彼も彼の家族も洞穴に隠れて見つからないように暮らしていました。しかし、その時代は終わりました。エルサレムに移ってから、ダビデは新しい奥さんをもらって、彼に多くの子どもが生まれました。(聖書は一夫多妻を認めていないのですが、ダビデは当時のオリエントで行われていた習慣に従ったのでした)エルサレムという名前の意味は「平和を持つ」とか「平和の基礎」というものですが、まさに、新しい家の中で妻たちや子どもたちに囲まれて平和な家庭を築くことができました。また7章1節を見ると「主が周囲の敵から守って、彼に安息を与えられた」と書かれています。長年続いたペリシテ人との闘いも一時的に収まっていました。
平和の中で、彼は、初めて、ゆっくりと考える時間、余裕が与えられました。ある日、ダビデは、以前から考えていたことを是非実現したいという強い思いにかられました。彼は自分が神によって選ばれてイスラエルの王になったことをはっきりと自覚していましたので、彼はエルサレムを都にするとそこに神の契約の箱を運び入れました。ところが、ダビデの心に引っかかったのは、自分は立派な家に住んでいるのに、神の契約の箱が、これまでと同じようにテントの中に置かれていたことでした。それで、彼は神のために神殿を建てて、そこに契約の箱や聖なる道具を入れようと決心したのです。そこで、ダビデは、自分が最も信頼しているナタンという名前の預言者に自分の夢をうち明けました。ナタンはダビデが神のために素晴らしい計画を持っていることに感動して、ダビデに「さあ、あなたの心にあることをみな行ないなさい。主があなたとともにおられるのですから。」と言いました。彼は長い間苦労してきたダビデを励ましたいと思って、彼の計画に全面的に賛成をしました。彼は預言者ですが、一人の人間でした。自分の感情や考えに従って判断すると、預言者でも間違いを犯すことがあります。彼は、その夜、神からのメッセージを聞きます。「行って、わたしのしもべダビデに言え。主はこう仰せられる。あなたはわたしのために、わたしの住む家を建てようとしているのか。」この出来事を記したもう一つの書物、第一歴代誌17章3-4節にはもっとはっきりと神の「ノー」の答えが書かれています。「行って、わたしのしもべダビデに言え。主はこう仰せられる。あなたはわたしのために住む家を建ててはならない。」ナタンは困りました。ダビデ王は神のために神殿を建てることを非常に楽しみにしています。それに自分はダビデ王にそのプランを実行するように勧めました。しかし、ナタンは、はっきりと神が「ノー」と言っておられることを知ったのです。神のために神殿を建てるという計画は素晴らしい計画です。神様はダビデが悪い計画を立てているとか、ダビデがこの計画を立てたことが罪であると言っておられるのではありません。たしかにダビデの心には素晴らしい計画があったのですが、それは神の計画ではなかったのです。しかし、ダビデにとっては、非常につらい神からの答えでした。
1)正しい計画でも、必ずしも実現するとは限らない
の計画が自己中心の計画であると言っておられるわけではありません。ダビデがこの夢を持ったことを裁いておられるわけではありません。ただ、ダビデが神殿を建てることは神の計画ではなく、神には別の計画があったということです。神はダビデの計画には「ノー」と言っておられますが、その後に、ダビデに対して素晴らしい約束を与えておられます。8節では「わたしは地上の大いなる者の名に等しい名をあなたに与える。」と書かれています。ですから、ここでは、ダビデの考えが良い悪いの問題ではなく、ダビデが神の「ノー」という答えを受け入れるかどうかが問題とされているのです。私たちは、自分の計画が神の計画であって欲しいと願います。自分が考えるように神にも考えてもらいたいと願います。ですから、人生の中で自分が願っているように物事が進まないと、なぜ、神様は私の願いを聞いてくださらないのだろうかと、つぶやいてしまいます。神がなぜ、自分の願いを受け入れてくださらないのか、その理由が分からないことがあります。一つには、神様がすべての人に同じ計画を持っておられるのではありません。ある人には教える人になるように、ある人には建物を建てる働きをするように、また別の人には歌を歌う働きをするように導かれます。神様は、あらゆる方法によって私たちを用いてくださる方です。時には自分がまったく考えていない働きのために用いてくださいます。私自身も自分が牧師になるとは夢にも思っていませんでしたし、今も非常に不思議です。皆さんもそう思っておられるかも知れませんね。それから、神様は、「ノー」と言う理由を後から教える場合があります。ダビデにも、神様は後になって、なぜダビデが神殿を建ててはいけないのかその理由を教えられました。結局、この神殿はダビデの息子で、ダビデの次にイスラエル王になったソロモンが建てるのですが、ダビデがある日息子ソロモンに言いました。「ある時、私に次のような主のことばがあった。『あなたは多くの血を流し、大きな戦いをしてきた。あなたはわたしの名のために家を建ててはならない。あなたは、わたしの前に多くの血を地に流してきたからである。見よ。あなたにひとりの子が生まれる。彼がわたしの名のために家を建てる。』私たちの人生においても、今わからないことが、後になって、神が「ノー」と言われた理由を知ることになるでしょう。私たちは、「なぜですか」と神様に、その理由を尋ね求めることよりも、神のみ心を受け入れて、その中で、自分にとって最善のことを行い、最善の道に進んでいくことが大切なのです。
2)実現しなかった計画は、さらに素晴らしい祝福となる
が、私たちの計画に「ノー」と言われるのは、私たちが考えているよりもはるかに素晴らしいことを神様が計画しておられるからです。私たちは、自分の少しの経験と知識からものごとを判断します。しかし、神様はこの世界にある全てのものを作られた全知全能の神、つまり、何でも知っておられ何でもできるお方です。私たちは自分が一番、自分が何でも分かっていると考えがちですが、聖書はそうではないと言っています。イザヤ書55章8から13節には神を信じる者の祝福について書かれています。神様のみ心は私たちの思いのように狭いものではなく、神様が恵みとして与えようとしておられる道は人間の知恵や理屈よりも遙かに素晴らしいものであると教えています。雨や雪が降れば草木が潤い、私たちに祝福を与えます。まして、神様のみ言葉は必ず大きな祝福を与えると聖書は約束しています。私の小さな体験をお話しします。私は10年前に本田先生の勧めがあり、また教会の皆さんがお許しくださって、アメリカに1年間留学しました。そのころ、私は一人のマイケル・グリーンというイギリスの学者の本を読んで非常に恵みを感じていました。その人がカナダのバンクーバーにある神学校で教えているので、私は、留学のすすめを受けたときにバンクーバーに行きたいと思いました。そのことを本田先生にお話ししましたが、本田先生は「アズベリー神学校に行きなさい」の一声でした。私はすごく残念だったのですが、本田先生にノーは言えず、バンクーバー行きをあきらめました。アズベリーは日本から遠いケンタッキー州の本当に田舎にある学校でした。私は、ケンタッキーの田舎よりはバンクバーの方が都会だし、美しい所だしと思っていました。アズベリーに行く途中に、私たちは1週間バンクーバーに行きました。知り合いの家に泊めてもらって美しいカナダを見ることができました。ところが、バンクーバーに行って分かったことですが、私がその人から学びたいと思っていたグリーン教授は実は、その年にイギリスの神学校に移っていたのです。ですから、バンクーバーの学校に行ってもその先生から学ぶことはできなかったのです。私はびっくりしました。そしてケンタッキーの田舎に行ったのですが、行って分かったことは、アメリカの神学校で学ぶと、町に行って遊ぶような暇なんかないということでした。田舎で何もない場所だったので勉強に集中できたと思いました。また、アズベリーに行ったことがきっかけで、ケズイックという集会の奉仕をするようになったり、自分が思っていた以上の祝福を受けました。神様が、あなたの計画にノーと言うときは、神があなたを否定しておられるのではなく、あなたが考えている計画よりも、もっと素晴らしい計画があるのだということを教えておられるということを覚えてください。
3)神の御心に謙遜な心で協力すること
は、若い頃に持っていた夢が実現しないと、がっかりしたり、自分が不信仰なのかと自分を責めたりすることがあります。しかし、神様は、すべての人に神殿を建てるようにと導いてはおられません。ただ全ての人が神のみ心を受け入れ、それに従うことを求めておられます。そして、神のみ心が実現するために私たちは自分にできることを精一杯することが大切です。ダビデは、自分が抱いた夢を神から否定されました。神様のために何かしたいと思っていたダビデには、神の答えはつらいものでした。多くの人は自分の願いが受け入れられないと神に対して腹を立てます。そして「なぜですか」と問いつめます。しかし、ダビデは違いました。7章18節を見ると「ダビデ王は行って主の前に座した」と書いてあります。彼は、預言者ナタンから神のメッセージを聞いて、主の前に座りました。彼は、自分の寝室に戻って、一人になって神に祈ったのです。彼はイスラエルの王様です。何でも自分の自由に出来る力を持っている人間でした。しかし、彼は神の「ノー」の答えを聞いて神に向かって祈ったのです。そして彼は祈りの中で神様の偉大さを告白しています。22節「それゆえ、神、主よ。あなたは大いなる方です。私たちの耳にはいるすべてについて、あなたのような方はほかになく、あなたのほかに神はありません。」これがダビデの信仰です。私たちは、神のみ言葉を聞き、神のみ心に従うことが求められています。ですから、私たちは毎日、毎日神に祈り、神のみ心を求めることが必要です。「神様、これはあなたの計画でしょうか。もし違うなら、そのことが分かるように助けてください。そしてあなたのみ心の道へ導いてください。」と祈ることが大切です。ダビデは、神のために神殿を築きたかったのですが、神殿は彼が建てるのではなく、彼の息子ソロモンが築くことが神の計画でした。ダビデは神の計画を受け入れました。そして、彼は自分の残りの生涯を、神殿建設の準備に用いました。第一歴代誌の29章2節でダビデは「私は全力を尽くして、私の神の宮のために用意をした。」と告白しています。彼は神の答えに絶望して怒りや不満にエネルギーを浪費することをしませんでした。彼は立ち上がって神のみ心に協力しました。神殿を建てることができなくても、神殿建築のために材料を集めました。神殿を建設した栄誉はソロモンが受け取りました。しかし、それはこの世の栄誉、人間から受ける栄誉です。しかし、神はダビデの信仰を喜び、ダビデの王国が永遠に続くというはるかに優る祝福をダビデに与えられました。ダビデは自分の計画を神によって拒否されました。しかし、神からいつまでも続く天からの祝福を受けました。神は、たとえ私たちの申し出に対して「ノー」と言われることがあっても、いつも私たちにとって最善のことを計画し、働いてくださる方です。私たちは、自分の祈りに対する神の答えが「イエス」であっても「ノー」であっても神に感謝し、神様を信頼し続けましょう。イエスの答えもノーの答えもその答えはベストの答えだからです。神様はけっして間違うことの無い方です。
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