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礼拝説教 2005-04-10『捧げることへの祝福』(マラキ書3章7-15節)

(イントロ)
マラキは旧約時代最後の預言者です。彼が預言者として働いた時代は紀元前460年から430年頃だと言われています。ユダヤ人はマラキの時代より200年近く前に敵国バビロンに征服され、重要な人々は皆捕まり、バビロンに強制的につれて行かれ、そこで人質としての生活をしなければなりませんでした。この出来事をユダヤ人のバビロン捕囚と言うのですが、それから70年後にバビロン定刻は隣の国ペルシャのクロス王によって滅ぼされたため、バビロンで生活していたユダヤ人は自分たちの国に帰ることが許されました。ユダヤの人々は長年の外国生活を終えてパレスチナの地に戻って来ました。そのころ、神様はハガイとゼカリヤという預言者を起こしてくださり、ユダヤの人々を励まして、荒れ果てていたエルサレムの城壁と神殿が再建されました。また、彼らの指導者としてエズらとエヘミヤという人物が起こされて、ユダヤの人々は新しい時代の希望を持って、新しい気持ちで生活を始めました。再建された神殿では、これらの指導者の道忌引きで人々は神殿で神を礼拝し、聖書の決まりに従って生け贄を捧げるようになりました。しかし、それから100年がすぎると、預言者たちもエズラ、ネヘミヤも死に、新しい時代を生きていたバビロンから帰って来た人々が持っていた熱意がだんだん薄れて、マラキの時代のユダヤ人は、表面的には神を礼拝していましたが、心は神から離れ、再び、彼らの先祖たちが犯した罪を犯すようになっていました。マラキ書は短い預言書で、全部で55節しかありません。その55節のうち42節は神様の言葉が書かれています。それは、当時のユダヤ人が、神に対する熱心さを失い、神以外のことに心を向けていたため、神の言葉を聞かなかったことを示していると考えられています。つまり、神様が、預言者マラキを通して、「私のことばを聞きなさい」と警告の言葉を発しておられるのです。
マラキの時代のユダヤ人の態度は、今の私たちクリスチャンの態度と似ているところが多いのではないでしょうか。当時のユダヤ人は、神殿が建っており、礼拝の制度ができあがっているため、礼拝を捧げることはきちんと行っていましたが、神様に対する感謝、神様を畏れ敬う心を失っていました。私たちも、自分の罪が赦されて神の子供としていただいた時の感激と感謝の気持ちがいつの間にか薄れ、礼拝を守ることは守っているが、心が神様のことよりも自分の生活のことに縛られてはいないでしょうか。旧約聖書最後の預言者マラキの言葉は警告と約束の言葉で終わっています。4章の1,2節にはこう書かれています。「見よ。その日が来る。かまどのように燃えながら。その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行なう者は、わらとなる。来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。――万軍の主は仰せられる。――しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、癒しがある。」マラキの時代、ユダヤ教の指導者たちは、しっかりと神の律法をイスラエルの民に教えていなかったために、人々は生け贄をささげることにおいても、十分の一を神に捧げることを守らず、異教徒と結婚することが多くありました。そのために、マラキは彼らの罪をはっきりと示しましたが、同時に、神様の恵みは、どんなときにも備わっていることを教えました。マラキの時代、神様からの祝福は主として、物質的な祝福や肉体的な祝福でした。しかし、今日の私たちは、教会の時代と呼ばれる時代に生きており、私たちには新しい霊的な祝福が約束されています。しかし、このような祝福を受けるために必要なものがあったのです。
(1) モラルの回復
3章7節で神様は「あなたがたの先祖の時代から、あなたがたは、わたしのおきてを離れ、それを守らなかった。わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう。」と言っておられます。神は、神に対して無関心になっていたイスラエルの民に「帰れ」と命じておられます。神に帰るとは何を意味するのでしょうか。第一に、神のもとに帰るとは「悔い改め」を意味します。悔い改めとは、Uターンするという意味ですが、私たちが反抗したために、聖なる怒りと悲しみを感じておられる神様のもとへ正直に、心を低くして帰ることを意味します。罪というのは、根本的には、神様のもとから離れてしまった状態ですから、私たちは、まず神のもとへと戻らなければなりません。また、神の子供となったクリスチャンも、神様とともに生きていなければ神様の祝福を受けることはできません。イエス様のたとえ話にでてくる放蕩息子は、お金さえあれば幸福に生きることができると考えて、父親から金をもらって家を出て町に行きました。彼は金は手に入れましたが、父親の祝福から離れてしまいました。しかも、頼りになると思った金はすぐに消えてしまうものでした。放蕩息子が家を出るまで経験していた祝福をもう一度経験するためには父親のもとへ戻らなければならなかったのと同じように、私たちも、神様の天からの祝福、すぐに消えてしまうようなものではない祝福、永遠に続く祝福を受けるためには神様のもとへ戻らなければならないのです。
(2) 物質的な回復
3章10節で神様は「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。」と言われました。エルサレムの神殿には、人々がささげる十分の一やささげものを入れる宝物倉が作られていました。神様はアブラハムの時代から十分の一を神様に捧げることを求めています。アブラハムの時代ですから、モーセに律法が与えられるよりも400年も前のことでした。ある時、メルキゼデクと呼ばれる王様を通して神様に十分の一を捧げました。新約聖書のヘブル人への手紙を見ると、メルキゼデクは復活のキリストを表す型であることがわかります。メルキゼデクはアブラハムにパンとブドウ酒を持ってきましたが、これはイエス・キリストによって実現する神様の大きな犠牲を表すものです。パンとブドウ酒をもらったアブラハムは、メルキゼデクに対して借りがあることを認めて、自分が持っていたすべてのものの十分の一をメルキゼデクに捧げました。このとき、アブラハムが捧げた十分の一は、神様が自分のためにしてくださったすべての働きに「ありがとう」という感謝の気持ちを表すためのものでした。また、モーセの律法の中で最初に十分の一の捧げものについて神様が命じているのはレビ記27章30節です。こう書かれています。「こうして地の十分の一は、地の産物であっても、木の実であっても、みな主のものである。それは主の聖なるものである。」ユダヤ教の礼拝の中では十分の一をささげることは重要なことでした。ソロモン王以後、イスラエルが南ユダと北イスラエルに分かれていましたが、当時のイスラエルの民の信仰も堕落していたのですが、南ユダのヒゼキア王の時に信仰のリバイバルが起きました。そのとき、イスラエルの民に見られた変化の一つが喜んで捧げものを持ってきたことでした。当時の南ユダ王国の人々は「穀物、新しいぶどう酒、油、蜜など、すべての野の収穫の初物をたくさん持って来た。彼らはすべてのものの十分の一を豊富に携えて来た。ユダの町々に住むイスラエルと、ユダの人たちもまた、牛や羊の十分の一と、彼らの神、主に聖別した聖なるささげ物の十分の一を携えて来て、あちらこちらに山と積んだ。」と書かれています。このように、十分の一の捧げものは、アブラハムから始まり、モーセの律法によって制定されたものです。
(3) 神様の豊かな祝福
3章10節にはこう書かれています。「わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」申命記の28章には神様の祝福とのろいが詳しく書かれています。1,2節には「もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。」と書かれています。一方、15節には「もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。」と書かれています。マラキの時代の人々は、十分の一を捧げるという点において神様の命令に従っていませんでした。マラキの3章で神様はイスラエルの民に「あなたがたはわたしのものを盗んでいる。」と言われましたが、この「盗む」という言葉は「覆う」「隠す」という意味の言葉です。聖書の中にも神様の前に盗んだ者は厳しく裁かれました。ヨシュアの時代にエリコを征服した時、神様はそこにあるすべてのものを滅ぼし尽くすように命令されたのですが、アカンという人が滅ぼすのがもったいないと思って一部を自分のものにするために隠しておきました。そのことを知っておられた神様はアカンを裁かれました。マラキの人々は十分の一を捧げることを惜しんでいたために、神様からの祝福を受けることができなかったので、彼らの生活は決して幸福なものではありませんでした。しかし、そのような民に神様は「天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐ」ことを約束しておられるのです。これは私たちが自分の力で精一杯がんばって手に入れるようなものとは違います。「窓」と訳されている言葉はある英語の聖書の訳では「floodgate」と訳されています。「水門」です。そこを開くと水があふれるばかりに流れ出て来ます。神様ご自身が天から私たちに、人間の想像を超えた祝福を注いでくださるのです。しかもそれは、決して消え去ることのない、壊れることのない、だめになってしまうことのない祝福です。神様はこの点に関しては、「私を試して見なさい」とチャレンジを与えておられます。
私は、前にも話したことですが、献金に関して一つの証を持っています。決して忘れることのできない体験です。1976年にモントリオールでオリンピックが開かれた時に、若いクリスチャンのための伝道大会があって、私は大阪から参加しました。当時はモントリオールまでの飛行機の切符は非常に高かったので、飛行機でロサンゼルスまで行って、そこからはバスでモントリオールまで行きました。アメリカを通ってカナダに入り、帰る時はまたカナダからアメリカに入ってバスで大陸を横断してロサンゼルスに戻りました。大会には1500人の若者が50の国から参加していましたが、中には十分なお金を持たずに参加した人々がいました。ある集会の時に、そのような人々が会衆の前に並びました。そしてリーダーから「お金に余裕がある人は、これらの人々に捧げなさい」とチャレンジがあったので、私は、持っていたトラベラーズチェックのほとんどをそれらの人のために捧げました。大会が終わってバスでカナダからアメリカのデトロイトに入るとき、アメリカ人とカナダ人以外はバス降りて入国審査を受けなければなりませんでした。入国管理の人が私に「いくらお金を持っているのか」と訪ねました。私が持っていたのは30ドルだけでした。当時は1ドル300円なので、日本円では9000円ですが、30ドルではあまりにも所持金が少なかったのです。私は、帰りにはアメリカの知人の家に泊めてもらうことになっていたので何とかなると思っていたのですが、審査官はそんなことは認めません。「即刻帰れ」と厳しい口調で言われましたが、デトロイトからロサンゼルスまで行くにはバスで帰るしかありませんでした。途方にくれて、私はバスに戻って一緒に参加した友達と「どうしよう」と話していると、私の前に座っていた一人の婦人が「どうしたの」と訪ねたので、私は自分の事情を話しました。するとそのご婦人が「私に任せて」と行って、私と一緒に入国審査のところへ行ってくれました。そして私のことを弁護してくれていろいろと交渉してくれました。すると本当に不思議なことですが、アメリカ入国が許可されました。それから私はバスを乗り継いで何人かの友人の家を訪れて30日アメリカに滞在しました。ある時、アメリカの教会で証をする機会が与えられて、そのお礼として100ドルをもらいました。他にも不思議な方法で神様は1ヶ月の間私を助け支えてくださって、必要を満たしてくださいました。私は、軽率に捧げすぎたのかもしれません。しかし、私は、この大ピンチから救われた経験を通して、確かに神様は生きておられること、神様は確かに今も働いておられることを実感しました。ですから、誰が何と言おうと私は神様の存在を否定することができないのです。このような神様を知って生きること、自分には全能者である方がついていると知って生きるとき、私たちは自分の限界を超えた力を知るのです。これこそ、私たちに与えられる神様の祝福ではないでしょうか。あなたは神様のものを盗んでいませんか。そのために、神様の天の窓から注がれる祝福から漏れていませんか。神様のものを神様のお返しするとき、神様がどのような祝福を与えてくださるかを楽しみにしながら、捧げる祝福を体験しましょう。
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