2002礼拝めっせーじ

礼拝説教11/24|メッセージ2002メッセージ2001メッセージ2000


礼拝説教 2002-11-24『愛のうちを歩きなさい』(エペソ4章25〜32節)
(イントロ)

パウロは
4章の1節で、「クリスチャンは神様によってこの世から召し出されて罪の裁きから救い出された者だから、その召ししにふさわしい生活をするように」と言いました。人が救われたことの確かな証拠は、その人が昔キリストを信じ受け入れたという経験にあるのではなく、今生きている生活がキリストを表すものであるということが証拠になるのです。パウロは、主イエスを信じて罪の裁きと罪の支配から救い出された人は「救われる前の古い自分を脱ぎ捨てて、神の子どもとなった新しい自分を着なさい」と勧めています。神様は、私たちを新しい人にするために働いておられますが、同時に、私たちの内側にまだ残っている古い自分も働いているので、神の働きと古い自分の意志の力がぶつかることがあります。ですから、パウロは、神に召された人は召しにふさわしく、神様の主権に積極的に従う者、自分の意志よりも神様の言葉、神様の御心を優先するようにと勧めているのです。

ただ、
ここで大切なことは、パウロは単に道徳的な教えを書いているのではありません。パウロがクリスチャンに勧めている言葉はすべて、クリスチャンと神との関係が基盤となっています。今日、私たちは神様とどのような関係を持っているのでしょうか。主イエスは十字架にかかって私たちの身代わりに全人類の罪の罰を受けてくださいました。それから三日後に復活され、罪と肉体の死に対する勝利を宣言されました。さらに40日後、主イエスは天に戻られました。主イエスが天に戻られる時に弟子たちに残された最後の言葉は、「見よ。わたしは、世の終わりまであなたがたとともにいます。」という言葉でした。主イエスは地上を離れて天に戻られるのに、地上にいる私たちといつまでもともにいると約束をしておられます。そのことが実現するために主は天から聖霊をクリスチャン一人一人に与えてくださいました。私たちが主イエスを自分に必要な救い主だと信じる時に、主イエス・キリストは、肉の目には見えない聖霊として、私たち一人一人のそばにとどまってくださったのです。私たちクリスチャンが新しい人を着て新しい生き方をするのは、自分を訓練するためではありません。神様と新しい関係を持った者として新しい行動を始めるということです。私たちが自分と性格が合う友達、一緒にいてとても楽しい友達を見つけるととてもうれしいものです。その友達との友情関係を壊さないように、その友達が嫌うようなことを言ったり、友達がいやがるようなことはできるだけしないようにします。正しい夫は妻が喜ぶようなことをしようとします。私もそうしなければいけないことは分かっているのですが、どうも失敗が多いです。私たち夫婦はいろいろな違いを持っているのですが、その一つが歩くスピードです。私は、外出して楽しくなると自然と歩くのが速くなります。好奇心が旺盛なのか、自然と足が速くなるのです。そして自分が見たいものに気を取られて、いつのまにか奥さんの存在を忘れてしまいます。ふと気がつくと自分一人になっているんです。妻を悲しませてしまうのです。次はゆっくり歩こうと思うのですが、なかなかうまくできません。心の中では反省しているんですが。これと同じで、私たちは神様という素晴らしい人生のパートナーを見つけました。だから、神様の悲しませるようなことはしないようにしようと思う、その心が大切なのです。パウロは30節で「聖霊を悲しませてはいけません」と言っているのは、私たちと神様とが人格を持った関係を築いていることを表しています。

聖霊
とは、信じる一人一人のうちに住んでくださる神様のことです。聖書はクリスチャンの肉体は聖霊の宮であると言っています。聖霊は神様ですから目には見えませんが私たちと同じ人格を持っておられます。だから聖霊は悲しみを感じるのです。聖書を見ると聖霊なる神様は私たちのために様々な働きをしてくださいます。1)私たちは聖霊によって洗礼を受けてキリストの体に加えられました。2)また、私たちは、聖霊によって証印をおされています。私たちが確かに神を信じて神の子どもとなっていることを聖霊が保証してくれるのです。3)イエス様は聖霊の働きについてこう言われました。「真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。」つまり、聖霊は私たちに真理を教えてくれるのです。4)そしてもう一つ、聖霊は私たちが祈るときに助けてくれます。パウロがローマ人への手紙の8章でこう語っています。「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」(26節)私たちは、時々どのように祈ったらよいか分からなくなります。そのような時は無理に言葉に出して祈る必要はないのです。私たちとともにいてくださる聖霊がわたしたちのために代わりに祈ってくださり、そして神はその祈りを聞いてくださるのです。私たちを洗礼に導き、私たちを神の子どもだと保証してくださり、私たちに真理を教え、そして祈れない時に助けとなってくださる聖霊なる神様は、私たちの大切なパートナーなのです。聖霊と訳されているギリシャ語は「そばに呼ばれた者」という意味です。私たちに助けが必要な時にいつもそばにいてくださる方が聖霊です。聖書を読んでいて不思議と心が熱くなるのも、自分の言葉や振る舞いの中に罪があることを気づかせてくれるのも、あるいは、何もしていない時でも不思議な平安を感じさせてくれるのもすべて聖霊が私たちのうちに働いておられるからです。私たちの大切なパートナーである聖霊なる神様が顔を曇らせたり、心に傷を受けたりすることを私たちは平気でできるでしょうか。本当に主イエスの十字架によって罪を赦されて、神を信じて生きる者に、平気で聖霊様を悲しませることはできないはずです。

パウロ

はそのような観点から、私たちが、大切な友である方を悲しませないためにも、新しい生き方をするようにと具体的なアドバイスを書いています。パウロはここで主におもに4つのことを取り上げています。それは1)偽りから解放されること、2)怒りから解放されること、3)盗みから解放されること、そして4)腐敗した心から解放されることをのべています。

つづく



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