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礼拝説教 2004-01-18『知識の法則』(箴言1章1-7節)
(イントロ)
箴言はイスラエルの民の間で長い間にわたって教えられ、語り継がれてきたことわざや知恵の言葉を集めた書物です。その大部分はイスラエル王国の3番目の王ソロモンによって書かれたと考えられています。ソロモンは今から約3000年前に生きた人物です。当時、エジプトとメソポタミアの国々が力を失っていたこともあって、イスラエルは全ての歴史を通じてもっとも繁栄した時代でした。サイズは小さいですが、他の民族をも支配する帝国を築いていたからです。ソロモンはダビデ王の息子です。彼は豊かな才能に恵まれた人物でした。旧約聖書の第一列王記はソロモンが非常に優れた人物であったことを伝えています。彼は神を愛していました。彼は神から「何でも欲しいものをあげよう。何が欲しいか?」と尋ねられた時に「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」と答えています。ソロモンが「聞き分ける心」を求めたことを神様も喜ばれました。国の王として生きることは決して簡単なことではありません。いつも国の外には敵がいます。国民の生活を支え、皆が平和に生活できる環境を整えるために、ビジネスの能力も必要でしょう。将来を見る目も必要でしょう。ソロモンは「聞き分ける心」が必要だと分かっていたのです。1列王記4章を見ると、「神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。それでソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵とにまさっていた。」と書かれています。植物についても動物についても最高の知識を持っていたソロモンは、箴言の言葉を3000書き、歌を1500も作りました。
ソロモンの時代、イスラエル以外の国々にも箴言のようなことわざを集めた書物があったそうですが、聖書の箴言はそのような書物とはまったく異なっていました。他の国で書かれた箴言は、人生を生きる人間的な知恵が書かれていて、ほとんどの箴言の道徳的なモラルは非常に低かったのですが、聖書では神を尊敬し、神を礼拝する民は、神の教えに従って毎日どのように生活することが必要であるかという点に焦点を当てています。主イエスキリストは、すべての人に罪からの救いを語られました。社会からのけ者にされている人や、弱い立場の人々に特別な憐れみを示されました。それと同時に、主は、救われた人、主を信じた人々には神の子として新しく生きることを教えられました。箴言は3000年前に書かれた書物です。しかし、人間の本質、この世のあり方は、昔も今も変わりません。誘惑が多いこの世の中で信仰を持つ者がどのように生きていくことが必要なのかを学ぶことの大切さをソロモン自身がよく知っていました。聖書が教える生き方の原則をしばらく学んで行きたいと思います。
(1)知識の大切さ
7節に「主を恐れることは知識の初めである。」と書かれていますが、この言葉こそ、箴言全体のメッセージをまとめた言葉であると言えるでしょう。私たちにとって知識は大切です。知るということは大切なことです。私たちの人生は1回きりでやり直すことができません。自分に与えられた時間はどんどん過ぎ去って行きます。そのような人生を生きる時、私たちは、「自分はなんのために生きているのか」「どのように生きるべきなのか」「どうしてこの世界があるのか」そのような根本的な問題の答えを知ることはどうしても必要なことです。7節に使われている「主」という言葉は普通の言葉ではなく、神様が以前、ユダヤの指導者モーセに向かって言われた「わたしはある」という意味を持つ神様の特別な名前です。「わたしはある」という名前は、神様が永遠に存在する方で、すべてのものの根源であるという意味を持っています。聖書は、私たちが信じる信じないに関わらず、その神がおられて、その神がこの世界を造り、また私たち一人一人を造ってくださったと教えています。世の中の多くの人が進化論を信じていますが、進化論の考え方は、この世の中のすべてのものは偶然に生まれて、偶然に発達して、そして今の世界があるという考え方です。しかし、私たちが住んでいる世界は驚くほど秩序が守られていて、規則正しく動いており、不思議なほどに完璧な世界です。地球がもう少し太陽に近くても、あるいは遠くても、私たち人間は生きることができないでしょう。また、地球は不思議なことに、毎日同じスピードで回転しています。先日テレビのある番組で、もし「地球の自転が突然止まったらどうなるか」という問題を考えていましたが、答えはこの世界は、北極と南極をのぞいてすべて破壊されるということでした。自転の早さは時速2000キロだそうです。飛行機よりも2倍早い速度です。地球が決してスピードを遅くすることなく何億年と周り続けているのはなぜでしょうか。科学は地球が回っているということを私たちに教えてくれますが、なぜスピードが衰えずに回り続けるのか説明することはできません。それだけでなく、進化論は、私たち人間は偶然に発達したものであると教えます。しかし、私たちの体の仕組みを見ただけでも、こんなに精巧に出来ている体が偶然に進化した結果だと人は本当に信じられるでしょうか。1,2,3,4,5の五つの数字が順番通りに並ぶ確率だけでもかなり小さくなります。何万のうち1つだけが順番通りに並ぶのです。細胞が発達する過程で、正しいものが生まれるよりも、正しく進化しなかったもののほうがずっと多いはずで、この世界は進化がうまく行かなかったものであふれているはずです。しかし、動物も植物も人間も、すべての新しいいのちは間違うことなく成長して行きます。このような私たちが生きている世界を本当に理解し本当に世界の仕組みを知るために、まず根本的なこととして主である神様がおられることを信じ、その神様を尊敬する心を持つことが絶対に必要であると箴言は語っているのです。
私たち人間は、言葉を使うから人間なのではありません。火を使うから人間なのではありません。まして、二本足で立つことができるから人間なのではありません。そんなことが人間であることを決めるものではないのです。聖書は、人間とは、神様の姿に似せて神様によって造られた者だと教えています。永遠の存在者、栄光に満ちた方である神様と同じような姿になるように、神様が造られた一人一人の人間は、その人の生まれた家柄や、知能指数や、運動能力や、学歴や仕事にまったく関係なく、その人のいのちそのものが神様の目には高価で尊いのです。神ご自身がそう言っておられます。進化論は、人間の体は猿の体から少しずつ変化して今の姿になったと説明します。科学は目に見える現象を説明することしかできません。では、人間が誰もが持っている善悪の判断基準はいつ、どこでできたのでしょうか。人間は、誰もが同じ善悪の基準を持っています。もし人間が偶然に進化した結果この世に生まれて来て、そして生きているとすれば、他の人を殺してはいけない理由はどこにあるのでしょうか。しかし、だれでも人を殺してはいけないと思っています。中には、「人を殺してなぜ悪い」と言う人がいますが、そんな人でも、自分が他の人を殺すことはかまわなくても、自分が殺されることは許せません。人に迷惑をかけても平気な人でも、自分が他の人から同じような迷惑をかけられると激しく怒ります。このように、どんなに否定しても、人間は皆同じ善悪の基準を持っています。それはなぜでしょう。それは、私たちが神の姿に似せて造られたものだからです。私たちが生きている世界を理解するには、この世界を造られた神を知ることが必要です。また、自分や自分が生きていることを理解するためには、私を造ってくださった方を知ることが必要なのです。
(2)神を恐れることの大切さ
ソロモンは箴言のテーマの言葉のように7節の言葉を書いていますが、ここで彼は「神を信じることが知識のはじめ」とは言っていません。「神を恐れることが知識の初めである」と言いました。「恐れる」とは、神が怖くてびくびくするという意味ではありません。聖書は、イエス・キリストを救い主と信じる者は永遠のいのちを持つと教えていますが、主イエスはヨハネの福音書の中で「永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」と言われました。ですから、ソロモンがここで「知識」と言っていることは「知ること」であり、それは永遠のいのちをもたらすものです。つまり、ソロモンは、知識とは私たち一人一人が神様と新しい関係に入ることを示しているのです。クリスチャンにとってもっとも価値あることは、主イエス・キリストを信じた者は、もはやひとりぼっちで生きるのではなく、私たちに目を留め私たちを愛してくださる神がいつもともにおられることを知っていることです。神様を信じるとは、神様を心から尊敬し、神様の教え、導きに従って生きることを決心することです。ですから、本当に神を信じる人は、心から神様を尊敬するはずです。また、聖なる神様の前に自分の罪深さを知って恐れを持って立つ人が、神を恐れる人です。信仰者にとってもっとも大切なことは、自分自身の罪深さをよく知り、神様の前に自分が神の憐れみを受けなければならにことを知ることです。私たちは、毎日、神の赦しを受け、神の約束をいただくことが必要です。詩篇の25篇の12〜14節には次のように書かれています。「主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。その人のたましいは、しあわせの中に住み、その子孫は地を受け継ごう。主はご自身を恐れる者と親しくされ、ご自身の契約を彼らにお知らせになる。」神を尊敬し、神の前に罪を悔い改め罪を憎む心をもって、主を信頼して生きる者に神様は豊かな祝福と導きを与えてくださると約束が書かれています。
(3)愚か者は神の教えをさげすむ
ソロモンは「愚か者は、神の教えと神の訓戒をさげすむ」と言いました。聖書は神を信頼せずに人間の力に頼る人間が愚かであることを繰り返し述べています。信仰を持っていても、この世で生きていくことは決して楽なことではありません。仕事の難しさ、結婚生活の難しさ、人間関係の難しさ、難しいことが山ほどあります。そのような難しさや人生の厳しさを経験すると、私たちは、この世を生きるためにはこの世の知恵を使わなければいけないと考えやすいのです。「聖書の教えも大切だけど、やっぱり現実は現実だから。」と考えるのです。礼拝がどんなに祝福の時であるとしても、私たちにはこの世の厳しい現実が待っています。イエス様が群衆に素晴らしい説教をされました。しかし、群衆は空腹という厳しい現実に直面していました。弟子たちは、主イエスに「群衆を解散させて、パンを買いに行かせましょう」と言いました。しかし、主は弟子たちに「あなたがたで、食べるものをあげなさい」と言われました。主イエスは弟子たちに、厳しい現実の中で主を信頼して生きる信仰を働かせるようにチャレンジを与えられました。そのチャレンジに信仰をもって答えていくときに神の奇跡の力が私たちの生活の中に働くのです。私たちはこの世で生きる限り、この世の知恵を用いたいという誘惑を受けます。しかし、すべてのものの根源であり、全能の力を持っておられる神を恐れ、神を自分の人生の主と信頼して歩み続けましょう。
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