礼拝説教
2002-09-22『情熱に生きた神の人』(1歴代29-23-30)
(イントロ)
偉大な人の生涯が新しい時代を開くことがあります。また、一人の偉大な人の生涯が一つの時代の終わりをもたらすこともあります。14世紀に生きたイギリス人ウィクリフは新しい時代を開いた人だと言えるでしょう。彼は学者であり説教家でしたが、彼は聖書の翻訳にも取り組みました。彼の働きが後の宗教改革を引き起こしたと考えられている人です。彼は、それまでラテン語の聖書しかなかったので聖書を英語に翻訳しました。それまで全ての聖書はラテン語で書かれていたので聖職者しか読むことが出来ませんでした。彼はこの聖書を一般の人が読めるようにと翻訳を行ったのです。しかし、当時は、ラテン語は神の言葉だと考えられていて一般の人々が使う言葉に翻訳することは禁じられていました。そのため、彼は多くの迫害を受け、最後は殉教してしまいます。そのウィクリフが聖書の英語翻訳という膨大な仕事を終えたときに自分が翻訳した聖書に次のような言葉を書き記しました。「聖書が翻訳された。この聖書は人民の人民による人民のための政治を可能にする。」
500年後、彼の言葉をリンカーンが引用して、彼の言葉は世界中の人々に知られるようになりました。リンカーンが「人民の人民による人民のための政治から自由が生まれる」と演説をしましたが、彼はまもなく暗殺されてしまいました。ある人は彼の死を知って「リンカーンの死によって一つの時代が終わった。」と言ったそうです。ある人の人生は、勇気ある行動によって新しい時代を開きます。また、ある人の人生は、その人の死によって一つの時代が終わります。イスラエル王国の偉大な王ダビデの場合は、彼によって新しい時代が開かれ、ある意味では、彼の死によって一つの時代が終わったと言えるかも知れません。第一歴代誌の28章と29章には、死を目前に控えたダビデの生き方が描かれています。彼の人生の最後の部分をともに学んで見ましょう。
(1)神殿建設にかける情熱
イスラエルの王になって40年がたちました。彼の年齢は70歳になろうとしており、体もずいぶん弱ってきました。夜になると彼は何枚服を着ても寒さにふるえるような状態でした。そんなダビデが、これまで長い間自分に仕えてきた人々を回りに集めて、彼らに遺言のようなメッセージを残しました。ダビデが彼らに最初に伝えたことは、彼がどうしても果たしたかった夢、しかし神がお許しにならなかった夢でした。それは神のためにエルサレムに神殿を建てるという夢です。ダビデは、心から神を愛し、神のために自分にできることを何かしたいといつも考えていました。そして、ダビデは神のために神殿を建てたいと思ったのですが、しかし、神様はダビデが神殿を建てることをお許しになりませんでした。自分の夢を達成することができないままに死を迎えることは非常につらいことです。しかし、ダビデは、神が「ノー」と言った時に、神の御心を受け入れました。1歴代誌28章4節でダビデはこう答えています。「けれども、イスラエルの神、主は、私の父の全家から私を選び、とこしえにイスラエルを治める王としてくださった。ユダの中から君たる者を選ばれたからである。私の父の家はユダの家に属している。主は私の父の子どもたちのうちで、私を愛し、全イスラエルを治める王としてくださった。」ダビデは何を語っているのでしょうか。ダビデは神様が自分に与えてくださったこと、許可してくださったことを語っています。私たちは自分の願いが実現できないとき、がっかりしてしまい、神様が自分に与えてくださった数多くの恵み、数多くの良いことを忘れてしまいます。しかし、ダビデは、自分の体が衰えて死が迫っているのを感じていたこの時、彼は神様がこれまで自分に与えてくださった様々な良いことに思いを集中しています。そしてその神様が与えてくださったこと、許してくださったことに集中して、精一杯自分にできることをしたのです。ダビデは、自分の息子ソロモンが神殿を建設することが神の御心であることを悟ります。1歴代誌22章1−5節を読みましょう。彼は息子ソロモンが神殿を建てるのを助けるために、建設に必要な材料をできる限りたくさん集めたのです。また、28章11節を見ると、ダビデは息子ソロモンに神殿を建てるための設計図を授けています。彼は自分にできることを精一杯行いました。
自分の過去を振り返って、実現しなかった夢や計画を思い出して、後悔したり、自分を責めたりすることがあります。しかし、いつまでもそのことで悩むよりも、ダビデのように、神様の恵みによって、自分に許された働きを一生懸命に行うほうが多くの結果をもたらします。1コリント15章58節でパウロはこう言いました。「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」パウロはキリストの復活について述べた後にこの言葉を言いました。イエス・キリストの復活は、私たちに永遠のいのちを約束します。だから、私たちがこの世で労苦することは決して無駄にはならないのです。私たちがこの世で一生懸命良いことをしても、正しい評価を受けなかったり、結果がなにも起きなかったりする場合があります。地上から見る限り自分の行ったことが無駄であるように思える時があります。しかし、永遠に生きておられる神の目から見ると、私たちの労苦は決して無駄ではないことが分かるのです。
(2)息子ソロモンに残す言葉
は28章の9節から息子ソロモンに向かって語り始めます。彼は自分の後を継いでイスラエルの王になるソロモンに最後のアドバイスをしたかったのですが、ダビデはソロモンに3つの命令を与えています。第一の命令は「あなたの父の神を知りなさい」という命令でした。「神を知りなさい」もちろんソロモンはイスラエルの神を礼拝していました。しかし、ダビデには分かっていました。国王として生きる時、責任の大きな働きがたくさんあって、大変忙しく苦労が多いことを知っていました。そして十分に神を知る、神と交わる時間がとれないことを知っていました。ダビデも、そんな中で、ちょっとした気のゆるみから大きな罪を犯しました。彼は息子ソロモンにも同じ危険があることを知っていたので、何よりも神を知ることを大切にするように命じているのです。
は、ソロモンに「全き心と喜ばしい心持ちを持って神に仕えなさい。」と命令しています。ダビデは弱さを持った男でしたが、彼はいつも心から神に仕える気持ちを持っていました。神のために熱い情熱を持って生きて来ました。そして、ダビデは、神が人の心を探り、人の心を読みとる方であることを知っていました。彼は、自分が犯した罪のことを決して忘れることができなかったのです。だから、ソロモンに同じ失敗をしてもらいたくなかったダビデは、全くき心で神に仕えるようにとソロモンに命令しているのです。
は、ソロモンに「神を求めるように」と言っています。ダビデはソロモンにイスラエルのリーダーになるソロモンに具体的な指示を与えるのではなく、どのような生き方をするべきか、基本的な生き方を教えているのです。神を求め、神から離れないようにしなさい。その時、何をするときにも神が共にいて助けと導きを与えてくださるのだとソロモンに教えています。そしてダビデはソロモンに神殿の設計図を渡します。ダビデは実際に神殿を建てるソロモンを助けるために、彼は神に祈りながら、神殿の細かい設計図を作っていたのです。そしてソロモンに20節で「強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにおられるのだから――。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕のすべての仕事を完成させてくださる。」彼は、ソロモンが王になって苦労することを知っていました。国の政治的リーダーになると味方ばかりではなく敵も多く現れることも知っていました。しかし、ダビデはソロモンにはっきりと言っています。「神とともに歩け。神は決してあなたを見放さず、あなたがその責任を果たせるように助けてくださるのだ。」私たちの神はインマヌエルの神、いつも私とともにおられる方です。私たちも、恐れを感じたり不安を感じることがあります。しかし、全能者の神がともにおられ、私たちを助けてくださるのです。私たちも勇気を持って前進を続けましょう。
(3)神への賛美
自分の回りに集まった国のリーダーたちの前で神への祈りを捧げました。ダビデは自分の生涯を振り返って、いつも神の助け、神の恵みがあったことを知っていました。彼の心は神への感謝であふれていました。彼はイスラエルの王として権力と財産を自分のものにしていました。しかし、ダビデは決してそれらを自分のものとして握りしめていたわけではありません。彼は、それらもすべて神から与えられたもの、神から預かったものだと考えていました。14節の後半でダビデは「すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあたなにささげたにすぎません。」と祈っています。主イエスのたとえ話に「愚かな金持ち」というのがあります。何年分もの食べ物を蓄えた男が、これからは毎日食べて遊んで自分の好きなように生きていこうと思った、その夜に神に命を取られました。そして、その時に、その男は死ぬときに自分が長年かかってためたものを持っていくことができないことを知ります。ダビデは、自分が持っている財産や身分、回りにいる部下たち、すべては自分のものではなく、神から預かったものだと考えていました。だから、それらに心を縛られることなく彼は、自分の財産を、ソロモンが神殿を建てるためにと捧げたのです。
祈りの最後に、全集団に向かって「主をほめたたえなさい。」と命令しました。すると、全ての人がひざまずいて、主を賛美し礼拝しました。ダビデの回りに神様を賛美する声が響き渡りました。ダビデの人生の最後にふさわしい光景です。そして28節には「彼は長寿に恵まれ、齢も富も誉れも満ち満ちて死んだ。」と書かれています。彼は充ち満ちた生涯を終えました。彼がどのように死んだのかは、聖書は詳しく書いていないから分かりませんが、その生涯はすべてに満ちてあふれていたと書かれています。新約聖書の中で、パウロはダビデについて次のように言いました。「ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで先祖の仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。」(使徒13章36節)パウロは「ダビデは神のみこころに仕えた」と言っています。彼の人生には多くの苦シミや悲しみがありました。またダビデは大きな罪を犯しました。しかし、最終的に彼は「神のみこころに仕えて生きた」と言われたのです。聖書は、一人一人の人間は神によって創られたと教えています。すべて創られたものには目的、使命があります。皆がダビデのような大きな働きをするために命が与えられている訳ではありませんが、聖書によれば、この世に生まれてきた人は誰もが神様からの使命を受けて生まれて来たのです。ですから、最も悲しいことは、人が、自分が創られた目的を知らないままに一生を過ごし死んで行くことです。あなたは、この世の他の誰とも違う、あなただけに与えられた使命があります。今の時代、今生きているこの社会に生きるあなたにだけやり遂げることのできる使命があるはずです。ダビデは神のみこころに仕えて一生を生きた人です。彼はイスラエルという国の王としてイスラエルの国を建て上げるという神のみこころに情熱をもって仕えた人でした。あなたは、神から与えられた一度切りの人生をどのように生きて行きますか。
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