2002礼拝めっせーじ

礼拝説教09/08|メッセージ2002メッセージ2001メッセージ2000


礼拝説教 2002-09-08『神の懲らしめと慰め』(詩篇3,4篇)
 (背景)

今日も
ダビデの生涯から神様の豊かな愛を学びたいと思います。彼はつかの間の情欲を満たすために忠実な部下ウリヤの妻バテシェバと不倫を犯しました。それだけでなく、彼女が妊娠したことでパニックに陥ったダビデは自分の罪を隠すためにウリヤを殺してしまいました。彼は、しばらくの間、自分の罪を隠していましたが、その間、彼は眠られない日々を過ごしていました。数ヶ月後に、神様はダビデと最も親しかった預言者のナタンをダビデのところへ遣わし、彼の罪を指摘します。自分の罪を指摘されたダビデは心から悔い改めますが、罪の裁きにより、その子どもは死にました。そして、その後、彼は自分の家族の中で様々なトラブルを経験しました。その中でも一番大きな出来事は、ダビデが自分の息子アブシャロムから王座を奪われたことでした。

アブシャロム
はひじょうに美しい人でした。聖書では「アブシャロムほど、その美しさをほめはやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂まで彼には非の打ちどころがなかった。」と書かれています。しかし、彼の心は野心に満ちていました。ダビデにはたくさん子どもがいましたが、アブシャロムには父ダビデが自分を次のイスラエル王に選ぶかどうか確信がありません。彼は何とか自分の力で王の地位を手に入れようとしました。第2サムエル15章にはアブシャロム反乱のことが書かれています。彼はまず戦車と馬と50人の護衛兵を手に入れます。王座をねらう第一歩でした。そして、彼は毎朝早く町の門に立って、ダビデ王に会いに来た人を出迎えました。裁判をしてもらうためにダビデ王に会いに来る人がいました。そのような人をアブシャロムは。毎朝、町の入り口で出迎えたのです。そして誰に対しても「あなたの訴えは正しい。しかし、王の側にはあなたの訴えをちゃんと聞いてくれる人がいない。私が裁判官だったら正しく裁くことができるのだがなあ。」と言いました。また、アブシャロムは彼に挨拶をする人を見ると、その人に手をさしのべて抱いて口づけをしました。まるで、選挙運動をしているみたいですね。しかし、彼は確実に民衆の心を捕らえて行きました。

アブシャロム
はそのようなことを4年続けました。その間にアブシャロムはクーデターを起こす計画を立てていました。彼は、ダビデ王の許可をもらってヘブロンへ行きました。そしてヘブロンで反乱を開始しました。なぜ彼がヘブロンに行ったのか、その理由は何でしょうか。ヘブロンはダビデ王がエルサレムに都を移すまではダビデ王が住んでいた町でした。ですから、ヘブロンには都をエルサレムへ移したことに不満を持っている人がかなり多かったのでしょう。彼は全国にスパイを送って「アブシャロムがヘブロンでイスラエル王になった」というメッセージを送りました。15章12節に「この謀反は根強く、アブシャロムにくみする民が多くなった。」と書かれているのを見ると、当時、すでに民衆はダビデに対して以前のような尊敬と愛を失っていました。人々は王の息子、新しい王子アブシャロムに自分たちの将来を委ねようと思ったのでしょう。人々はダビデの罪を知って失望していたとことでしょう。

自分の命
が危険にさらされているのを知ったダビデはエルサレムにいる自分の家来全部に言いました。「さあ、逃げよう。そうでないと、アブシャロムからのがれる者はなくなるだろう。すぐ出発しよう。」イスラエルの王ダビデ、周辺の国々が恐れていたダビデが、息子に命を狙われて逃げ出すとは何とも哀れな姿です。彼は大急ぎで袋に必要なものを入れてエルサレムを脱出しました。そして彼はエルサレムの東にあるオリーブ山を上りました。彼は頭をおおって裸足で、そして大声をあげて泣きながら山を登りました。一緒にいた人々も皆泣いていました。しかし、このダビデの涙は自分の過去の罪に対して流した涙であったように思えます。自分が犯した罪のために民衆の心が自分から離れてしまったことを彼は強く感じていました。そしてダビデに悔い改めを迫った預言者ナタンの言葉を思い出しました。「今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。』(2サムエル12章10節)また、彼は祭司たちが神の箱を担いできたのを見て、それをエルサレムに返すように命令しました。ダビデは祭司ツァドクに言いました。「神の箱を町に戻しなさい。もし、私が主の恵みをいただくことができれば、主は、私を連れ戻し、神の箱とその住まいとを見せてくださろう。もし主が、『あなたはわたしの心にかなわない。』と言われるなら、どうか、この私に主が良いと思われることをしてくださるように。」ここに彼の信仰が表れています。彼はすべてのことを主の御心にゆだねました。彼は自分の王としてプライドが砕かれ、自分がどれほど無力であるかを悟りました。そして、神の御心にすべてを任せたのです。第二コリント7章10節に「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせます」と書かれています。ダビデは、自分の過ちを悔いて泣きました。そして、今後のことをすべて神様に任せたのです。

ダビデが

エルサレムから逃げるときに作ったと思われるのが詩篇の3篇です。詩篇3篇1節に「主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。」と書かれています。彼はイスラエルの王です。しかし、息子の反乱によって、彼は住み慣れたエルサレムの王宮からあわてて逃げ出します。彼は突然の反乱に驚き、しかも、民衆の心が自分から離れて息子のアブシャロムを求めていることを知ります。彼の軍のリーダーやまた相談役たちもアブシャロムに奪われてしまいました。彼は、息子アブシャロムの反乱を引き起こしたのは、自分がバテシェバと犯した罪であり、ウリヤを殺したことが関係していることが分かりました。だから、彼は激しく泣いたのです。彼の生活は、以前、サウル王にいのちを狙われて逃げ回っていたあの時代に逆戻りです。これから自分や自分の家族がどうなるのか分かりません。そのような中で彼は詩篇3篇に記されている信仰告白をしています。3節を読みましょう。「しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。」聖書の「しかし」はいつも希望に向かう「しかし」です。
 ダビデは神に向かって「あなたは私の回りを囲む盾」であると告白しています。ダビデが進む行く手にも、また彼らの後ろからも、アブシャロムが送ったスパイがいたことでしょう。彼がどこで捕まるか分かりません。しかし、ダビデはそのような中で神様が自分の回りを囲んで守ってくださる方であると告白しています。彼は何度も戦争を体験していましたから、盾が自分を守るのにどれほど大切なものであるのかよく知っていました。私たち、現代を生きるクリスチャンにも様々な誘惑が襲ってきます。様々な攻撃も襲ってきます。そのような時も、主は私たちのまわりを囲む盾となって私たちを守ってくれるのです。

また、

彼は、神様が「私の栄光」であると述べています。旧約聖書の時代、神様の存在は栄光の雲という形で表れていました。ヘブル語で「シェキナー」と呼ばれるのですが、エジプトを脱出したイスラエルの民にはいつも神様の栄光がありましたし、ダビデの息子ソロモンが神殿を建てた時にも神の栄光がその神殿を満たしました。ダビデが「私の栄光」と言っているのは、神様がいつも私とともにおられるという信仰告白なのです。私たちは弱いものであり無力です。しかし、全能者である神様がいつもともにおられるのです。それが私たちの慰めなのです。ダビデは、たとえ息子に裏切られても、自分の家来に裏切られても、自分には神様がともにいると告白しています。同じ神様が、今も、私たちとともにいてくださいます。とすれば、私たちは何を恐れる必要があるでしょうか。

そして3番目に

ダビデは「神様は私の頭(かしら)を高く上げてくださる方」と言っています。ダビデはすぐれた王様でしたが、彼の生涯には多くの困難、苦しみ、悩み、悲しみがありました。そのたびに彼は頭を垂れたのです。しかし、いつも神様が、神に依り頼んだダビデの頭を高く上げてくださったのです。それで、弱さを持っていたダビデも勝利の生涯を終えることができました。イザヤ書の42章に主イエスを預言した言葉が書かれているのですが、3節に次のように書かれています。「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。」葦はもともと非常に弱い植物ですが、それが傷つくと本当に弱ってしまいます。この世の人々は「そんな傷ついた葦なんか捨ててしまえ」と考えます。しかし、主イエスは「傷ついているからこそ、いっそう手厚く保護してあげなければいけない」と言われます。また、くすぶる灯心、ランプの芯の具合が悪いと火を出さずに煙をだしてしまいます。役に立ちません。世の人々は「そんな灯心は消してしまった方がいい」と考えます。しかし、主イエスは「くすぶっているから、油を注いで明るく輝くように助けてやる必要があるのだ」と言ってくださるのです。母親の愛は子どもが病気になったときに最もはっきりと現れます。神様の愛は、私たちが弱いときにこそはっきりと表れるのです。ダビデはそのことを何度も経験していました。神様はどこまでも変わらない愛を私たちに注いでくださるのです。


神への信仰

を告白したダビデは、非常に危険な状況に置かれていましたが、彼は心の中で勝利を得ていました。彼は心の中に揺るがない平安を感じていました。5節に「私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。」と書いています。ダビデはエルサレムから逃げ出して、野原で夜を過ごしました。豪華な王宮の寝室ではなく、草の上で石を枕にして寝ました。しかし、彼は安らかにねむりにつき、そして安らかに目覚めたのです。彼は敵に囲まれていました。しかし、神を信頼するとき、心は平安で満ちていました。彼がバテシェバと罪を犯し、ウリヤを殺した後、罪を隠していた時は、彼は立派な寝室で床についても眠られない夜を何日も過ごしていました。しかし、今、神を信頼する彼は、平安に満ちていました。そしてダビデは神の力を確信していました。7節で彼は「主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。」と言っています。ここで「うち砕いてくださいます」と訳されている言葉は実際には「うち砕いてくださいました」と完了形になっています。つまり、ダビデは神様が勝利を与えてくださることを本当に確信していたので、彼は神様がすでに勝利を与えてくださったと告白しているのです。今ダビデは野宿をしています。回りにはどんな獣が隠れているか分かりません。しかし、彼は若い頃羊飼いとして働いていたときに神の守りを何度も経験していました。だから、今回も、必ず勝利を与えてくださると告白しているのです。イザヤ書の中で神様は神を信頼する人々への約束として次のように言われました。「あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。」敵がどんなに騒いでも、主の御手の中にいるならば、私たちは神に守られているので恐れることはありません。どんな敵であっても全能者である神に立ち向かうことはできません。そしてこの約束は「主のしもべたちの受け継ぐ分」である神は言われました。 
そしてダビデは

8節で神様を賛美しています。「救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。」彼の口から確信と希望に満ちた言葉があふれ出ました。神を信頼した結果です。神様は、ダビデを励ますために、いろいろな助け手を送りました。アブシャロムから逃げるダビデとその一行のために必要な食べ物を持ってきた人もいました。そして、アブシャロムが大急ぎで集めた未熟な軍隊は、経験豊かなダビデの兵士たちの攻撃に耐えられず、アブシャロムは逃げる時に長い髪が樫の木の枝に引っかかって宙づりになりました。それを見たダビデの将軍ヨアブはアブシャロムを殺したのです。アブシャロムが死んで、イスラエルの民は、それぞれ自分の天幕に戻り、アブシャロムの反乱は終わりました。ダビデは再び王座に戻ることができました。詩篇3篇は3つの部分から成り立っています。まず、試練、そして神への信頼、最後に勝利の宣言です。私たちの人生にもダビデと同じように突然の危機や試練を経験することがあると思います。しかし、主を信頼し続ける時に、神様は必ず私たちを解放してくださいます。私たちも、ダビデとともにこの詩篇3篇の信仰告白を続けて行きましょう。

 

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