2004礼拝めっせーじ

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メッセージ2004


礼拝説教 2004-09-26『妻として生きる』(箴言31章10〜31節)
(イントロ)
 箴言を書いたソロモンは今から3000年前のイスラエルの王でした。ダビデによって建てられたイスラエル王国は、当時の中東で大きな勢力を持っていましたので、世界中の財産が集まってきました。ダビデの後を継いだソロモンの時代にイスラエル王国は絶頂期を迎え、ソロモンは世界最高の権力と財産を手にしていました。彼は非常に知恵に富んだ人でしたから、外国との関係をうまく保ちながらイスラエルの国を治めていました。彼は何でも持っている何でもできる人でしたが、彼にも弱点がありました。どんな人にも弱点があります。そして、人は自分の弱点の中で誘惑を受けるのです。ソロモンの弱点は女性でした。旧約聖書にはソロモンには700人の王妃がいたと書かれています。それ以外にもソロモンの王宮には300人の女性がいました。そして、ソロモンは大勢の妻たちとともに生きることで、たくさんの苦労を経験したようです。神様は最初の人間を作られた時に、男と女とに作られました。そして人間の幸福のために結婚をも制定されました。そして、「男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となる」と書かれています。神様は一人の男が一人の女と結婚することを決められましたが、その後、人間は自分勝手な理由で、特に男の側の勝手な理由で一人の男が何人もの妻を取るようになったのです。ソロモンが自分の国の回りには強い国がたくさんあることを知っていましたから、自分の国を守るためにも他の国の王の娘と結婚したと思います。ソロモンは人間的な力で自分の国を守ろうとしたのです。その結果、ソロモンは他の神を信じる女性たちからの影響を受けて、神に対する信仰がゆがめられてしまいました。そのうえ、ソロモン一人に大勢の女性たちがいるため、女性たちの間で争いが起きるのは当然のことです。彼はその争いにも巻き込まれて、随分苦労したように思います。箴言には女性に対する警告の言葉が何度も出てくるのです。「争い怒る女と共におるよりは、荒野に住むほうがましだ。」(21章19節)「争いを好む女と一緒に家におるよりは、屋根のすみにおるほうがよい。」(25章24節)「この女を制するのは風を制するのとおなじく、右の手に油をつかむのとおなじだ。」(27章16節)立派な宮殿に住んでいたソロモンが、それらの女性から離れられるのなら「荒野や屋根の住みに住む方が幸せだ」と言っていることからも、彼の苦労は大変なものだったようです。そのソロモンが箴言という生きるための知恵をまとめた書物の最後に「しっかりした妻」について書いたということはとても興味深いことです。今日は、しっかりした妻とはどのような人なのかということをともに考えたいと思います。ソロモンは女性について書きましたが、ここで言われていることは、男性にも当てはまると思います。神様の作品として作られた私たちがどのように生きるときが本当に幸いなのかという視点から今日の箇所を読みたいと思います。
(1) しっかりした妻の秘密
30節には「麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。」と書かれています。私たちは他の人を見るときに、どうしても、その人の外側をみてしまいます。顔やスタイルの美しさ、学歴、仕事の能力、財産などを見て、その人の価値を決めます。しかし、ソロモンは、そのような人の外側はむなしいと言っています。どんな美しさもいつまでも続くものではありません。どんな能力や知能も、年とともに衰えて行きます。財産も、いつまでも残るとは言えません。ソロモンの回りには1000人の女性がいました。しかも、どの女性も美しさを磨いていたことでしょう。旧約聖書にはエステルという女性が出てきます。エステルはユダヤ人でありながらペルシャの女王になるのですが、ペルシャでは、選ばれた女性が王の前に出る前に1年間いろいろなオイルや化粧品を使ってより美しくなっていました。ソロモンの場合も同じだったでしょう。彼の回りは美人だらけ。しかし、その美しさは空しいとソロモンは言っています。人の心は神様の心に似せて作られています。人間の心はただ表面的なものだけでは満たされないのです。
それでは、ソロモンがしっかりした女性とはどんな女性だと考えていたのでしょうか。30節の言葉によると、ソロモンは「主を恐れる女性」が褒め称えられるのだと述べています。神を恐れるとは、神を尊敬して神の言葉に従って生きること、そして悪を憎んで生きることです。聖書は、神様によって作られた私たちが最も私たちらしく生きることができるのは、神様を尊敬し神様を信頼して生きる時であると教えています。パウロは新約聖書のローマ人への手紙の中で「神様の目の前に正しい人は一人もいない」とはっきりと述べています。そして、人間がどれほど悪に満ちているかということを詳しく述べた後で、結論としてパウロが行ったことは「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」ということでした。聖書にはいろいろな教えがあるように見えますが、原則は簡単なことです。自分の欲望に従うのではなく、神様を恐れて神様の言葉に従って生きること、それがすべてだと言えると思います。神様の私たちに対するもっとも大きな命令は、第一に全力で神様を愛すること、第二にあなたの隣人を自分と同じように愛することです。神を恐れる人は、神様の命令を守ります。愛する方の命令は重荷にはなりません。
そして、主イエスは、神の言葉を聞いてそれを行う人が岩のうえに家を建てた人に似ていると言われました。今年は日本では台風がアメリカではハリケーンが度々襲い、洪水で家を失った人が大勢います。テレビで、洪水でつぶれた家の様子を見ることがありますが、本当に悲惨な状態です。聖書は、私たちの生活の土台は主の言葉を聞いてそれを実行しようとすることであると教えています。主は私たちが絶対守れないような命令を出すことはありません。聖書には、私たちへの神様からのチャレンジがたくさんあります。最初からあきらめていては、神様の御心にかなう生き方は不可能です。100%できなくても、少しでもチャレンジに答えていこうとする態度が神様を喜ばせるのです。クリスチャンとして生きるということは、聖書の教えを道徳の教えのように必死に守って生きることではありません。私たちのことを、命を捨てるほどに愛してくださる神様とともに生きることです。そして、神様とともに生きるときに、神様は私たちにいろいろなことを教え、そして私たちをその教えに従って生きるようにチャレンジを与えて下さいます。そのチャレンジに答えて生きることが神を恐れることです。
30節では、そのように神を恐れる人はほめたたえられると書かれています。つまり、神を恐れる人を神様は褒め称えてくださるのです。私たちは人間の間でほめたたえられることを願いますが、しかし、人間の心は変わりやすく、人間の評価は、いつかは消え去り忘れられていくものです。しかし、神を恐れて生きる人を神様は決して忘れることなく、その人を喜んでくださいます。神様からほえてもらえるなら、他の人の評価などどうでも良いのです。私たちは、男であっても、女であっても、夫であっても妻であっても、神を恐れて、神の言葉に従って生きることこそが、人生の本当の土台なのです。
(2) しっかりした妻の働き
 ソロモンは10節から31節まで、しっかりした妻がどのような働きをするかということを詳しく書いています。第一に、彼女は夫に仕える働きをしています。12節には「彼女は生きながらえている間、夫に良いことをし、悪いことをしない。」と書かれています。もちろん、彼女がそのように夫に仕えるには、夫が妻を愛するからです。結婚式で夫と妻に対する教えを聖書から読みますが、夫は妻を愛することが求められ、妻は夫に従うことが求められています。この教えについて、夫婦がお互いに自分の責任を果たして初めて、幸福な家庭が作られて行くのです。ソロモンが描いているこの女性は、絶えず夫の幸せを考えて行動しているのでしょう。夫の優しい言葉や態度に、優しい行動で答えています。そして、感情に流されていません。いつも良いことだけを行って悪いことをしない人です。
第二に、13節から19節まで、彼女が家族のためにどれほど多くの働きをするかということが描かれています。妻は、夫が外で働いている間、家にいて家事に専念することが聖書的だと考える人が多いかも知れませんが、ソロモンの時代は、多くの人は農業を仕事としていました。夫の仕事は外の畑が中心でしたが、妻も、夫と同じように様々な仕事をして、二人は力を合わせて家庭を守っていました。しかし、しっかりした妻は自分の家庭のためだけに仕えているのではありません。彼女は自分の回りにいる人々にも目を向けています。彼女は悩んでいる人や貧しい人にも手をさしのべています。自分のためだけに生きる人が多い世の中です。
神社に行くと、自分の願い事を書いたお札が掛けてありますが、私が京都の神社で読んだあるお札には「自分だけが幸せになりますように」と書かれていたので、思わず(何と自己中心な人だろう)と思ったことがあります。聖書がしっかりした妻を一つのモデルにして教えようとしているのは、隣人を自分のように愛することの大切さだと思います。自分の隣人が夫であっても、親であっても、子供であっても、私たち一人一人がお互いに隣人、相手のために生きる時に本当の幸せが来ることを教えているのではないでしょうか。
安部光子さんというクリスチャン作家が書いた本の中に次のようなことが書かれていました。ずっと昔、北陸線の夜行列車の食堂車でボヤが起きました。トンネルの中で列車が止まってしまうのですが、一つの車両では死者がでたのに、別の車両ではけが人もいなかったということがあったそうです。死者が出た車両では、誰もが自分が先に窓から逃げ出そうとして飛び降りようとしたため、窓の外で人が重なって倒れました。また、真っ暗なトンネルの中を歩いていて溝に落ちる人もいました。そのために死者が出ました。しかし、別の車両では外に出ようとした人に、危険だからと引き留める人がいて、みんなで話し合って座って車内で待っていました。煙が入って来たときは濡れたタオルをみんなで顔に当てていました。そのうちに救援隊が来て、その車両の人は全員ケガもなく助かったのだそうです。お互いが隣人のために生きるとき、不思議な道が開かれると書かれていました。また、その本国際基督教大学の教授の言葉が紹介してありました。「人間が自分さえ良ければという閉鎖的な生き方をすれば滅亡するが、互いに助け合って歩む開放的な生き方をすれば互いに成長する、これがこの世界の法則だ。」という言葉です。本当に開放的な生き方をするためには、毎日の生活の中の小さなことで相手のために生きることから始まります。私たちは、この31章に描かれた妻を模範として、互いに助け合う生き方をすることが大切です。聖書の中のゴールデンルールは「自分がしてほしいと思うことを相手にする」というルールです。このしっかりした妻は、主イエスが教えられたゴールデンルールを実践した人と言えるでしょう。
今の時代は、主イエスの言葉を借りると、「不法がはびこり、愛が冷えた時代」です。愛が冷えた場合どうすれば良いのでしょうか。そこに愛をそそぐことが解決の道です。私たちは、自分のうちに人を愛する愛はないのですが、主イエスが十字架で私たちに愛をまず表してくださいました。私たちが主イエスを無視して、反抗して生きていた時に、主イエスが私たちのためにもっとも大切な自分の命を犠牲にすることによって、私たちに愛を表して下さいました。私たちは、ものすごく大きな愛で愛されているのですから、自分が受けた愛を他の人に分け与えることが私たちの責任だと思います。そして、それを行うときに、他の人ではなく、神様ご自身が喜んでくださることを覚えておきましょう。



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