2002礼拝めっせーじ

礼拝説教12/08|メッセージ2002メッセージ2001メッセージ2000


礼拝説教 2002-12-08『ベツレヘムへの旅』(ルカ2章1-11節)
(1)ナザレからベツレヘムへの旅

ルカの福音書
はギリシャ人に読まれるために書かれた福音書だと考えられています。ギリシャ人には知識人が多く、政治や学問に興味を持っている人がたくさんいました。そのため、ルカはイエス・キリストの生涯を描く福音書を書くのに、世界の歴史と関連づけています。2章はローマ皇帝アウグストという名前で始まっています。アウグストはローマ帝国の最初の皇帝ですが、ローマの最も偉大な皇帝です。それまでの帝国内の争いを終わらせ、ローマに平和と繁栄をもたらしました。アウグストの前に敵はすべていなくなったからです。ただ、この平和は暗い平和でした。ちょうど今の北朝鮮のようです。だれも皇帝アウグストのことを悪く言うことはできません。しかも、彼の時代から、ローマ皇帝は神と同じだと考えられるようになりました。ですから、ローマ皇帝の命令には誰もが絶対に従わなければなりませんでした。その皇帝アウグストが人口調査をせよという命令を出しました。彼は、ローマ帝国の広さ、そこに住む人の数を調べました。それは兵隊を集めるためであり、またより多くの税金を集めるためでした。皇帝の命令が出たので、全ての人は自登録を行わなければなりません。どんなに忙しくても、登録することが面倒くさいことであっても、皇帝の命令には従わなければなりません。キリストの母親になるように選ばれたマリヤと許嫁のヨセフは、イスラエル北部の小さな村ナザレから、ヨセフの生まれ故郷ベツレヘムに行かなければなりませんでした。それは約130キロの旅で、歩いて行くと少なくとも4,5日は必要です。ローマの規則では自分が住んでいる町で登録をすれば良いのですが、ユダヤ人の場合は家系を大切にするため、生まれ故郷に行って登録をするのが普通でした。

マリヤとヨセフ
にとっては本当に大変な旅でした。マリヤはもうすぐ赤ちゃんが生まれそうな体です。絵本ではマリヤはロバに乗っていますが、本当に彼女が動物を借りることができたのかどうかは分かりません。もしかするとずっと歩き続けたかも知れません。彼女は不安だったでしょう。初めての赤ちゃんを自分が知らない遠い町で産まなければなりません。ヨセフの他に誰も頼る人はいません。母親も友達もだれもいません。二人はまだ10代の若者でした。貧しく、教育も十分に受けていないため、将来も大きな成功を夢見ることはできない二人です。その二人が、皇帝アウグストの命令のために、こんな大変な時に長旅をしなければならなかったのですから、泣きたいような気持ちだったと思います。しかし、実際には、マリヤは私たちが考えているような哀れな娘ではありませんでした。彼女は、自分が何のために今旅をしているのか、また、これから生まれてくる赤ちゃんが誰であるのかということを知っていたのです。彼女はベツレヘムの旅に出るまでに、親戚のエリサベツに会いに行って、そこでマグニフィカートと呼ばれる有名な言葉を残しています。マグニフィカートとはラテン語で「神様を褒め称える」という意味ですが、ルカ1章46節に書かれているように、彼女の言葉が「わがたましいは主をあがめます。」という言葉で始まっているからです。そのマグニフィカートの中でマリヤはこう言っています。「力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。」彼らは、人間の目から見ると何の力もない若者に過ぎません。しかし、彼らは神によって選ばれた人だったのです。というのは神様は、マリヤが言ったように、低い者を高く引き上げ、権力をある者を引き下ろす方だからです。彼らは、わがままな皇帝の自分勝手な命令のために運命に流される哀れな人間ではありませんでした。彼らの一歩一歩の歩みは、実は、神様の御手の中でしっかりと導かれていたのです。彼らは税金を払うためにベツレヘムへ行かなければなりませんでした。しかし二人の旅は、神様が遙か昔に預言してた救い主の誕生を実現するための第一歩になったのです。神様は、主イエス・キリストがこの世に生まれる700年も前に、預言者ミカに救い主の誕生を知らせていました。旧約聖書のミカ書の5章2節で、預言者ミカは次のように語っています。「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」マリヤとヨセフが130キロの大変な旅をして一歩一歩ベツレヘムに近づいていましたが、それは、神様の永遠の計画の実現に向かっての歩みだったのです。

(2)誰にも知られることなく生まれた救い主
ようやく
のこと、ヨセフとマリヤはベツレヘムの村に着きました。長い旅をしてきた二人はくたくたに疲れていました。ところが彼らを迎える人も場所もありませんでした。ルカは非常に短く書いています。「彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」当時ベツレヘムにあった宿屋は非常にみすぼらしいものだったようです。宿屋は塀に囲まれた場所に長屋のように建てられていることが多く、裏には共同の庭があって、旅人は自分の家畜をそこにつないでいました。その夜、ヨセフとマリヤがベツレヘムに到着したとき、ベツレヘムは登録をするためにやって来た人々で混雑していました。どこにも空いた部屋はありませんでした。マリヤは今にも赤ちゃんが生まれそうでしたが、彼らを助けてくれる人も、部屋を譲ってくれる人もいませんでした。マリヤは仕方なく、旅人たちの家畜がつながれている宿屋の裏庭の片隅で、赤ちゃんイエスを生みました。私たちはクリスマスの場面を描いた飾りを見ますが、いつもきれいに片づいた、暖かな光に包まれた美しい場面が作られています。しかし実際の状況は全く異なっていました。宿屋の裏庭は旅人がつないだ家畜のにおいでひどくくさかったでしょう。マリヤは冷たく固い地面の上で赤ちゃんを産みました。ヨセフは赤ちゃんを取り上げてぼろ切れで赤ちゃんの体を拭きました。そしてマリヤは赤ちゃんを布でくるんで飼い葉桶に寝かせたのです。ローマ皇帝アウグストが最高の権力を持って、ローマの大宮殿で贅沢な生活をしていた時に、イエスは、このような悲惨な状態でこの世に生まれてくださいました。

マリヤ
とヨセフがこんなに大変な状況になっているのに、宿屋の主人も、他の泊まり客も誰も彼らを助けようとしません。場所を譲ろうともしません。これがこの世の人々の現実です。人は、いつも自分のことを考えています。自分が平安であれば、自分が幸福であればそれでいいのです。自分にいのちを与えてくださった神様に対しても、自分の周りにいる人々に対しても、私たちはまったく無関心です。自分のことで忙しいからです。宿屋の主人は皇帝アウグストの人口調査を喜んでいました。宿屋に泊まる客が増えて金がもうかるからです。その番も彼の宿屋は満室。彼は大満足でした。そこへ、あまりお金をもっていないような若い二人が部屋を探しに来ました。マリヤは出産間際です。でも、主人は、二人を助けるためには、今泊まっている客の中の誰か二人に部屋を空けてもらわなければなりません。そんな面倒くさいこと、他の客とトラブルになりそうなことを主人は絶対にしたくありません。それで、彼は二人に家畜がつながれた裏庭を遣うことを許可したのです。この宿屋の主人の態度は私たちの心を表しているように思います。自分の生活に追われて、神様の大切なメッセージが語られてもまったく気づかずにすごしている人が大勢います。神様のメッセージが届いていても、自分の生活のリズムが崩されることがいやでメッセージを聞こうとしない人が大勢います。

(3)クリスマスのメッセージ
そんな
救い主の誕生に無関心なベツレヘムの村のはずれで羊の世話をしていた羊飼いたちに天使がメッセージを届けました。11節。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」御使いは、自分が伝える知らせは「民全体のためのすばらしい喜びの知らせ」だと言いました。神様は、世の人々が神に対してまったく無関心であっても、あるいは神に対して反抗していても、すべての人に救い主を与えたいと願っておられます。ベツレヘムの人々がどんなに無関心であっても、神様はベツレヘムの人々にも救い主をお与えになったのです。救い主は、私たちを何から救うのでしょうか。御使いがマリヤの婚約者ヨセフに表れた時にこのように言いました。「この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」私たちを罪から救ってくださる救い主です。

聖書は、
人は肉体の死の後に、永遠の平安か永遠の滅びに入ると教えています。ですから、私たちが最も必要とするものは、罪から救ってくれる救い主なのです。私たちに必要なのは、人生をどう生きるかというような教えやメッセージではありません。私たちを救ってくださる方が必要なのです。もし、今、あなたが川でおぼれそうになっているとします。沈まないように必死で水の中でもがいている時に、あなたに必要なものは何ですか。周りで見ている人の「がんばれっ!」という声ですか。それとも、泳ぎ方を教えてくれる人の指導ですか。違います。水の中に入って自分を助け出してくれる人です。主イエス・キリストは、私たちを罪から救い出すために、神の栄光の座を離れて、このどろどろした人間の世界に入ってきてくださった方です。

私たちは
「メリークリスマス」「楽しいクリスマス」と言ってクリスマスをお祝いしています。しかし、主イエス・キリストにとっては大変な誕生でした。私たちの自分勝手な罪を赦すために、私たちの身代わりになって十字架の死を受けるために生まれてくださった誕生だからです。しかし、主イエスは、あなたのために、また、わたしのために、喜んでこの世に生まれてくださいました。そして、主イエスは神の子としての働きをされた3年間の間に、とりわけ社会からのけ者にされていた罪人たち、社会の中で弱い立場にある人々、悲しみや苦しみを経験している人々のために奇跡を行い愛を注がれました。主イエスは、くさい汚い家畜がつながれた裏庭でこの世に入って来られました。同じ主は、私たちの心がどれほど汚れていても喜んで入って来てくださいます。主イエスは、私たちの最高の友となって、私たちを永遠の滅びから救い出すためにこの世に来てくださったのです。

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