2005礼拝めっせーじ

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メッセージ2005


礼拝説教 2005-08-14『滅びることのない神の御言葉』(エレミヤ36章21-32節)

(1)神の言葉を書き記す
エレミヤ書36章には、神の言葉についてある出来事が記されています。当時、イスラエルの国は、北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされたうえに、北に住んでいたイスラエルの民の10部族がアッシリアに連れて行かれて、そこでアッシリアの人々と結婚をしたために、イスラエルの民としての血が混ざってしまいました。一方、南のユダ王国も、東の大国バビロンと西の大国エジプトにはさまれて何もできない状況に置かれていました。南ユダ王国がバビロンによって滅ぼされる少し前に、エホヤキムという名前の王様がユダを治めていました。彼が王になって4年目に、神からのメッセージが預言者エレミヤに届きました。「あなたは巻き物を取り、わたしがあなたに語った日、すなわちヨシヤの時代から今日まで、わたしがイスラエルとユダとすべての国々について、あなたに語ったことばをみな、それに書きしるせ。」これは、エレミヤが預言者の活動を始めてから約20年間に神から語るようにと命じられた言葉を書物に書き残すようにとの神様の命令でした。エホヤキン王の治世4年目というのは、ほぼBC604年といわれていますが、この年、当時急に力をつけていたバビロンがエジプトとの戦いに大勝利を収めた年でした。そして、ユダ王国の人々もバビロンを非常に恐れていました。
神様がエレミヤに語るように命じた言葉はユダの国に住む人々にとっては非常に厳しい言葉でした。神がエレミヤに書くように命じたのはエレミヤの言葉ではありません。神様がエレミヤに語るように命じた神様の言葉でした。預言者は神様から預かった言葉を勝手に変えることは許されませんでした。聞く人々にとってどのように厳しい言葉であれ、また、聞く人々が嫌がる言葉であれ、預言者は神の言葉をそのまま、まっすぐに語らなければなりません。そこが預言者にとってつらいところで、当時のユダの人々の中でエレミヤが語る神様からの警告の言葉を真剣に受け止める人はほとんどいませんでした。しかし、神様がエレミヤに御言葉を書き留めるように命令した目的は何だったのでしょうか。それは3節に書かれています。「ユダの家は、わたしが彼らに下そうと思っているすべてのわざわいを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしも、彼らの咎と罪とを赦すことができる。」神様が御言葉を書き留めることを願った夕は、罪びとが罪から立ち返るためであり、そのような人を赦したいと思われたからです。神様が厳しい警告のメッセージをユダの人々に語ったのは、彼らに恐怖心を与えるためではありません。彼らを救うことが神様の目的でした。
神からの命令を受けたエレミヤは彼の秘書バルクを呼び、彼に口述筆記で神の言葉を書き取らせました。そして、そのとき、なんらかの理由でエレミヤは神殿に行くことができなかったので、彼はバルクに「主の宮で、断食の日に、あなたが私の口述によって巻き物に書きしるした主のことばを、民の耳に読み聞かせ、また町々から来るユダ全体の耳にもそれを読み聞かせよ。そうすれば、彼らは主の前に祈願をささげ、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。」と言いました。そのころ、エホヤキン王の治世5年目、ユダの国民には断食をするようにとの命令が出ていました。その年、バビロンがエルサレム近くのペリシテ人の都市を滅亡させたので、ユダの国中がパニック状態になっていたのです。
(2)神の言葉を受け入れる
 バルクはエルサレムの神殿ですべての人々に聞こえるように、書物に書き記したエレミヤの言葉、神様がエレミヤに語るように命じた言葉を読み上げました。ほとんどの人は断食のことで頭がいっぱいでバルクを通して語られる御言葉には関心を示さなかったようですが、その中に一人神の言葉を真剣に受け止めた人がいました。ミカヤという人物でした。彼は、バルクが読み上げる神の警告の言葉を聞いて、これは誰かに伝えなければならないと思いました。それで、彼は、王宮にいたユダの国のリーダーたちにバルクが読んでいた神の言葉を知らせました。このリーダーたちも神の言葉を注意して聴いていましたが、ミカヤの報告を聞くだけでは満足しないで、バルクを呼んで直接に彼から神の言葉を聞きました。彼らもまた神の言葉を真剣に受け止める人々でした。ローマ書には「信仰は聞くことから始まる。」とありますが、神の言葉を真剣に受け止めない限り、神様からの救い、神様からの祝福を受けることはできません。しかし、ただ神の言葉は聞くだけでは十分ではありません。バルクから直接神の言葉を聴いたミカヤとリーダーたちは恐れました。恐れるということは、神の言葉が真実であることを認めることです。神様の警告の言葉を受け入れることです。今の私たちが神の言葉を恐れるとはどういうことを意味するのでしょうか。それは、第一に、聖書が言っているように自分が罪びとであることを認めることです。主イエス・キリストが自分の罪を赦すために身代わりになって十字架にかかってくださったことを信じることです。そして、これからの人生を神様の御心にかなった生き方、つまり神様が喜ぶような生き方をしていくことを意味します。箴言14章27節には「主を恐れることはいのちの泉、死のわなからのがれさせる」という言葉があります。バルクから神の言葉を聴いたリーダーたちは、このことを王様に伝えなければならないと思いました。
(3)神の言葉を拒否する
 エホヤキン王は神の言葉を恐れない人間でした。そして、国のリーダーたちはそのことを良く知っていたので、バルクとエレミヤに王の前から姿を隠すようにすすめました。それから彼らはエホヤキン王のところへ行って、彼らが神の御言葉を聞いたことを全部王に報告しました。すると王様はバルクが書いた巻物を取りにいかせました。部下が巻物に書かれている神様の警告の言葉を読みました。エホヤキン王は神の言葉を受け入れることもなく、神の言葉を恐れることもありませんでした。部下が2,3段読むごとに、ナイフで羊の皮でできた巻物を切り裂いて、暖炉の火の中に投げ入れました。結局、エホヤキンは、バルクか書いた巻物を全部火の中に入れて燃やしていましました。エホヤキンは神の言葉を恐れませんでした。そして、火の中に入れて燃やしてしまえば、神の裁きが自分の身に降りかかることはないと考えていたのでしょう。エホヤキン王は、御言葉には、直接神からながれてくる偉大な力があることを知りませんでした。24節には「王も、彼のすべての家来たちも、これらのすべてのことばを聞きながら、恐れようともせず、衣を裂こうともしなかった。」と書かれています。彼らの心は傲慢、神を恐れない気持ちがいっぱいでした。そして自分の力は神の力に勝っていると思い込んでいます。それでエホヤキン王は、預言者エレミヤと書記官バルクを捕らえるように命令を出しました。ところが、24節を見ると、神様ご自身が二人を隠されたと書かれています。人間がどんなに神に立ち向かっても、神に逆らっても、神に勝つことはできません。主が二人を守ってくださいました。主の言葉を信じ受け入れ、御言葉にしたがって生きようとする人々を神ご自身が守ってくださると約束されています。私たちは、御言葉に対してどのような姿勢を持っているでしょうか。御言葉を真剣に聞き、信じ受け入れているでしょうか。そして神の言葉を恐れているでしょうか。それともエホヤキン王のように神の言葉を軽く考えているでしょうか。拒んでいるでしょうか。主イエスを信じる人は、神様のすべての約束が与えられています。神様の祝福を豊かに受けることができますが、同時に責任も与えられているのです。J.I.パッカーという神学者はこう述べています。「神の真実を知るという特権を与えられている人は、同時に、神の真実の御言葉に従うという責任もともに与えられている。」
(4)神の言葉は滅びない
 歴史を通じて神の言葉を滅ぼそうとした人が数多くいます。ローマ皇帝の中にも徹底的に聖書を滅ぼそうとして皇帝がいました。神は死んだと叫んだ哲学者もいます。文明が進歩すると神を信じる人間はいなくなると宣言した人もいました。それほど神の御言葉に敵対して生きている人は多いのです。そのように考えると、今日まで、聖書の言葉が守れてきたのは奇跡的なことです。エホヤキン王も神の言葉を滅ぼそうとしました。しかし、人間がどのように知恵を働かせても、神の言葉を葬ることは決してできないのです。このときも、バルクが書いた御言葉の巻物が暖炉の火の中で灰になってしまいましたが、神様はエレミヤに再び語って言われました。「あなたは再びもう一つの巻き物を取り、ユダの王エホヤキムが焼いた先の巻き物にあった先のことばを残らず、それに書きしるせ。」それで、エレミヤはもう一度バルクを呼び、以前と同じように、神様がエレミヤに与えられたメッセージを書き留めました。その結果、今、私たちの旧約聖書の中に、エレミヤ書が残っているのです。このように、人間は神の言葉を軽蔑するかもしれません。エホヤキンのように、滅ぼそうとする人もいます。しかし、神の言葉を滅ぼすことは絶対にできないことなのです。軍国主義も共産主義も神の言葉を殺したと思いました。しかし、軍国主義も共産主義が滅んでも、神の言葉は今も残されています。今も世界のベストセラーです。そして、今も、読む人の心に働いて、人の人生をまったく新しくする力を持っています。
 聖書は、今も多くの人の心の中に働いています。あなたのその一人です。「私を変えた聖書の言葉」という小冊子がありますが、その中に中島自動車社長の中島栄三さんのお話が載っています。
42歳の時、自分の会社に労働組合が結成されて激しい争議の中で睡眠薬を飲まないと眠れない強度のノイローゼになりました。そのとき、娘に誘われて浦和福音自由教会の礼拝に集い、坂野先生に会いました。先生は「労働組合が問題なのではなく、神様に背を向けているのが問題」と言い、マタイ9章13節の「わたしは正しい人を招くためではなく、罪びとを招くために来たのです。」の御言葉をくださいました。そして床に額を擦り付けて真剣に涙して私のために祈ってくださいました。私は全身が震えるほどの感動を受けました。神様は何か良い行いをしたから神の子としてくださるのではないのです。十字架の血潮はわが罪のためなり。神様はボロボロのノイローゼ男を「そのままで良いから私のところに来て休みなさい」と招いてくださったのです。一方的な神の愛の恵みに涙し、罪の赦しと信仰告白の中で心に平安を得て、洗礼を受ける恵みにあずかりました。
中島さんだけではありません。神様の御言葉はあなたの人生を変える力を持っています。エホヤキンのように神の言葉に敵対するのではなく、神の御言葉を受け入れ、恐れ、したがって生きる者となりましょう。


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